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第6話「キャラメル狂騒曲」

「なんかもう、すっかりマッドサイエンティストっスね」 「ん?誰が?」 「課長がに決まってるでしょう」  心底呆れたような視線を受け、桐人(きりと)はぱちくりと目を瞬いた。かけていた安全保護ゴーグルを外し、ストラップに締め付けられていた後頭部の髪をかき乱す。  確かにその爽やかな風貌は、マッドサイエンティストからはほど遠い。切れ長な瞳は卵型の輪郭をシャープに見せるのに役立っているし、筋の通った鼻と厚めの唇は、顔の中心線上に位置している。さらに180センチに届こうかという身長の半分以上が脚という、恵まれたスタイル。たとえ身につけている白衣が多少黄ばんでいたとしても、それは些細なことだ。  だが、手に持っているものが極太のバイブとなれば、話は違う。しかも、元からグロテスクなそれには大小様々な凹凸がついていて、その存在をさらにグロテスクなものにしていた。  桐人は、開発途中のそれをデスクに戻し、冷蔵庫から銀色のトレイを取り出す。 「今度はなに作ったんですか」 「媚薬」 「えっ、また?」  前回開発したコーヒー風味の媚薬はSNSで話題になったこともあり、空前の大ヒット商品となった。通販サイトがパンクし、製造現場がうれしい悲鳴をあげたのもまだ記憶に新しい。 「さすがに毎回同じものじゃ、マンネリ化してくるだろ。だから、これ」 「まさか課長が一から作ったんですか?」 「市販のものを溶かして媚薬エキスを練りこんだだけだけど、甘いものにしちゃえばとコーヒー嫌いな客層も当たるかと思ってさ」 「なるほど……って、ちょっと。なんで持って帰るんスか」 「臨床実験」  ウキウキと上機嫌を隠さずに去っていく上司を見送り、部下はひとり、くすんだ天井を見上げた。  彼女さんご愁傷様っス、と心の中で合掌しながら。  *** 「おかえり」 「ただいま」  桐人は、この瞬間が好きだった。玄関を開けると、リビングの扉から桜介(おうすけ)がひょっこりと顔を覗かせるこの瞬間。同棲するようになってひと月が経った今も、その感動はまったく色褪せることを知らない。  ネクタイを緩めながらリビングに向かい、桐人は目を見開いた。先日買ったばかりのローテーブルに、一輪の花が飾られている。  鮮やかな夕焼け色のガーベラ。  桐人は腰を曲げて桜介の額に掠めるだけの口づけを落とした。一緒に住むようになって初めて知った、桜介の癖。  気分がいいと、決まって一輪の花を買ってくる。 「なんかいいことあったの?」 「これ」 「んむっ」 「今までで一番とろけた」  不躾に突っ込まれた塊を舌で絡め取ると、それは甘ったるい液体となってすぐに溶けていった。桜介が今取り組んでいる秋向けの新メニュー、〝とろけるキャラメル〟だ。キャッチフレーズだけが先行して肝心の〝とろける〟部分にかなり苦労していたようだが、どうやらコツを見つけたらしい。 「あ、キャラメルといえば」 「ん?」 「はい、お土産」  ズボンのポケットから出てきたそれを、桜介は眉根を寄せて見下ろした。長い人差し指と親指でそっとつまみ取り、目の前にかざして隅々まで観察する。 「食べないの?」 「食べる、けど……」 「もしかして疑ってる?」  いかにも寂しいという声音で問われ、桜介は言葉に詰まった。でもすぐに気を取り直して、不自然に両の口角だけが上がった桐人の顔を見やる。 「だって綾瀬(あやせ)がそういう顔するときって、絶対なにか企んでる」 「なにかってなにを?」 「えっちなこと」 「悠木(ゆうき)が『えっち』って言うと、ものすごくえっちだな」  途端に桜介の頰が燃え上がり、桐人は苦笑する。 「食えよ。普通のキャラメルだぜ?」 「ほんとに?」 「ああ、ほんと」  桜介は、キャラメルを包んでいた薄い紙をそろそろと剥いた。一瞬また懐疑心が蘇ったが、いくらアダルトグッズ会社で開発を担当しているからって、まさか自分に薬を盛るようなことはしないだろう。そう言い聞かせ、硬いキューブを口の中に放り込み、歯と歯の間に挟んでゆっくりと押しつぶす。 「どう?」 「なんか、苦い」 「そう?」  さっきまで〝とろけるキャラメル〟の試作品を食べまくっていたから、口の中が甘味に厳しくなっているのかも。そんなことを考えながら、桜介は柔らかくなったキャラメルを舌の上で転がした。  ***  やたら勢いの良いシャワーが、鍛え込まれた身体を叩いていく。桐人は、石鹸の泡に塗れた手の中で反り返り、ヒクつく自身を見下ろした。 「そろそろかな……」  バァンッ。  浴室の扉が跳ね開けられた乱雑な音に振り返ると、目を充血させた桜介がその薄い唇をわなわなと震わせていた。頰はすっかり上気し、呼吸がひどく荒い。 「綾瀬の嘘つき!」  桐人は笑った。  飛び散るシャワーの飛沫の中に飛び込んできた桜介はまだきっちりと服を着込んだままだったが、ジーンズの分厚い生地越しでもわかるくらいに、熱の中心が盛り上がっている。 「おいで」  両手を広げた桐人を、桜介の潤んだ瞳が睨む。  悔しい。悔しいが、桐人の股座でそそり勃っている肉棒が目に入ると、引き寄せられる身体をコントロールすることができない。  桐人は水分を含みずっしりと重くなった桜介の服を、手際よく脱がした。湿気を含み響きの良さを増した口笛が、桜介の羞恥心をさらに刺激してくる。 「やっぱり、えっちなこと考えてた……!」 「ごめん。お説教は後でたっぷり聞くから、まずはそれ、なんとかしようぜ?」  桐人は、浴槽のふちに浅く腰をかけた。それを見て、桜介が息を呑む。  まさか、跨がれというのか。  傷ついた演技までして媚薬を盛っておいて、自分はなにもしないなんて。 「桜介」 「……」 「おーすけ」 「……」 「ほら、早くおいで?」 「……あとで覚えてろ」  桜介は今の自分にできる精一杯の恨み言を紡ぎ、桐人に跨り猛る欲望をズブリと受け入れた。  fin

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