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HAREM

HAREM(ハーレム)』  そこは、叶わない夢が現実になる場所。  ひとりの男が、さまざまな色のネオンに彩られた派手な扉を潜った。ビートの効いた音楽とたくさんの人の話し声が入り混じり、とても騒がしい。自分の退屈な日常とはかけ離れた空間に圧倒されていると、ふとこちらを見た店員に笑いかけられた。 「吉島(よしじま)さん、来てくれたんですね!」  服装が記憶と違いすぎて一瞬気がつかなかったが、それは確かにかつての同僚、黒米(くろごめ)(いずる)だった。  黒米はスマートな動きで吉島のブリーフケースを取り上げ、手先をピンと伸ばし店の奥へと案内する。吉島は黒米の三歩後ろをついていきながら、視線を右往左往させた。左右両側に、たくさんの扉が並んでいる。 「吉島さん、今夜はどうされますか?」 「どう、って?」 「初回限定のハーレムプランなんて人気です」 「ハーレムプラン?」 「分かりやすく言うと、おっぱい揉み放題のウハウハプラン、ってとこですかね。好みのタイプとシチュエーションをインプットするだけで、そこは楽園!ぼっきゅっぼんのオネエチャンたちとやりたい放題できます」  黒米は、まるでテレビショッピングのプレゼンターのような口調でまくしたてた。これまで仕事関係の話しかしたことがなかった後輩の口から溢れ出てくる下世話な言葉の羅列に、吉島は面食らった。  こんなに生き生きしている黒米を見るのは初めてだ。ひと月前、なんとしても退職させるなという上からの命令を無視して新世界へと送り出したのは、正解だったようだ。 「吉島さんならリアルでもウッハウハだとは思いますけど、誰でも心の奥底に秘めた欲望ってあるものなんですよ」  黒米の鼻の穴が、興奮して膨らんでいる。吉島は思わず小さく笑った。 「うーん、そういうのはいいかな」 「ええーっ」 「実は、会いたい人がいるんだ」  黒米は一瞬ぴくりと眉をいからせ、やがて破顔した。  ***  案内されたのは、シンプルな部屋だった。広さは恐らく畳2枚分あるかないか。白一色に囲まれた空間の中心に、革張りのソファだけがぽつんと置かれている。 「これがVRスコープです」  黒米が、SF映画に出てきそうなごついゴーグルを差し出す。 「脳波の動きを感知するので、思い浮かべたことがそのまま現実になります。もちろんバーチャル・リアリティですけどね」 「へえ、すごいな」 「ご希望のベーシックプランは、制限時間が一時間。残り五分になると、ゴーグルがその旨お知らせするので、延長をご希望の場合はそこでお申し出ください。なにかご質問はございますか?」 「いや、ないよ。ありがとう」  吉島は笑顔で首を振り、ソファに腰を下ろした。予想以上に身体が沈み込み、吉島は慌てて姿勢を正す。VRスコープを装着しようと腕を持ち上げると、黒米が手伝ってくれた。薄暗くなった視界の向こうで、かつての戦友が今にも泣き出しそうに顔を歪める。 「黒米……?」 「それでは、ごゆっくりどうぞ」  扉が静かに閉められた。  ***  蝉の鳴き声がうるさい。  最初の思考はそれだった。  眩しさに痛む瞼を押し上げ無理やり目を開くと、そこには一面の白い砂浜が広がっていた。 足元を見ると、砂にまみれた黒地に赤いラインの入ったスパイク。十七歳の誕生日に、親が買ってくれたものだ。  ああそうか。  ここは、陸上部の合宿で来た場所だ。  自分の脳が作り出したバーチャル・リアルティ。そう分かっていても、頬を撫でていく潮風があまりにリアルで錯覚してしまう。  ふいに背後から砂浜を踏みしめる規則正しい音が聞こえて、吉島は振り返った。大きく手を振りながら、同じ練習着に身を包んだ青年がこちらに走り寄ってくる。 「よっしー!」  海風に乗って耳に届いた声に、吉島は息を呑んだ。 「よっしー、ずりぃよ。本気出すなんてさー!」 「……」 「県大会準優勝のお前と違って俺は……よっしー?」 「ブライス……」 「ん?」  綺麗な二重の丸いふたつの目が、心配そうに覗き込んでくる。 「どした?」 「いや……なんでもない。それより、腕」 「ゲッ、また?」 「左右に揺らす癖、いい加減直せよ」 「気をつけてるんだけどなあ……」  ブライスが、薄い唇を前に突き出して尖らせた。気に入らないことがあった時の癖だ。  覚えている。  毛先だけ外側にハネた髪も。  その髪をかきあげる左手の甲にある黒子も。  俺を見下ろす憂いを帯びた瞳も。  唇を合わせる時にそっと頬に触れる震える指先も。  なにもかも、覚えている。  初めて重ねた汗ばんだ肌も。  なにもかも。 「まさか俺が下だなんて思わなかった……」 「え?だって体格的にそうでしょ」  悪びれずに腰をさすってくるブライスの横っ面を殴り倒したくなる。二度目でも、初めては辛かった。 「足は俺より遅いくせに……」 「もー、ぼやかない。次はよっしーが上でいいから」 「えっ、ほんとに?」 「ちょ、ププッ、食いつきすぎ!よっしーが俺で童貞卒業するってなかなか乙だな、て思ったの。だから、いいよ」 「童貞なのは……しょうがないだろ」 「うん。よっしーは俺一筋だったもんな?」  ああ、やっぱりぶん殴りたい。そう思いながら、吉島はみっともないくらいに目尻を垂らしたブライスを見上げた。  懐かしい。  高校生のブライスが、そこにいた。  声も。  会話も。  触れてくる角度も。  なにもかも、あの頃と同じ。  吉島は、ブライスの胸にそっと頭を預けた。強い心臓の鼓動が、吉島の頭蓋を振動させる。やがてそれは心地よい眠気になって、吉島の意識を覆い始めた。 「よっしー」 「ん……?」 「好きだったよ」 「……え?」 「すごくすごく、好きだった」 「ブライス……?」  違う。  こんな会話、あの時はしなかった。  あの夜は、自分の部屋に戻るのも忘れてふたりで抱き合ってそのまま眠った。 「よっしー」  目の前のブライスは、男だった。 「ちゃんとさよならが言えなくて、ごめんね」  大人の姿になったブライスが、太い指で吉島の頬を撫でている。相変わらずくっきり濃い二重の瞳に映っている吉島も、大人だった。 「なに、これ」 「会いに来てくれて、ありがとう」 「……」 「もう大丈夫」 「……」 「よっしーはもう、大丈夫だから」 「……」 「幸せになって?」  ブーッ。 「終了5分前デス」  頭の中で機械が言った。  ブライスが、笑顔のまま固まっている。眉を八の字にし、目を細めて、頬を持ち上げ、口元は控えめな弧を描いている。それは、初めてふたりで迎えた朝に見た笑顔。そしてその笑顔のまま、ブライスは愛してると呟いた。 「ブライ――」 「延長シマスカ?」  また機械が言う。  吉島は、答えられなかった。答えられないまま、手を伸ばして動かない笑顔に触れた。  重い身体を叱咤し、震える唇を寄せる。動かない唇は、それでも暖かかった。ブライスが笑顔で見下ろしている。吉島はブライスの身体を抱きしめた。 「俺も……好きだった、よ」  その瞬間、すべての景色がプツンと消えた。  ***  ゆっくりと扉が開き、騒々しい外の気配が部屋の中に流れ込んできた。 「おかえりなさい」  急に明るくなった視界で、淡い微笑みを浮かべる黒米の輪郭がぼやけている。  泣き顔は見られたくない。  そう咄嗟に思って目元を覆い、自分の目が濡れていないことに気づいた。 「吉島さん、どうでしたか?」 「あ、うーん……」 「兄貴に会えましたか……?」 なん――だって? 「知ってたのか……」 「吉島さん、俺が配属になった日、俺のこと呼んだでしょう。ブライス、って」  そうだ。  あまりに似ていて、気がついたら勝手に声帯が震え、唇が動いていた。 「しばらくして思い出したんです。自分のことをそうやって呼ぶ奴がいる。死んだ兄貴がそう言ってたなあ、って」  黒米を英語にしたらブラックライス、だから縮めてブライス。そんな風に無理やりつけたあだ名を、彼はとても喜んでくれた。他人と違う呼び方が特別で嬉しいと笑って、大人になってもそう呼んでくれと強請られた。 「闘病中一度も弱音を吐かなかった兄が、一度だけ泣いたことがあったんです」 「ブライスが……?」 「兄貴がゲイだってバレて、吉島さんが俺の親父に殴られたあの日」  吉島は、呼吸を止めた。  あの日、いつものようにブライスを見舞いに行った。話がはずんで気がついたら面会終了時間が間近に迫り、吉島は軽く別れを言って椅子から立ち上がった。確か、また明日来るから、そんなひと言だったと思う。  でもその〝また〟は二度と訪れなかった。  いつもはそういうことに決して積極的ではないブライスに襟口を引っ掴まれて、反動でベッドに倒れこんだ。しばらく見つめ合い、そのまま口づけを交わした。何度も、何度も。  病室の扉を開け放したままだったことに、気づかないまま。 「あの夜、兄貴が泣いたんです。最後の最後にやらかした。きっと親父はよっしーを葬式に来させない。ちゃんと俺に別れが言えないなんて、よっしーは永遠に俺のことを愛したまま、前に進めなくなってしまう。そう言って、俺の前でわあわあ泣きました」 「すっげー自信……」 「ええ、兄貴らしいですよね」  黒米が、そこにはいない人を慈しむように目を細めた。吉島の瞳から、堰を切ったように涙が溢れ始める。  ブライスの言う通りだった。  あれから六年、吉島の世界は止まったままだった。  バレていたのか。  見られていたのか。  だからこうして、見させてくれたのか。  ひとときの――夢を。  吉島は、ずっしりと重いゴーグルを黒米に差し出した。現実と夢を繋ぐ機械。それが黒米の手に渡ると、吉島の身体がふっと軽くなった。  もう大丈夫。  ブライスの声が聞こえる。 「黒米」 「はい」 「ありがとう」 「……はい」  そして吉島は黒米に背を向け、現実の世界に戻った。  fin
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