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HAREM・2

HAREM(ハーレム)』  そこは、叶わない夢が現実になる場所。  黒米(くろごめ)(いずる)は、首元のタイに人差し指を差し入れ、ゆっくりと肩を回した。  今日は金曜日。  政府が打ち出したプレミアムフライデーはすぐに鳴りを潜めてしまったが、それでも他の平日に比べて世間が浮き足立つことは間違いない。開店と同時に人がなだれ込んできた『HAREM』も同様で、普段はなかなか埋まらないカップルシートもあれよあれよと客が飛び込み、あっという間に空いているのは個室がひとつだけとなった。  そこもきっとすぐに埋まるだろう。  黒米の思考に応えるように、入口の扉が開いた。 「いらっしゃいませ」 「ど、どうも……」  おずおずと顔を覗かせたのは、年若い青年。見たところ、気弱な大学生といったところだろうか。顔立ちは決して不細工ではないが、ラフな服装と相まって、どこか幼さが残る。黒米は一瞬未成年ではと疑うが、扉の外側ではいかにもそれらしい強面の同僚が厳しい年齢確認を執り行っているから、少なくとも二十歳は超えていると信じていいだろう。 黒米は身体ごと向きを変え、青年に微笑みかけた。 「当店は初めてでいらっしゃいますか?」 「は、はい」 「でしたら初回限定のハーレムプランがオススメで――」 「ハーレムプランは男相手でもいけますかっ……?」  食い気味に遮った青年の目に、黒米は切実な思いを垣間見た。ひどく懐かしい類の既視感を覚える。 「もちろん、お楽しみいただけますよ」  黒米が穏やかな声音で伝えると、青年はほうっと息を漏らした。きっと彼にとっては、ここに足を踏み入れることよりも、先ほどの質問を口にする方が勇気の要ることだったのだろう。 「プランをご説明いたしますね」 「は、はい」 「ハーレムプランは基本が一時間でございます。終了五分前にAIがその旨お知らせいたしますので、延長をご希望される場合はそこでおっしゃってください。休憩をご希望の場合や、ご気分が悪くなった時は、『休憩』『中止』とひと言呟いていただければ、AIが反応いたします。お部屋の中には飲み物や食べ物もございますので、ご自由に召し上がっていただいてかまいません。ご準備が整いましたら、楽な体勢で椅子にお掛けになりVRスコープをおかけください」  抑揚をつけながらも流れるように進む黒米の言葉を、青年は必死に首を縦に動かしながら聞いていた。 「ご不明な点はございますか?」 「だ、大丈夫です。それで……お願いします」 「かしこまりました。では、こちらへどうぞ」  いくつもの扉を通り過ぎ、たったひとつ電気が消えていた部屋の前でふたりは立ち止まる。黒米の細い指がパチンとスイッチを鳴らし、部屋に明かりが灯った。青年は、ごくりと咽喉を鳴らし、部屋に足を踏み入れる。 「それでは、ごゆっくりどうぞ」  重い扉を静かに閉め、黒米は派手な天井を見上げた。  ***  黒米は、兄と仲が良かった。  とは言え、ふたりの間に特別な何かがあったわけではなく、ただ一般的なレベルで兄弟らしい関係を築いていたというだけだ。年が五つ離れていたこともあり、黒米にとって兄は、競争相手というよりも頼れる人という認識の方が強かった。  そんな兄が、一度だけ弱気を見せたことがある。  まだ小学五年生だった自分を真剣に見つめ、どうすればいいのかわからない、と口にした。一日三十分だけと決められていた携帯ゲームの時間を奪われ苛立っていた心が、あっさりと持っていかれた。それくらい、兄の声には切実な思いが滲んでいた。  部活仲間に恋心を抱いた。  ひと息でそう告白され、最初に黒米の頭に浮かんだ言葉は、  だからどうした?  自分は色恋沙汰にはまだ無縁の生活を送っていたが、気の早い同級生たちは、誰々ちゃんが好きだとか、誰々ちゃんと手を繋ぎたいだとか、そんな話で盛り上がっていた。小学生でもそうなのだから、兄にそういった思いがあってもおかしくもなんともない。だが、兄の通う高校が男子校だと思い立った瞬間、なにも言えなくなった。  兄から相談を受けたのはそれきりだった。  黒米が中学生として初めての夏休みを迎える頃には、兄はいつも幸せそうな笑顔を携えていて、だから黒米は、ああそういうことか、と人知れず納得していた。  一度、図書館で勉強するから、ととてもその目的には削ぐわない表情で出かけていった兄を、こっそりつけていったことがある。男同士の恋愛というものに純粋に興味があったのと、相手を見てみたかったからだ。  兄が宣言通り市立図書館に入っていったことになんとなく安堵しつつ、適当な距離を保ちながらその姿を盗み見た。四人がけのテーブルの端っこに、兄が背を向けて座っている。  その向かいに――いた。  体格のいい兄よりはひと回り小さいが、ひどく顔立ちの整った小年がそこに座っていた。兄になにかを囁かれ、生まれたばかりの花のように顔を綻ばせている。  黒米は、唐突に理解した。  あれが、恋か。  兄は、二十三歳でこの世を去った。  その五年後、黒米は兄の恋人だった男と再会した。会社の先輩後輩として。  正体というと大袈裟すぎて嫌だが、きっと彼は黒米が〝兄の弟〟であることに気づいていた。だが、自分からはなにも言わなかった。  そのまま数年が過ぎ、あまりの激務に体調を崩した黒米は会社を辞め、友人に誘われるままにここ『HAREM』で働き始めた。  そしてひと月が過ぎた頃、また彼と再会した。今度は、客と店員として。  彼が兄との再会を求めてここにやってきたことは、わかっていた。その晩彼がVRで出会った兄となにをして、なにを話したのか、黒米は知らない。ただここを去っていく男の背中が、ピンとまっすぐに伸びていたことしか。  あれからまたひと月になる。  彼は今、どうしているだろうか。  *** 「おかえりなさいませ」  一時間のVR体験を終えた大学生は、放心状態だった。投げ出された下半身の中心が、うっすらと染みている。黒米はやんわりと苦笑し、部屋のアメニティコーナーからティッシュの箱を取り上げた。  ようやく視界に黒米の影を捉えた青年は、勢いよく身体を起こした。濡れた股間を覗き込み、かあっと頬を染める。黒米は僅かも表情を変えずに、ただ桜色の箱を差し出した。 「いかがでしたか?」 「……腑に落ちました」 「そうですか」  なにが腑に落ちたのか、聞かなくても分かってしまった。もしかしたら黒米の考えは間違っているのかもしれない。しかし、恐らくそういうことなのだろうと思う。  あの時の兄と同じ戸惑い、揺れていた青年の瞳が、今はしっかりとした光を灯しているから。 「ありがとうございました」  派手なネオンの下を潜り遠ざかっていく青年の背中は、まっすぐに伸びている。 「またお越しくださいませ」  決まり文句を紡ぎつつ、黒米は知っていた。この青年がこの店に足を踏み入れることは、二度とないだろう。  唇がなだらかな弧を描き、僅かに頬の筋肉が上がった。黒米は自分が微笑んでいることに気づかないまま、青年が消えた扉の向こう側を見つめた。  するとふいに動き出し、わずかに生まれた隙間からビートの聞いた音楽が外の世界へとなだれ出ていく。やはり、金曜の夜は人も街も眠るつもりがないようだ。  黒米は内心で小さく舌打ちする。まだ先ほどの部屋の清掃が済んでいない。 「申し訳ございません。ただ今満室で――」  現れた男は、ダークグレーのスーツに身を包んでいた。かつて黒米も所属していた企業の社章を襟につけている。  吉島(よしじま)享俊(たかとし)。  かつて兄の恋人で、また黒米の同僚だった男だ。 「吉島さん……」 「久しぶり」 「もう、来てくれないかと思ってました」  黒米は、自分の脳が選んだ言い回しに驚く。これではまるで、また来てほしいと待っていたようだ。  吉島の形の良い眉が、八の字を描いた。 「ちょっといろいろ立て込んでで」 「仕事ですか?」 「うーん……それもある」 「あ、本日はどのようなプランで……」 「ごめん、今日は客じゃないんだ」 「え?」 「飲みに付き合ってくれないかな、と、思って」  丸くなった黒米の瞳が、吉島の穏やかな表情を映し出した。そこには、あの時図書館で見たような華やかさはもうない。ただ僅かに潤んだ瞳が、色とりどりの光を反射してキラキラと輝いている。  黒米は、手首に巻きついている兄の形見を見下ろした。規則正しい時を刻むそれは、勤務終了時間のちょうど十分前を示している。蝶ネクタイをシュルリと解いた。首元が自由になり、身体が軽くなった気がする。  そうだ。  いったいなにをやっていたんだ。  今日は金曜日じゃないか。  今夜は、しこたま酒を飲もう。  かっこいい兄の話や、恥ずかしい兄の話や、おもしろい兄の話。  あらゆる兄の話を肴に、この人と酒を飲もう。  きっとこの人は泣くだろう。  俺も、泣くだろう。  大の男がふたりで涙を流す。  いいじゃないか。  それが、偲ぶということだ。 「行きましょうか」  繁華街へと足を踏み出した黒米の背中は、まっすぐに伸びていた。  fin
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