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『か』
祭壇の奥には秘密の扉があって。
そこは2年に1度開かれる。生贄を捧げるためだ。
生贄は神子の中から選ばれる。と、されているがこれは建前だった。実際は、教団が保護している孤児で……居なくなっても誰も惜しまぬ者が選別される。
今年白羽の矢が立ったのは、リトだった。赤毛で、痩せっぽちで、そばかすのある、リト。
リトは、教団の大人たちに連れて行かれた先でひと月、ご馳走を与えられ、これまでにない贅沢な暮らしを送った。良質な小麦で焼いたパン。食べたこともない高級な肉。野菜のうまみが溶け込んだスープ。もぎたてたの果実。
ぺちゃんこだったリトの腹には薄く肉がつき、栄養状態が良くなったお蔭で髪には少し艶が出た。
毎日温かな風呂が供され、そこで手の先から足の先まで磨かれたリトは、ひと月後の満月の晩には、真白な衣服を与えられた。その白装束は、女のまとうドレスのようにも見えた。
高そうな宝石のついた首飾りや腕輪。キラキラのそれらはリトには不相応に思えたが、拒絶する権利は与えられていなかったため、リトはじっとしていた。
やがて揃いの教団服の男たちがリトを連れて祭壇へと赴いた。高らかな祈りの言葉と、神に捧げる讃美歌の斉唱が終わり、ついに秘密の扉が開いた。
リトは背を押され、強引に中へと押しやられた。
与えられたのは、一本の松明だけ。リトは暗闇の中、それだけを頼りに歩を進めた。
扉の奥に続く、岩肌がむき出しのひんやりとした洞窟を、リトは恐る恐る歩く。
下り続けた道は、いつしか石段に変わった。リトは岩肌に右手を這わせ、慎重に段を下った。左側は奈落だ。暗闇の底がどうなっているのか、まったくわからない。
どれぐらい下りただろうか。ふと、伝っていた岩肌に、横穴が空いていることに気付いた。
リトぐらいならば屈まずとも充分に通れるその横穴へと、リトは入った。
カツ、と足がなにかを蹴る。照らしてみると、それは骨だった。
リトは思わず足を止め、まじまじと足元に散らばった白いそれらを見た。人骨だろうか。
リトは生贄だ。
この先に潜む……化け物のための生贄だ。
2年に1度、名誉ある役目だと言われて子どもがひとり連れていかれる。教団の大人たちに手を引かれて去った子どもは、二度とは戻って来ない。
だからリトも、自分の行く末はわかっていた。
痛いのかな、と少しの不安が込み上げてくる。
なるべく、痛くない方がいいな。
転がっている骨を避けて歩きながら、リトは、痛みが少なくて済むように神さまに祈りを捧げた。
やがて広い場所に出た。
「灯りを消せ」
不意にどこからか地底から響くような声が聞こえてきた。
リトは驚いてぐるりと回りを見渡したが、暗闇に包まれているため誰がどこにいるのかがわからない。
「灯りを消せ。眩しくてかなわない」
重ねて言われ、リトは松明を地面に捨てた。消せ、と言われても、火を消す道具などない。
リトはゆっくりと後退り、萌え続ける松明から離れた。リトが火の近くに居てはリトのことを食べづらいだろうと思ったのだ。
ひと月の間、リトがご馳走を与えられたのは、太らせるためだ。痩せっぽちの生贄では、化け物の腹を満たせない。
リトはしゃらりと鳴る腕輪を見て、これも外すべきだろうかと考えた。宝石や金属は、食事の邪魔になるかもしれない。
不意に空気が動いた。
冷やりとした大きな……手、だろうか。なにかがリトの顔を掴んだ。
僅かな灯りの中で……リトは見た。
巨躯の化け物が、リトの前に立ちはだかっている。
赤い炎が舐めるようにチロチロと浮かび上がらせたのは、獅子の頭だった。その腕には……びっしりとしたウロコがある。背中には黒い蝙蝠のような翼が。ゆらりと揺れた尾は……蛇だ。
この世のものではあり得ない姿だった。
色んな生き物を組み合わせ、歪に捏ね合わせてできたような外見の化け物が、リトの前で大きく口を開いた。
リトは静かに目を閉じた。
どうか痛くありませんように。
両手を組み合わせて最期の祈りを捧げる。
けれど、いつまで待っても牙はリトに食い込まなかった。
薄目を開けて窺ってみると、化け物がこちらを見下ろしている。
「おまえ、怖くはないのか」
尋ねられ、リトは首を振った。怖いものは、やはり怖い。足だって震えている。
そんなリトを見て、化け物が自身の顎を撫でた。
「悲鳴のひとつもないと、面白くない」
そう吐き捨てた化け物が、リトに背を向ける。そのまま静かな動作で遠ざかろうとするから、リトは慌てて追いすがった。
化け物の、温度のない腕をトントンと叩く。
化け物はぎょっとしたようにそれを振り払い……己の腕とリトとを見比べた。
リトは首に巻き付いている装飾を外し、化け物へと喉元を晒した。
リトの首には、大きな傷痕がある。声を出せぬように、声帯を切られた痕だ。
化け物が無言でリトの首筋を見つめた。
「声が出せないのか」
問われて、リトは頷いた。
リトは地面に両膝をつき、指を組み合わせて化け物を見上げた。
食べて下さい。
唇の動きだけで、そう乞うて。
リトは頭を捧げるように、深く深く項垂れた。
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