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『み』

 化け物はリトを食べたりしなかった。  やはり、しゃらしゃらと首や腕に巻き付いているこの飾りが邪魔なのだ、とリトは考え、不器用な手付きでそれらを外そうとした。  しかし、チェーンが絡まっているのか中々外せない。 「なにをしてるんだ」  呆れたように、化け物が言った。  リトは説明しようとしたが、そもそも声が出ないため、伝えようがなかった。  だからリトはもう一度、食べて下さい、と唇を動かした。  化け物の、獅子の顔が奇妙に歪んだ。  「下らん」と、彼は言った。 「俺は食べん。いいか。この洞窟を真っ直ぐに行け。そのうち外へと繋がる。おまえがつけているその宝石は高く売れるんだろう? 上手くすれば生活には困らないはずだ。行け。横道があるから間違えるなよ。真っ直ぐだ」  ウロコの生えた手で、化け物は道の奥を指さした。  地面に落ちた松明の火は、もはや弱い。早く持ち上げなければ消えてしまうかもしれなかった。  化け物は、ポカンとするリトを残して、踵を返す。リトは慌ててその後を追った。 「こっちじゃない。向こうだ。付いてくるな」  鬱陶しげに腕を振った化け物の、蛇の尻尾がリトへと牙を剥く。ビクッとして立ち止まったリトを置いて、化け物はずんずんと去ってしまった。  リトはしばし立ち止まり……やがてパタパタと走りだした。  松明から離れると、視界は真っ暗だ。地面の出っ張りに足をとられ、リトは転んだ。  じんじんと膝が痛む。リトは身を屈め、痛みが治まるのを待った後、再び進みだした。今度は走らずに、ゆっくりと。転ばないように、慎重に。  しばらく行くと、うっすらとした光源に行き当たる。  岩肌がところどころ、仄かな青色に光っていた。  きれいだった。  炎の赤色とはまったく違う、うつくしい青いひかり。  化け物が松明を眩しいと言った理由が、リトにはわかる気がした。  ふと見れば、小山のように壁に寄り掛かる影がある。  化け物だ。  リトはそっと歩み寄り、そのウロコの腕をトントンと叩いた。  化け物がぎょっとしたようにリトの手を振り払い、鋭い瞳を険しく歪めた。 「なにをしている。道がわからないのか?」  低く問われて、リトは首を横に振る。  そして、ゆっくりと唇を動かし、化け物へと伝えた。  神さまと一緒にいます。  化け物が唖然とリトを凝視した。 「神さま、だと?」  はい、とリトは頷く。  教団の奥には神さまが居て、神さまを慰めるための生贄なのだと、リトは言い聞かされていた。  見た目は恐ろしいこの化け物が、神さまかどうかは、リトには関係ない。  リトはどこに居たって役立たずな人間だったから……相手が誰であってもリトが慰めることができるのなら、それは嬉しいことだった。  お腹が空いているなら、食べられたって良かった。  痛いのは嫌だけれど……リトで役に立てるなら、使ってほしかった。 「神さまなものか」  化け物が、歪んだ笑い声を響かせて吐き捨てた。  見ろ、とウロコの腕を、リトへと差し出して。化け物が言う。 「おまえの手の熱で溶けた。俺の肌は温度を持たない。おまえたちとはなにもかも違う。こんな醜悪な神が居るものか。俺は神じゃない。ただの化け物だ。わかったら行け」  化け物がリトが来た道を指さした。  リトは、化け物の……潰れたウロコの腕を見て、ほとりと涙を落とした。  すみません、と唇を動かす。  リトの体温で火傷するなんて知らなかった。知っていたら、腕になんて触らなかったのに……。  すみません。すみません。  謝り続けるリトを、化け物が無言で見つめている。  ウロコの火傷は、どうすれば治るのだろうか。なにか、薬はないのだろうか。  リトはキョロキョロと周囲を窺った。  向こうの奥の方から、水音が聞こえている。水で冷やせばマシなはずだ。そう思い至ったリトは、涙を拭ってパタパタと走った。 「おい。そっちじゃない。出口は反対だ」  化け物の声が追って来たけど足は止めなかった。    奥には地下水が流れる川があった。けれど、リトの立つ岩場よりも一メートルほど低い場所だ。  その段になってリトは、水を入れる容器がないことに気付いた。  手で掬いとれば、化け物のウロコを冷やせるだろうか。  リトはその場に腹ばいで寝そべり、思い切り両手を水面へと伸ばした。  リトの小さなてのひらが、冷えた水を掬い取る。  と、思った瞬間、後ろ襟を掴まれてぐいと引き戻された。  ぐっ、と喉が詰まり、咳が出た。 「その川は深くて流れが速い。落ちたら死ぬぞ」  振り返ると、鋭い爪の先にリトの服を引っ掛けている化け物が、呆れた顔で立っていた。リトを心配してくれたのだ。  リトは嬉しくなって、少しだけ笑った。  そして、てのひらの水を化け物に渡そうとして……ほとんどが指の隙間から零れてしまっていることに気付き、情けなくなって項垂れた。 「何をしようとしたんだ」  化け物に問われ、リトは化け物の腕と水を交互に見た。 「…………火傷を冷やそうとしたのか?」  リトの意図を汲み上げてくれた化け物が、訝し気に呟いて……それからなんとも言えぬ表情で、ほろ苦く笑った。 「変な子どもだな、おまえは」         

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