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『さ』

 陽の入らぬ暗い洞窟で、リトと化け物のふたりの生活は静かに始まった。  というのも、さっさと地上へ戻れという化け物の言葉をリトが受け入れなかったため、化け物が口をきいてくれなくなったからだ。  リトは喋れないから、結果、静寂ばかりが訪れる。  化け物は食事をしない。  リトが見ている限り、なにも食べていない。  お腹は空かないのだろうか。  洞窟内は光る鉱石があちこちに埋められていて、目が慣れると不便なく周囲を見ることができた。  洞窟の一画を化け物は巣にしているようで、ぼろぼろの布の掛かる岩の寝台があった。  リトは布を川の水で洗って干し、代わりに自身の纏っていた白い装束の上着をほどいて寝台へ敷こうとしたが、化け物が無言で新しい布をどこからか取り出して投げてきたため、それを新しいシーツとした。  化け物の纏う服は数着あったが、どれも年季が入っていて、リトはそれらもすべて洗濯することにする。衣類の入っていた籠には裁縫道具も納まっていて服の修繕ができそうだったからだ。  細細(こまごま)と動き回るリトを、化け物は呆れたように眺めていたが、やがて背を向けてどこかへ行ってしまった。    空腹は、水でごまかした。  風呂などもないため、水に浸した布を絞って、それで体を拭いた。寒くて歯の根が合わなくなる。  それでもリトは、温かいより寒い方が安心だった。  自分の肌が冷えていれば、万が一化け物に誤って触れてしまったときも、彼を火傷させずに済むだろう。  太陽も時計もないため、時間の経過がわからない。  数時間なのか数日なのか判然としないままに、リトは洞窟で働き続けた。  お腹がぐうと鳴る。  空腹で足元がふらつき、体を動かすのも億劫だった。  けれど、働くのをやめてしまっては、リトがここに居る意味がなくなる。  へたり込んだリトは、こぶしで自分のお腹をドンドンと叩いて、よし、と顔を上げた。動けなくなる前に、化け物の服の修繕だけはすべて終えておこうと決めた。   「まったく」  不意に上から声が降って来た。  ごつごつとした地面に座ったまま、リトは顔を仰のけた。  久しぶりに見る気がする化け物が、呆れたようにリトを見下ろして嘆息した。 「放っておけば嫌気がさして出て行くと思ったのに……頑固な子どもだな、おまえは。……来なさい」  化け物の鋭い爪のあるウロコの手に招かれて、リトはふらふらと立ち上がる。  化け物が先に立って歩き出した。とてもゆっくりとした足運びだ。  リトのために、速度を落としてくれているのだと、リトは感じた。  化け物の蛇の形の尾が、ゆらゆらと揺れながらリトを見ている。リトはちからの入らない足を頑張って動かした。  連れて行かれた場所は、横穴のひとつだった。  そこは……台所のような設備になっていて。  かまどには……火が。  火が、入っていた。  リトは揺らめく赤い炎を茫然と眺めた。  なぜ、火が。 「そこの籠に魚と水草が入っている。火を通せば食えるんだろう? 適当に使え」  それだけを言い置いて、化け物が去って行った。  台所は整然としていた。  化け物がリトのために掃除してくれたのだろう。  古びた食器も、けれど綺麗に洗われている。包丁も、ちゃんと研いであった。  かまどを確認してみると、黒い石が燃えていた。ふと見れば台所の脇にもそれはたくさん置かれていて、これが燃料なのだと知れた。  魚はまだ生きていた。これもまた、化け物が川でとって来てくれたのだろう。  リトは魚を捌きながら考えた。  化け物は食事をしない。多分、していない。この台所だって、随分と長い間放置されていた場所なのだろう。  ではこの台所は。いったい『誰のために』つくられたのだろうか。  リトは久しぶりの食事を終え、食器を綺麗に洗ってから、歩き出した。  リトは一度川へと行き、冷たいその流れの中にしばらく両手を浸からせた。  キンキンに冷えて、感覚がなくなった頃にようやく水から手を引き抜いて、化け物の巣へと戻った。  化け物は寝台に横になり、こちらに背を向けている。  リトはほんの指先で、トントンと化け物のウロコの手を叩いた。  化け物がごそりと寝返りをうち、リトを見て怪訝な顔になる。  リトは彼へ向かって唇を動かした。  ありがとうございました。  化け物の眉間にしわが寄った。 「その手はどうした」  ぎろり、と手を睨まれて、やはり火傷をさせてしまったのかとリトは狼狽えた。  すみません。川の水で冷やしてきたんですが。  慌てて化け物から遠ざかろうとしたリトの手首を、化け物の手が掴んだ。  いけない。化け物の手がリトの体温で焼けてしまう。  リトは咄嗟に振り解こうとした。けれど化け物の手は離れない。 「真っ赤じゃないか。バカなことをするな」  神さま。神さまの手が。  パクパクと口を動かしたリトへと、化け物がなんとも言えぬ表情で、首を横へ振った。 「てのひら部分は、耐性がある。大丈夫だ。俺のウロコは傷を負ってもすぐに治る。おまえたち人間は脆いんだ。俺のことより、自分を大切にしろ。いちいち手を冷やす必要などない」  苦い声で告げられて、リトは自分が失敗したことを知った。  化け物に、つらい顔をさせてしまった。  ごめんなさい、とリトは詫びた。  獅子の顔が、片頬でちらと笑った。 「まったく……おかしな子どもだな。おまえがここに居たいというなら、一週間だけ相手してやろう。期日が過ぎたら地上へ戻れよ」  化け物の譲歩に、リトはなんと答えていいのかわからずに……曖昧に頷いた。 

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