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『ま』

 リトのために火を(おこ)してくれた化け物のウロコは、やはり爛れていた。  リトは薄絹を水に浸し、それで彼のウロコを覆った。  獅子の顔がちらと微笑む。  一週間、リトの相手をすると言ったその言葉通り、化け物はその日からリトの世話を焼いてくれた。  火に近付くことが出来ない代わりに、どこからか食料を調達してきてくれる。リトはそれを調理し、化け物の隣で食べた。  神さまの分です、と化け物へ料理を取り分けてみたが、化け物は首を振って手を付けなかった。  神さまは食事をしないのですか?   リトは唇を動かして、そう問いかけてみた。 「昔は人間を食べていた」  と、化け物は答えた。  では、ここへ来るまでに見たあの骨は、やはり生贄のものなのだ。  僕を食べてもいいですよ。  リトはそう言ったが、化け物は鼻で笑っただけだった。  お腹は空かないのですか?  自分ばかりが食べている状況が申し訳なくなり、リトは匙を置いて首を傾げる。 「腹は減らない。俺の体は死んでいるようなものだ」  化け物は肩を竦め、ごろりと寝台に横たわった。  壁の方を向いた、その背が。  さびしそうに、見えて。  リトはそっと化け物へと這い寄った。  リトにできることはないだろうか。  食べてもらうこともできないなら、なにか他に、この化け物のためにできることはないだろうか。  リトは恐る恐る、獅子の頭に触れた。  ウロコの皮膚には触ることはできないから。毛皮に覆われた頭部なら、触っても大丈夫ではないかと考えたのだ。  やわらかな毛を、てのひらでそっと撫でる。  化け物が寝返りを打ち、こちら側を向いた。 「俺が怖くないのか」  蛇の尾が持ち上がり、先端の顔からチロチロと赤い舌が伸びた。  リトは静かに首を振り、怖くありません、と唇を動かした。  リトのために魚を獲り、リトのために火を(おこ)してくれた化け物。  ここから立ち去れと、リトを逃がそうとしてくれた化け物。  触れると火傷してしまう、繊細なウロコを持つ化け物。  そんな彼を、どうして怖がることができるだろうか。  怖くありません。  繰り返して、リトは化け物の頭を撫で続けた。  子どもをあやす、母親のように。  よしよし、と。さびしくないよ、と。  リト自身は、してもらったことがないけれど。  化け物のさびしさを、少しでも和らげることができればいいと、願いながら。  リトは、化け物の毛を撫でた。 「おかしな子どもだ」  ぽつりと、化け物が呟いて目を閉じた。 「俺にこんなふうに触れてきたのは、おまえで二人目だ」  吐息のように、低い声を漏らして。  化け物が、すり……とリトの手に頬をすり寄せた。 「カイリ、という少年が居た」  ある日、リトが化け物の隣で衣類の修繕をしていると、化け物がぽつりぽつりと語り出した。  『一人目』の話だと、リトにはすぐにわかった。  リトが化け物を撫でた日から、化け物とリトの距離は近付いたように、リトには思えた。  だから、化け物が話してくれたのが嬉しかった。 「俺はその頃、おまえのように送られて来た生贄を食べていた」  化け物の口には、鋭い牙が生えている。  頑丈な顎と、その牙で。  彼は生贄の少年たちを食べていた。  生贄は化け物の姿を見ると悲鳴を上げ、逃げ惑う。  それを捉えて、食らった。  血を啜り、骨をしゃぶった。  お腹が空いているのですか、と、ある時問われた。  化け物を見ても悲鳴を上げず、恐怖に怯えなかった変わった子どもであった。  腹など空いていない、と化け物は答えた。  なら僕を食べないでください。  おまえは食べられるために来たのではないのか。  あなたのお腹が空いているのなら、喜んで食べられます。でもあなたはいま、お腹が空いていないと言いました。  確かに、腹は減っていない。  では、お腹が空いたら食べてください。それまで僕は、あなたのお傍に居りますから。  淡々と交渉してきた少年に、化け物は面食らい、けれど久しぶりに命乞い以外の言葉を聞いた高揚から、少年の提案を受け入れた。  その日から化け物と少年……カイリの生活が始まった。  その頃はひと月に一度、生贄が送り込まれてきていた。  カイリは新しい生贄が来る度に、お腹は空いていませんよね、と化け物に確認し、生贄を逃がした。  化け物はなるほどと思った。  カイリは他の人間を助けたくて、自らの命を懸けているのか。  化け物の傍になど、本当は居たくないだろうに、そうしないと他の人間が食べられると思っているのだろう。  化け物が、ひとはもう食べぬ、とひと言、約束すれば。  カイリは安心して此処を去ってしまうだろう。そうなれば化け物はまたひとりになってしまう。  話し相手もない、孤独な生活に戻ってしまう。  それはさびしいな、と化け物は思った。  ひとりはさびしい。  だから化け物は、カイリをこのまま自分の手元に置くことに決めたのだった。   いつ俺の腹が空くかは解らぬぞ、と言って……。   

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