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『げ』

 空気が騒めいている。  化け物は顔を巡らせた。  なんだ、この気配は。  ざわざわ、ざわざわ。  獅子のたてがみが警戒も露わに震えた。  やがて化け物の耳が、たくさんの足音を捉える。  ガチャガチャと鳴っているのは甲冑だ。武装した人間たちが、化け物の住処に侵入してきたのだった。  化け物は近付いてくる音を聞きながら、なぜいまなのだ、と不審に思った。  人間たちがいずれ、化け物を処分しに来ることはわかっていた。  なぜなら彼らは齢をとるからだ。  人間たちは齢をとり、世代交代を繰り返す過程で、己たちの犯した罪を忘れ去ってゆく。  神を創る、という大罪ですらも、いまそれを知る者は教団のごく一部なのだろうと思えた。  それは、生贄が送られてくる間隔が、一週間から二週間、ひと月からふた月、一年から二年おきと、次第に間遠になってきたことからも察せられる。  だからきっとその内に、化け物を殺すなという神の命ですら薄らいで、神殿の地下に住まう化け物を処分しに来るだろうと思っていた。  しかし。  なぜ、いまなのだ。  恐ろしい予感に、化け物は手をぎりぎりと握り締める。  脳裏には、今朝がた別れた子どもの顔があった。  リト。  化け物を恐れるどころか、化け物を慰撫しようとして触れてきた子ども。  離れがたくて、華奢な体を抱きしめた。そのときに負った火傷は、まだ化け物のウロコを爛れさせている。  リトがここを去った後に、教団の人間たちが踏み込んで来た、ということは、なにを意味しているのか。  リトはまさか。  外には向かわなかったのか。  教団に、戻ってしまったのか。  なぜだ。  なぜだ。  なぜだ。  湧き上がって来る焦燥をこらえきれずに、化け物はゴツ、とひたいを壁にぶつけた。  ゴツ、ゴツ、ゴツ、ゴツ。  足音はすぐそこまで近付いてきている。  リトが化け物を殺すために、教団の人間を連れてきたわけではないだろう。  リトを疑う気持ちは、欠片もなかった。  ないことが、化け物を絶望させた。  化け物からカイリの話を聞き、生贄が教団へ戻ることがどれほど危険なことかを知っていたリトが。  それでも尚あの場所へ戻った理由など、ひとつしか思い当たらなくて。  化け物は胸を掻きむしった。   鋭い爪は、服越しに化け物の皮膚へと食い込んだ。    不意に眩しい光が目を射た。  松明を掲げた数十人の男たちが、化け物の退路を断つように横へと広がり、洞窟内に立ち塞がっていた。  化け物は腕を目の前に掲げ、炎の光を遮った。  武装した男たちが、己で照らし出した化け物の姿に動揺の声を放った。 「化け物だ」 「本当に居たのか」 「なんて醜い体だ」  ひそめた囁きが男たちの間に伝播する。それを静めたのは、金糸の刺繍を施した教団服を纏う、ひとりの男であった。  彼は化け物の前へ二歩歩み出ると、嫌悪に歪んだ視線を化け物へと這わせた。  神よ、と男は言った。  神よ。生贄のなにがお気に召さなかったのですか。あなたさまはひとを食らう神だと、代々の祭主から引き継いでおりますれば、それに(なら)い神子を納めてまいりました。あなたさまに食われることより他に、神子にどのような役割がありましょうや。教団はこれからも、あなたさまに生贄を捧げ続けます。  男の声が、高らかに洞窟に反響する。  そうか、と化け物は悟った。  化け物がひとを食らうほうが、教団にとっては都合が良いのだ。  ひとを食う恐ろしい神の上に神殿を置き、その神を鎮めているのだという、大義名分のために。  神をひとの手により創り出そうとした大罪は、時を経て、そんな大義へとすり替わっていたのか……。  それゆえにカイリは殺された。  化け物はもうひとなど食べぬというカイリの主張は、教団にとっては不都合なものであったから。  そんなことのために、カイリは殺されたのだ。  祭主がおもむろに右手を上げた。  それを合図に、怖々とした動作で、ふたりの男が漆塗りの盆を捧げ持って祭主の両隣りに並んだ。    神よ。納めたまえ。あなたさまの元を逃げ出した、罪深き生贄を。  ごとり、と地面に盆が置かれた。  ずず……、と化け物の方へ押しやられたその上には。  片側には、焼けた肉片が。  もう片側には、血のしたたる内臓が、置かれてあった……。

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