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第11話

 その日の帰宅は、やっぱり真夜中になった。  爆発現場を横目に見ながら誰もいない不気味な通りを歩く。  積み重なる瓦礫や、横転したままの車を見て、昨日までの出来事が夢じゃなく現実なんだと思い知らされた。 「……ただいま」  小さな声でそう言って屋根裏部屋に帰ると、中は電気もついていなくて、真っ暗だった。  というか……そもそも人の気配が感じられなかった。  不安な気持ちになって、シンとした深い闇の空間に向かって呼びかける。 「ミハイル?」  何の反応もなかった。 「……」  もしかしたら、こんな家に居るのが嫌になって居なくなったのかもしれない。  そりゃあそうだ……こんなテレビすらない小さな部屋に一日中押し込められたら嫌になるだろう。  でも、心配だ。見た目は大人だけど、彼はまだ子供なのに。  こんなに寒いのに行き場が無くなって凍死、なんてことになったら……。  探しに行った方がいいのかも……。  悩みながらも一度リュックを下ろした時だった。  突然、肩に圧迫するような力を感じた。  背後の暗闇から、誰かが俺の肩を掴んでいる。 「!?」  すぐに振り向こうとしたけど、それが敵わないほど凄い力で羽交い締めにされた。 「ひっ……っ!」  恐怖の余り上手く抵抗も出来ず、叫び声も出ない。  殺される、と絶望した瞬間、後ろからからかうような声音が上がった。 「びっくりした? お前、遅いんだもん」  低く艶っぽい大人の声なのに、どこか幼いその口調には覚えがある。――ミハイルだ。 「はぁーっ……」  一気に力が抜けて、彼の厚い胸に倒れこむような形になった。 「びっくりしたよ……」 「なぁ、すげえ腹減った」  耳元すぐ近くで言われて、擽ったい。  しかも、筋肉で張りと弾力のある胸が本当に、離れがたいくらいあったかい。  やっぱり、でっかい犬を飼ってる気分になる……けど、犬ならこんな驚かすような悪戯はしない。 「なんで電気つけてないの……っ」 「下から誰か来る気配がしたから何となく消したんだ。泥棒だったらヤバいだろ? ドアないし。……抱きついたのは、悪戯だけどな。お前があんまり遅かったから」  ううっ、子供っぽいことするなぁ!  いや、子供なんだけど。 「遅くなってごめん。ちょっと待ってて、夕飯作るから」  そう言うと、大きな身体がのっそり離れていって、壁際の電気をパチンとつけた。  明るい部屋で改めてベッドの上を見ると、カラフルな表紙のペーパーバックの本が散乱している。  ジュール・ベルヌの「80日間世界一周」とか、マーク・トゥエインの「王子と乞食」とか――俺が中学生の時に母さんに買ってもらった、懐かしい本のタイトルが目に飛び込んだ。  本棚の一番奥にしまい込んでいた、少年少女向けの文学だ。 「……本、読んでたんだ……?」  問うと、彼は頷き、ベッドに寝転がってまた、一冊を開いた。 「暇だったから」  確かに、本以外何もないもんな。パソコンも、すごい旧型のがひとつあるきりで、しかもワイファイのある場所に行かないとネットにつながらないし……。  本のタイトルを覗き込むと、今彼が読んでいるのは、C・S・ルイスの「ライオンと魔女」だった。  子供達が異世界へ出かける、ファンタジー冒険譚。 「変なんだ、俺。ロシア語しか読んだり書いたり出来なかったはずなのに、ちゃんとお前の本の字が読める」 「……大人になってからフランス語勉強したのかもしれないね」  記憶は失ってても、勉強したことはちゃんと身体が覚えてるのかもしれない。  でも、児童文学や冒険小説が好きなのは子供らしいな……。  見た目がごつい男性がそんな本を読んでるのを密かに可愛く感じつつ、俺は本棚の裏にある狭いキッチンに入った。  朝、部屋を片付けるついでに水に浸しておいた米を出し、水と一緒に鍋に移して電気コンロにかける。  いつか日本製の炊飯器を買うのが夢なんだけど、お金が無いからコメはいつも鍋で炊いていた。  鍋の蓋を閉じ、今度は冷凍庫から透明な袋入りの餃子を取り出して、となりのコンロでフライパンを熱し、上に餃子を並べてゆく。  職場で貰った、賞味期限ギリギリの冷凍餃子だ。 「ミハイル、ベッドの頭側の隙間に折り畳みのテーブルと椅子が突っ込んであるから、出してもらえないかな」  ベッドにいるはずの彼に声を掛けると、ギシッと木のフレームの軋む音がして、パタンパタンと折りたたみ式の小さなテーブルを組み立てる音がした。  俺も、母さんといた頃よく夕飯の準備を手伝ったっけ。  懐かしい気持ちになりながら、餃子を何回かに分けて焼き上げてゆく。  最後に炊き上がったご飯を冷凍のミックスベジタブルと炒め、炒飯を作った。 「できた」  本棚の向こうに戻ると、ミハイルが小さい椅子からはみ出ながらも何とか座っている。  お待ちかねのハンサムな青年の前に、俺は急いで皿を並べた。  ミハイルが片眉を上げ、立っている俺を見上げる。 「お前の椅子がない」 「俺は勉強机の椅子を兼用にしてるから大丈夫」  そう言うと、彼は今度はテーブルに皿を並べた俺の手元をじっと覗き込んだ。 「嗅いだことのない匂いがする……何だそれ」 「餃子だよ。中華料理。この、酢と醤油で食べると凄く美味しいから」  説明しながら小皿に調味料を注ぎ、食べやすいようにフォークとスプーンを渡した。  やっぱり初めて見る食べ物だと抵抗あるよなぁ。  母さんが生きてた頃はこのベルヴィル界隈で材料を調達して、よく作ってたから、俺は好きなんだけど……。  ミハイルは長くうねった前髪を耳の後ろにかきあげて、綺麗な眉を寄せながらフォークで餃子をブスリと刺し、形のいい唇の中にそれを入れた。  高い頬骨と細い顎がムグムグと動いて、群青色の切れ長の瞳が見開かれる。 「……!」  不安になる俺の目の前で、彼は両手をスピードアップさせて山盛りの餃子を次々と口の中に放り込み始めた。  昼間のサンドイッチの時と同じ感じなので、どうやら美味しかったらしい……。  安心して席について、俺も自分の炒飯をスプーンで口にし始めた。  その間も、ミハイルはヒョイヒョイと餃子を大きな口に入れていく。 「ご飯も食べて」  平皿に盛った炒飯をスプーンと共に差し出すと、素直にそちらも食べてくれて、山のように焼いた餃子が俺の分まであっという間に無くなった。 「……あれ……? マコトのは……?」  最後に気付いたみたいに問われて、思わず吹き出す。 「大丈夫、まだあるし、焼くから。気に入ってくれてよかった」  席を立ちながら、可愛いなぁ、なんて思ってしまった。  見た目は大人の男だけど、なんだか弟が出来たみたいだ。  そういえば昔、弟か妹が欲しいと言って母さんを困らせたっけ。  家族は母だけ、親戚も一人も居ない、そんな子供は学校でも俺だけで、寂しかったんだろうな。  何だか胸のあたりが温かくなって……、でも、ミハイルの背後にあるベッドが目に入り、はっとした。  あのマットレスの下には銃がある。  俺と彼が全く違う世界の住人だという証拠が。  彼の頭の怪我が治ったら、その後はどうすればいいんだろう。  迷子として警察に連れていく、とか?  でも、嫌がる彼を警察に預けるなんて、絶対にミハイルを傷付けてしまう。  本棚の影に入り、餃子を焼きながら、彼をどうしてあげることも思いつかない自分に、密かに溜息をついた。
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