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第7話

「とりあえず、不得意なことが得意になる、なんてことはないってことか……」  あの後、厨房にもう一度顔を出して全員に謝ってはみたものの、厨房を取り仕切っている牛の獣人はまだ怒っているようで謝罪を完全に受け入れてくれたようには思えなかった。ついでに彼らのご主人様のお気に入りのカップも蓮が原因で割れたことすら彼らも知っているだろう。  社会人をやっている時もパワハラ体質の上司から頻繁に怒られていたので、やはり自分はダメ人間なのか……と歩くごとに落ち込んでくる。  とぼとぼとした足取りで屋敷の中を歩いていると、ふと重厚そうな他の部屋とはまた違った雰囲気の扉を見つけた。そっと押してみるとあっさりと扉が開く。あまり開け閉めされることはないのか、少し軋む扉から中に入ると、そこには視界を覆うばかりに本が並べられていた。 「すごい、図書室かな」  天窓から光がこぼれ落ちているので真っ暗闇ではないが、それにしてもすごい本の数だ。書架を一つ一つ見て回りながら、時々本を出して開いてみたがさし絵のようなものはほとんどなく何が書かれているのかも分からない。 (本当異世界って感じだな。ここ)  夢の世界にしてはよく作りこまれている。本は蓮が知るものと同じ構造だが、使われている紙の材質はザラザラとしていて滑らかではないし、どの本も綺麗で読みやすくはあるが書かれた文字は手書きのようである。 「文字が読めたらな。どうやって勉強すればいいんだろう」 「……文字が読めなかったのか?」  不意に後ろから声をかけられて、蓮は間抜けな悲鳴を上げた。声をかけてきた相手――ウルは苦虫をつぶしたような顔でこちらを見ているが、自分一人が悪いのだろうかと蓮は納得いかない気持ちになる。 「さっきから、どうして? 仕事中じゃないのか?」 「……自分の屋敷にいたら悪いのか。少しお前に聞きたいことがあって戻ってきただけだ」  やはり自分と何か話をしたかったのか、と蓮はばつが悪くなったが、相手の怒っている雰囲気にも笑顔を封じて唇をかみしめてから「ごめんなさい」と声を絞り出す。さすがの夢世界の不機嫌男――ウルも「なんだ?」という表情になる。 「俺、結構思い込みとか、不注意なところが多くて。できるふりして厨房のみんなにすごい迷惑かけちゃったし、さっき、俺と話をしようとしていたんだろう? なのにぶつかってウルのものを壊してしまってごめん」  無表情なままウルは蓮を見ていたが、所在なさげに視線をちらりと天窓へ逸らすと、盛大なため息をついた。それに蓮がびくりと肩を震わせたところで「もういい」と短く返事をした。   やはり自分の夢の世界の住人といえど、簡単に距離は縮まらないのかもしれない。陽一と初めて出会った時――それから、どうやって仲良くなったのかを思い出そうとしたが、あまりにも遠くてもう、思い出せなかった。 「ごめんなさい、俺――」 「謝罪はもう受け取った。お前は変な奴だな。何も気にしない無神経な男なのかと思えば突然感情的になったり、忙しいことだ」  確かに「何も怖いものがなさそう」とか「無神経そうだ」とかは度々言われてきたが、感情的になってしまうのは思ったよりも蓮がこの状況に動揺しているからなのかもしれない、と思う。  けれど、『感情的になった』蓮に気づく相手なんて、家族か陽一や美緒といった付き合いの長い者たちばかりだったので蓮は正直驚いてもいた。ウルは蓮が思っていたよりもずっと人の感情の機微に敏いのかもしれない。 「ほら、もう辛気臭い話は終わりだ。……私のお気に入りを壊した罰については、別なところで償ってもらうことにする。字を教えてやるから、こちらの明るい方へおいで」  壊した罰……まさか鞭打ちとか、と反射的に言い返しそうになってしまったがさすがにこの雰囲気を壊すのは怖くて蓮はウルが明るい方、と指さした方に歩いていく。  ウルおすすめの子ども向けらしい本を使いながら字を教え始めたウルの低い声音は今までに聞いたことがないくらい優しいように聞こえて、思わず寝入った蓮が次に目を覚ましたのは自分の寝室の上だった。

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