19 / 96

第19話

「この度は我が神子のせいで危険な目に遭わせてしまい申し訳なかった」  このアルラ国の王に玉座からではあるが深々と頭を下げられて、蓮は恐縮しながらも隣にいるウルへと助けを求めるように視線を動かす。ほとんど無表情と言っていい顔で姿勢よく立っているウルはしかし、蓮の視線には気づいていないとばかりに黙している。 「いや、まあ神子様が俺に切りかかってきたわけじゃないですし、偶然の事故みたいなものなので……神子様の方にお怪我がなくて、良かったです、ハイ」  会社員時代に社長と話すことになった時よりもさらに緊張して蓮が返事をすると、王は鷹揚に頷いてほっとしたような表情になった。 「エイデス。こうやって謝罪を受け入れてくれたということは、例の話も進めて良いだろうか」 「……私は反対です、陛下。その話は直接私の伴侶にはしないという約束では」  よく分からない展開に、ぴり、とウルに緊張したような空気が漂った。どうやら蓮も聞かされていない話があったらしい。きょろきょろと蓮が王とウルとを交互に見ていると、やがて大きな扉から従者たちに付き従われた神子様が現れた。相変わらず表情は暗く、足取りは重そうだったが蓮を見つけた瞬間にはっとした表情になる。 「なに、エイデス家にも悪い話ではあるまい。……レンと申したな。レンには神子の話す言葉が通じるのだとか……ご覧のとおり、神子は話の通じるものもおらず日々衰弱している。たった数分でも構わん、神子の相手をしてくれないだろうか。給金は弾むし、なんなら城に住んでも構わん。エイデス専用の部屋もあっただろう」 「陛下……!」  ウルが大きな声を上げたが、蓮の耳にははっきりと『給金は弾む』という言葉がインプットされた。神子様が何かに追い詰められているのは確かに分かるし、ほんの数分話しただけで給金がもらえるのなら美味しい話ではないだろうか。エイデス家でのんびり庭いじりをするのは楽しいが、城と屋敷を行き来できるようになれば気になっているあちこちに顔を出すこともできるかもしれない。 「あの、屋敷から通いでも構わないなら。お給金はウルに渡してください」  隣にいるウルからの怒りに満ちた視線は感じたが、この場ではウルよりも王の方が立場が上で決定権もある。  うつろな目でこちらを見てくる神子様にへらっと笑いかけながら、蓮は行きたい場所を頭の中で数え始めていた。 *** 「私はどうしても反対だ。あの男は勝手にレンを連れ出しておいて、レンを見捨てて逃げたんだぞ!」  城の中にあるウル専用の部屋というところに連れ込まれて、蓮は曖昧な笑いを浮かべていた。ここで引き下がっては異世界を満喫することができない。確かに神子様――シュウが蓮のことを連れ出さなければあんなことにはならなかったのだが。 「まあ、でも誰だって逃げちゃうよ、あんな状況は。なんかさ、神子様ってすごい暗いし……ちょっと心配じゃないか。誰にも話が通じないって辛いよ。特に、こっちのみんなと話が通じるともあの人は思ってもいないから、尚更」     真面目な顔で言い返した蓮に返ってきたのは、深いウルのため息だった。 「あの男はレンを裏切っている。次に、どういう風に裏切ってくるかが予測つかないのが気にくわない。……屋敷にいるのなら、守ってやれる。金が欲しいならマリナに言うようにいっているだろう。手持ちがもっと欲しいのか?」 「城の中だし、王サマもいるのにそこまでしないんじゃないか。お金が目当てなわけじゃないよ、いや……本当に」  ついついブラック企業で働いていた時の、稼ぐことに異様なまでの飢えが出てしまい、蓮は慌てて違う違うと手を小さく振ったがウルの眼差しは完全に蓮を疑っている。 「今度、レンが酷い目に遭うようだったら私はあの男を神子とはいえ許してはおけない」 「え……いや、俺はそんな大層な人間じゃ……」  お金に対しては恐ろしいまでの意欲を叩きこまれたけれど、蓮がブラック企業で植え付けられたのは『自分という存在の無価値さ』でもあったので言外に蓮が大事だと言われると途端に動揺してしまう。かつて、両親がいた頃にはたくさん愛情を注いでくれた記憶はあるし、幼馴染や友人たちも酷い言葉を投げつけてくるようなことはなかったけれど、毎日「お前は役立たずだ」「とっとと死ねばいいのに」と言われ続けると、自分には何も意味などないのだな、と変な方向に明るく解釈してしまうようになってしまった。 「ウル?」  どうやって話を続けよう、と悩んだ蓮の髪にウルの指が触れてきたかと思うと、一気に抱き寄せられて蓮は更に動揺した。個室とはいえ、ここはウルの職場も同然なので屋敷でお戯れするのとは話が違うのだ。 「なになに、どうしたんだよ! こんなところでお戯れは禁止じゃないのか」 「お戯れ……? 何を言っているんだ。神が決めた伴侶とどこで何をしようと、罰せる者などいない」  いや、さすがに色々とできる場所の限界はあるよね……と心の中で反論した蓮だったが、いつもより荒々しく口づけられて抵抗するよりも先に体の力が抜けていく。 「……せ、せめていつもの部屋がいい」  ようやく離れていったウルの鋭い蒼の眼差しを見ながら、何とか蓮が声を絞り出したところでまたウルが盛大にため息をつく。蓮も顔は十二分なくらいに真っ赤になっていたし、これ以上押されたらまた流れに乗ってしまいそうだったがタイミングが良いのか悪いのか向こう側から扉を叩く音がして、ウルの部下が何か急ぎの報告をしに来たようだった。 「レン様はこちらへ」 「ほら、ウルは早く仕事に戻れって。俺もお仕事してくるからさ!」  ウルの部下の後ろから更に蓮を呼びに来た者がいて、「おい、話は終わっていないぞ!」と大声を出したウルから逃げるように蓮はウルの部屋から飛び出る。蓮を迎えに来たのは、先ほどシュウに付き従っていた侍従の一人だった。 「……エイデス様があんな声を出されるのは初めて聞きました。いつも冷静沈着なお方なのに」 「えっ、いつも家じゃあんな感じですよ? いつも不機嫌そうだし」  別な表情を見せてくれるようになったのは本当に最近なのだが。確かに、王様の前では澄ました顔をしていたなと思い出して蓮はまたウルの新しい一面を知ったような気になった。侍従は「驚きましたね」と微笑んだが、すぐに暗い表情になって蓮を見てくる。 「話を聞けば、レン様は神子様の召喚に巻き込まれてしまったのだとか。……恨まれては、いませんか」 「あの、俺のことは呼び捨てで大丈夫ですよ。それと、俺には巻き込まれたって感覚は特になくって。恨んでいたらそもそもお金もらえるからといって話し相手になろうとか思わないです」  そうですか……と暗い表情のままシュウの侍従は俯いた。あえて明るい口調で返したのが悪かったのか、と蓮が首を捻っていると、やがて大きな扉がいくつかあるところへと着く。先ほどのウルに与えられているという部屋も立派だったと思うが、それ以上の立派さだ。 「本来、あの方のお世話をするのは我ら侍従の職分なのですが……言葉は勿論のこと、我らと心を合わせようとして下さらなくて。少しでも神子様の気が晴れるお手伝いをしていただけると、大変助かります」 「とにかく話してみればいいんですよね?」  お願いします、と侍従の人はか細い声で返して大きな扉の一つを叩くとそっと扉を開いた。

ともだちにシェアしよう!