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第20話

「おれを罵りに来たのか」  一緒に来てくれるとばかりに思っていた侍従の人は、蓮が部屋に入った途端にかかった声に怯えると、申し訳なさそうに蓮に頭を下げて扉の外に引き下がってしまった。一段と根暗な声と雰囲気になった神子は部屋の隅にある一人掛けのソファに蹲るように座っていた。髪はボサボサ、なんなら髭も更に伸びているし服に至ってはこの間のお披露目で着させられていたようなギリシャ風……いや、髪や髭の具合からいえばキリストのままのようである。神の子だからそのまんまだな、と思わず納得してしまった蓮は変な笑い顔になったまま立つことになってしまった。取り合えず、蓮に与えられたミッションは『神子の話し相手になること』である。 「罵ってほしいなら罵りますけど。ね、まず髪を整えて髭を剃りませんか。それだけでも気分変わるから、絶対」  神子様――シュウはこちらを虚ろに見やるだけで返事はしない。が、「嫌だ」とも言われなかったのを返事とした蓮は扉を少し開けてすぐに先ほどの侍従が控えているところを呼び寄せた。さすがに侍従が自分たちの職分と言っているだけあって、神子の身を整えることについては動きが凄まじい。他にも数人の侍従が現れて用意をしてしまったが、しかしシュウが部屋に入るのを許したのは蓮だけだった。 「俺、人の髭剃ったりとかしたことないですよ。なんか流血沙汰になりそう……」 「誰も、お前にやってほしいなんて一言も言っていない。そのくらい自分でやる」  剃刀と薄い布を侍従たちに持たされた蓮は震える手でそれらを持ちながらシュウの目の前に立ったが、シュウはさすがにちょっと引き気味にソファから立ち上がると蓮から一式を受け取り洗面台へと消えていった。それをぽかんと見送っていた蓮だったが、すぐに彼の服をどうにかしなければと動き始める。また扉を少しだけ開くと侍従たちに服のことをあれこれと頼もうとして、ふとある人物の顔が思い浮かんだ。 「ごめん、怒りのマダムを連れてきてくれないかな」 「……イカリノマダム、ですか? どちらにお住いのお方でしょうか」  一か八か、怒りのマダムであのマダムの名前に変換されたりしないかと期待した蓮だったがまったく伝わらず、そこは意外と現実路線であることに少し打ちひしがれてしまった。 「あとで誰か俺と一緒に来てくれたら嬉しいです。服を見立てたりするのが上手なマダムだから……あの、神子様にそれっぽい服を着せたいのは分かるんだけど俺たちってああいう服とか馴染みがないんです。みんなが着ているのと同じ感じで良いんだと思う」  なるほど、と侍従たちが真面目な顔で頷いている。この調子だと根本的な部分で色々ずれたお世話をされていたのだろうことが想像できてしまった。 「うーん、取り合えずウルと同じくらいの背丈だからウルから服を借りればいいかな。下着とかはあるのか?」  再び扉の内側に戻り、侍従たちに教えてもらった部屋の配置を覚えるために備え付けられたクローゼットから寝室やらを確認していく。クローゼットには神話風というかキリスト風の布が何パターンも用意されていたが、やはりというべきかレンやウル、この国の者たちが日常生活で纏うような服は一切入っていなかった。 (こ、これは俺でも病むかもしれない)  残念ながら下着らしきものも見つからない。まさかとは思うが、あの布の下は……そこまで考えて、蓮はそっと布だらけのクローゼットから視線を逸らした。  ついでに言うと、蓮は髭が伸びなくなったのでそういう点でもシュウよりはラッキーなのかもしれない。どうでも良いことだが。 「これで満足か?」  水浴びもしたのか、伸びた前髪を後ろに流し、髭を剃ってさっぱりとして出てきたのを見て、蓮は思いがけず美青年になったシュウに驚いたあまり「嘘だろ」と心の声が思いっきり口から出ていた。ついでに言うと隠すものも隠さずに出てきたシュウの下半身に思わず目がいき、絶対にこの男の前では裸になりたくない、と密かに思った。騎士らしく筋肉も適量について綺麗な身体をしているウルと比べると痩せすぎなのは否めないが、少なくとも蓮よりはずっと体つきは立派だし色んな点で勿体ない。やはり怒りのマダムが必要だと改めて思いながら体を拭くための布をシュウに差し出す。 「そうだ、神子様も一緒に外に行きませんか? 怒りのマダムのところなら髪とかも全部揃えてくれそうだし」 「……怒りの、マダム……?」  また少しシュウが引き気味に蓮を見てきた。 「そうそう、優しいったら優しいけど、俺ずっとマダムには怒られっぱなしで。でもお客さんが来たらきっと喜ぶんじゃないかな? それと、シュウって名前はどう書くんだろう、俺は花のハスって漢字でレンって呼びます」  エイデス家が客になったら自慢になると言っていたくらいなので、神子なんて連れて行ったらどうなってしまうのだろうか。そんな妄想をしながらシュウに笑いかけると、虚ろだった神子の顔が驚いたような表情へと変わった。 「……修理のシュウっていう漢字の方」 「修さん、ですね。修様の方がいい?」  出かける準備を始めた蓮に「様付けはしなくていい」とぶっきらぼうな声がかかる。 「レン様、エイデス様より服をお借りしてきましたが……あの、下着はお貸しできないと……」  ウルらしく綺麗に折りたたまれた服は騎士たちの練習着だそうで、下着は諦めてもらうとしても服を渡すと修は感動したようにまじまじとその服を見ていた。 「……下着も買いましょうね」  思ったよりも修が受け答えをしてくれたことに安堵し、外出するために扉を開くと――そこには今までになく不機嫌顔のウル・エイデスが立ちはだかっているのだった。

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