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第26話

「あらま。それじゃあ奥様も大変でしたね」  笑いを堪えつつ、マリナに同情されて蓮は深くため息をついた。執務室でのキスをばっちりと修やその侍従たちに見られた蓮は恥ずかしさを忘れたくて、屋敷の庭いじりをしながら現実逃避を図っているところだ。  修の語学力も格段に上がってきたので、もともと城に仕える役目ではない蓮はそろそろお役御免でもおかしくはない頃合いではあった。 「だから俺は嫌だって言ったのに……。ウルはどうして人前でもあんなにベタベタしたがるんだろう。絶対みんなに引かれたと思う」  修から、「伴侶とは」と問われて「嫁的なもの?」と答えた後、修は何も話してくれなくなり、そのまま無言でウルの執務室から出て行った。侍従たちはぺこぺこと頭を下げながら神子を追いかけていったが、きっと職場でいちゃついていたことに軽蔑されたのだろうと蓮は柄にもなく落ち込んでいる。不安定だった修がようやくこの世界の住人たちにも心を開いてきた大事な時期に、変なものを見せてしまったという羞恥が多大にある。  蓮の嘆きを聞いて、隣で蓮と一緒に草むしりをしていたマリナは「そうですねえ」と手をとめて空を仰いだ。 「私もこのお屋敷に雇われてそんなに長いわけではないですし、ましてやエイデス家に代々仕えてきた方々というのはエイデス本家にいらっしゃいますから歴史的なものはよく分かりませんけども。旦那様は、エイデス家の養子なのです」 「そういえば、アルクタ殿下って人が、リコス国からどうのって……」  そうそう、とマリナは目を丸くして見せた。 「リコス国で何か大変なことに巻き込まれて、旦那様がエイデス家の養子になったとは聞きますが、詳しい経緯は私どもも存じません。しかし、旦那様はエイデス家に来る際に自分の身は神に捧げる……だから、いつ戦や何かで死んでも構わないと、エイデス本家にいる大旦那様にお話ししていたのを漏れ聞いたことがございました。そんな旦那様のもとに奥様が現れて、旦那様は変わりました。日々、楽しそうに――生き生きとしていらっしゃいます。それまでの旦那様も、大層素晴らしいお仕事ぶりではありましたが……毎日お帰りも遅く、私共と語らうことも当然なく、いつ倒れるんじゃないかと心配になるくらいで」  この世界でもブラックな環境があったのか――いや、仕事に逃げたいくらいに辛いこともあったのだろうか。まだ日が浅いからこそ、蓮と出会ってからのウルしか知らなかったことを思い知らされて、蓮は何とも言えない気持ちになった。 「みんながいるところでお触りとかは困るけど……大切には、されているかも」 「私もそう思います。旦那様は奥様にデレッデレですわ」  今、自分の翻訳機能がおかしくなったのではないかと思うくらいに蓮は自分の耳を疑い、それから盛大に顔を赤くした。 「あの~、ご歓談中のところ恐れ入ります。城から、奥様をお迎えに来たと使者の方が」  使用人の一人で庭師の狐がのんびりとした口調で声をかけてきた。彼に草むしりを頼むと、蓮は急ぎ足で玄関へと向かう。ウル絡みであれば、ウル本人かウルの部下である騎士の誰かが来そうなものだが、玄関で蓮を待ち受けていたのは――最近よく行動を共にしていた神子付きの侍従の一人だった。  薄い金色の髪に緑色の瞳が特徴的な、細身の美青年である。  青年は寒い気候でもないのに、顔を真っ青にしながら蓮を待っていた。 「侍従さん、顔色が……具合悪いんですか?! 医者、医者を呼びましょう!」  後ろからついてきたマリナや他の使用人たちもざわついたが、二人だけにしてほしいと侍従が小さな声で言うので、玄関の外に出ると先ほどまで良い天気だったのにほんの少し庭から離れた合間に雲が広がり始めていた。 「突然で申し訳ありません、レン様……でも、レン様にしかお願いすることができなくて……神子様を、シュウ様をお慰め頂けないでしょうか」  レンと同じくらいの背丈の青年は、握りしめた手も震わせながら真っ青な顔で訴えてくる。どういうことだ、と蓮の顔に書いてあるのが分かったようで、小さく首を左右に振った。 「レン様がお城にいらっしゃらなくなってからというもの、ずっと神子様は部屋で塞がれています。お食事もほとんど召し上がっていませんし、元々身体が細いのに……これ以上食べないと、儚くなってしまわれるのではないかと心配で……っ」  今ここにいる侍従の方が痩せているし、なんならここで倒れてしまいそうで心配なのだが。確かに修とはあれ以来何も会話できておらず、そのまま城に行かない日々が続いていたのでまた前のように話せたら、という気持ちがある。  ウルといちゃついているのを見られてしまったことをもしかしたら詰られたりするかもしれないが、マリナと話したことでこの世界でウルとそういう関係なったことは別に恥じることではないのだし、詰られたら傷つくかもしれないが、そういう考えもあると思って流すしかないだろうと思えるようになった。 「分かりました。一緒に城に戻りますが、中で温かいスープを飲みましょう。お城の食事もすごく美味しいけど、うちのみんなが作ってくれるスープも疲れた時とかすごくおすすめです」  侍従の冷たい手をつないで玄関を開けると、空気を読む能力に長けたマリナたちがささっと食堂へ通してくれる。本当にスープがあるかなんて確認もしなかったけれど、座ってすぐに熱々で野菜がたっぷり入ったスープが出てくる。牛の獣人は怖いが、料理に関してはプロフェッショナルだ。  ありがとう、と呟いた侍従の頬が先ほどよりも赤みを増したことに蓮は安堵するのだった。

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