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第29話

「さむ……い」 「まだ熱が上がるのか。一体どれだけ無茶すればそんなに一気に体調が悪化するんだ」  呆れたような口調はウルのものだ。  だが、いつもよりも元気がないように思えて、手を伸ばそうとしても腕すらもひどく重怠くて動かすことができない。まるでインフルエンザか何かにかかってしまったかのような辛さだ。    「さむい」  何枚か上掛けをかけてはもらっているが、それでも足りない。  蓮が悪寒に身を震わせていると、不意に背中から抱きしめられた。 「う、る……うで、どけい……みこ、の」 「もういいから寝ろ。あいつの侍従どもからあらかた事情は聞いている。私が送り届けておくから、今は寝て……早く、いつものお前に戻れ」   子どもを諭すような口調で、横向きになって寝ている蓮に言い聞かせるとウルはそれきり無言になってしまった。こんな風に誰かとくっついて寝たのはあまりにも遠い昔のようで、だがしっかりとした感触は安心感もあって蓮はうとうととし始める。 「ウル、ありがと……」  ひどい頭痛は蓮から思考能力も奪っていたが、とにかくそれだけは言いたくて小さな声で何とか絞り出すと、「ああ」とだけ短いけれど優しい応えがあった。 *** 「失礼する」  扉を鳴らす音もそこそこに、返事をする前に開かれて侍従の一人が慌てて扉へと駆け寄ったが、そこから現れた人物を見て頭を下げた。先ほどまで話をしていた男である。伴侶を屋敷へと連れ帰って少ししてから引き返してきたのだ。 「神子と話がある」 「……ウル様、どうか手荒なことはなさいませぬよう」  侍従の訴えるような眼差しに、ウル・エイデスは獰猛に哂い返した。普段冷静沈着で、感情も大きく露わにするところもほとんど見たことがないのだが、突然現れた彼の伴侶――『レン』が現れてからというもの、男の顔に表情が戻ったかのようだった。笑いもするし、怒りもする。 「おかしなことを。私に殴られるほどのことをした自覚が、そちらにはあるということではないか。通るぞ」  止めようとした侍従たちを押しのけてウル・エイデスが部屋の中に入ると、窓際に近いソファに黒い影があるのを見つけた。  「これは貴様のだろう?」  ウルと侍従のやりとりは聞こえていたのだろうに、1人がけのソファにうずくまるように座っていた神子は、ウルが手に持っていたものを投げよこしてからようやくのろのろと顔を上げた。  顔のつくりは悪くないはずだが、とにかく酷い顔をしている。先日整えてもらったばかりの髪は乱れ、目は充血していて今にも倒れるのではないかというくらいに顔色が悪いが、これでも先ほどよりは落ち着いたのだという。 「……」 「勘違いするなよ、これはレンが見つけて来たものだ。貴様が探してこいと、わざと投げ落としたのだとは侍従から聞いた。……少しレンと接すれば分かったはずだよな、あの馬鹿正直者がそんなこと言われたら絶対にひとりで探しに行くなんてことは」  落ち窪んだような目が、見開かれる。 「蓮は……」 「雨の中、ぬかるみにはまりながら懸命に探しまわった挙句、今は熱を出して寝ている。この季節に降る雨にあたったら、体が凍えるというのに……」  顔色が悪い神子の顔が一段と強張ったのが分かったが、ウルはここで引くほど優しい男ではない。 「レンは良くも悪くも鈍いが、あれが傷つくことはないとでも思っているのか、貴様は。レンはやせ我慢がやけに上手な、ただの青年だ。あれを試して楽しかったか? 伴侶が貴様のそのよく分からん物のために、泥の中で倒れているのを見つけた時の、私の気持ちが分かるか? 我らは貴様の玩具ではない!」 「ウル様、神子様も反省しておられますから……止めきれなかった私共に非があります。どうか私共を罰してください」  ずっと見守っていたが、そろそろ限界とばかりに侍従たちが取りなしに入る。ウルは苛立ちを隠せずに舌打ちすると、抑えようとした侍従の一人の腕を振り払った。 「私に気づいた時に、あれが開口一番なんて言ったか分かるか。『もらった服が汚れてしまってごめんなさい』だぞ。自分の苦しみを一番最初に口にできないような人間に、貴様がやったことは……残酷なことだ」 「ウル様……」  いつもならもっと朗々と話すことができるはずなのに、込み上げて来るさまざまな感情がそれを邪魔する。そして、己が思っていたよりも蓮に対して感情を抱いていたことを自覚してウルは自身の蒼の瞳を眇めた。 「レンはきっと今回のことも笑って許すだろう。あれはそうやってすべてを終わらせようとするから。だから、あえて私が言う。貴様は危険だ、レンにとって。侍従たちもよく聞いておけ、私はレンの伴侶として貴様の接見は今後許さない」  ウルの怒りが一番よく現れている蒼の瞳はいつもよりも格段に薄く見え、神子を睨みつけていたが、昏い神子の黒に近い瞳から感情を正確に読み取るのは難しかった。ふいと視線を逸らすとまた一人掛けのソファに座り込んだまま顔も己の膝の中に埋めてしまう。  それ以上は会話にならないと判断したウルは踵を返したが、通常の人よりも良く聞こえる耳には神子が「レン」と呟いたのが届いたのだった。

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