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第32話
すっきりとした気分で目が覚めた蓮は、隣でウルが寝ていることに気づいて声をかけようと思ったが、風邪でやられてしまったのかうまく声を出すことができない。気配を感じたのか閉じられていた蒼の眼差しが少し眠そうにしながら瞬いた。
「起きたのか。体の調子はどうだ?」
ウルをのぞき込むようにして見ていた蓮の頬をウルが触れてくる。その表情がとても優しく見えて、蓮は思わず泣きそうになった。怒られた時なら無意識でも笑うことができるのに、だ。
「だ、だいじょうぶ」
掠れた声で何とか返事をすると、ウルがほっとしたような顔になる。そのまま体を起こしたウルに抱きしめられ、ウルの額が蓮の額に触れてきて蓮が驚いていると「熱は下がったようだな」と満足そうにウルが呟く。
「三日程ほとんど眠ってばかりだったから、動いているレンを久しぶりに見た気がするな。城へは出仕しなくていいから、屋敷の中でゆっくり過ごすと良い。私も明日までは休む」
「えっ、前も休んだばっかりじゃないか。大丈夫だって、俺は」
すっかりと寝台から立ち上がったウルは「休むなんて」と慌てる蓮をじろりと見下ろした
「お前のことが気になっていたら捗る仕事も捗らん。気になるあまり私が馬から落ちたらどうする?」
「う……あ、それは、さすがに……」
絶対にそれはないだろうと思った蓮だが、これ以上は口でウルに勝てる自信がなくて黙り込んだところにマリナが顔を見せた。
「奥様! 今日はもう体も起こせるのですね、安心しました」
「心配かけてしまってごめん、マリナ……あれ?」
マリナの後ろから飛びかかってきた獣だったが、蓮にたどりつくまえにあっさりとウルにたてがみを掴まれてじたばたと暴れる。
「ジンジャー、またお前に助けられちゃったね。ありがとう」
ウルから何とか逃れた大きなオオカミはその場に座り込んで太く長い尾をぱたつかせた。泥まみれだった毛並みは綺麗にふさふさとなっている。傍に座り込んで喉元に触れると、気持ちよさそうに目をとじる。
「どうしても奥様に会いたかったようで、ここまで連れてきてしまいました。後は旦那様と二人っきりにして差し上げましょう、ジンジャー様。食事の準備もしなくては」
「あっ、ジンジャー」
マリナからすっかり餌付け、ではなく意気投合したらしいジンジャーは不満な様子を見せることなく一度だけ蓮を振り返って部屋から出て行った。
「……もっと、私にもあのオオカミと同じくらいには気軽に接してくれるといい」
「ちょ、もしかしてジンジャーにやきもち?」
驚いて言い返した蓮の視界にはムッとしたようないつもの表情のウルがいたが、それも日常に感じられてつい笑いだしてしまう――と、ウルが驚いたようにこちらを見やった。
「今の……いつも見ていた笑い方と違うな。今みたいに笑った方が、可愛い」
「いやいや、男の俺に可愛いとかさ、ウルはあまり目が良くないよね」
その点に関しては同意できないが、思ったよりも蓮自身のことを見てくれるウルに、蓮はこの世界に来てからようやく心が解れていくのを感じた。連続する緊張や不安を、笑うことで無理やり麻痺させていたのかもしれない。あのパワハラ上司と出会う前の、自然な感情で生きていられた頃に戻れたような気すらした。
「……ウルは、ちゃんと俺のこと見てくれているよね」
「そうだな。お前の身体も、お前が見えないところまでちゃんと――」
やめろ! と真っ赤な顔で慌てた蓮に、ウルも腹を抱えて笑い出した。そこまで笑うところはほとんど見たことがなかったので、蓮は顔を赤くしたままじっと見てしまう。いつもの不機嫌顔ではなく、自然に笑うとウルの男前度が一気に上がって驚く。
「ウルこそ、笑うとすごいかっこ良く見えてびっくりした。意外と若いよね? いつも不機嫌顔だからさあ」
「……微妙に傷つく言い方をする」
複雑そうな顔をしたウルに、蓮はまた慌てるのだった。
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