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第39話

 圧倒的に熊の方が有利に見えたが、壁に激突して動かなくなったオオカミに油断をしたのだろうか。大きく腕を振り上げ、一番の弱点である喉元に隙が生まれたのを見逃さずオオカミは大きく身を翻して飛び上がり、熊の喉元にその長い牙で噛みついた。  そして古い扉を力づくで押しやぶるように開いて現れた騎士は一目でオオカミが形勢逆転したのを見やると室内を駆け、あられもない格好をさせられた蓮に圧し掛かろうとしていた男を手加減なしに蹴り倒す。  熊の咆哮がしたかと思うと、熊は形を失って黄金の光となり、神子の中へと吸い込まれていく。 「……ウル!!」  神子が床に転がりながら苦しみ始めた。それにも不安になったのか、蓮が必死にウルを呼ぶ。近づいて抱きしめると、震えながら蓮が抱き返してきた。その頬や口元に血がついていて、心配よりも蓮を傷つけた神子への怒りで自分を抑えるのが精いっぱいだった。  オオカミが時折青い光を散らしながら『神子』に向かって吼える。 『……それを、我に寄越せ……我が神子が、その者を求めている』  先ほどの大きな熊が乗り移ったらしい神子はゆっくりと体を揺らしながら立ち上がると、禍々しい赤い色を宿した両眼を見開いた。声もウルや蓮が聞いたことのある修の声とは大きく異なり、修のものよりももっと低く嗄れた声がその口が開く度に発せられた。 「アルラ神……なのか? 人に憑き、人を襲うなどと!」 『この者の心と、我は写し鏡なり』  ふらふらと机に近寄り、金づちのようなものをその手に取ると大きく振りかぶる。だが、またしてもそれを止めたのはオオカミの牙だった。 「シュウ様!!」  ようやく追いついたバルも部屋の中に入り、室内の惨状に絶句したがすぐに修に駆け寄るとウルたちから引き離しにかかった。 「シュウ様、よく聞いてください。たくさんの偽りを、あなたは信じ込まされたのです! このままでは、アルラ神まで狂ってしまう」  オオカミは離れたが、修は痛みのためか人の声とは思えない声で咆哮を上げると己の体を抑えようとするバルを力づくで振り払い、金づちを片手にウルへと突進してくる。蓮を庇いながら視線をめぐらせて逃げ道を探るウルに振り下ろされたのは重い一撃だった。  ウルはすんでのところで攻撃を躱したが、すぐに相手は体勢を整えてくる。蓮を背後に守っている状態は、なかなか厳しい。再び神子が金づちを振り上げた時、ウルがいちかばちか勝負を仕掛けるために柄を握る手に力を込めた時だった。  走り寄ってきたオオカミに修が気づき、オオカミに向かって金づちを振り下ろしたが、一気に跳躍したオオカミの体は青い光の束へと変わりウルたちの方へと飛び込んでくる――が、青い光が溶けていったのはウルではなく蓮の体だった。 『邪魔者はすべて――』 「修さん!!」  今まで力がずっと入らなかった蓮は、自分の前を守るようにしていたウルの横をすり抜けると金づちをまた振り下ろそうとした修と向かい合った。 「もう、やめろよ。こんなのが修さんが望んでいることなのか? これが、あなたを支えてきた人に対する答え? アルラの神様も、聞こえているならいい加減やめさせろよ!!」 『それは、我が神子の意に、沿わぬ』  レン、とウルが呼ぶ声がした。蓮を守るために抱きかかえようとするウルを、持ちうる限りの――むしろ、本来よりも強い力で突き飛ばし、それから受けた重い衝撃に一気に蓮の視界が白んでいく。  それはまるで、この世界に来る直前に受けた衝撃のように。  ウルの絶叫と、獣の大きな咆哮はほぼ同時だった。

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