46 / 96

第46話

 かくして、リコスからの神子たちの一行が来る先ぶれの音を聞き、アルクタは足早に必ず一行が王との謁見のために通るはずの廊下の影に隠れる。 「アルクタ様、何をお考えなのですか」  うんざりとしたような侍従の一人に声をかけられ、アルクタは反射的に睨み返した。 「うるさい! お前たちが役立たずのせいで長い間この美しい僕が謹慎なんかさせられていたんだ! もう、こんな小さな国などこちらから見限ってくれるわ!! 貴様らもとっとと次の主人を見つけるが良い。クビだ、クビ!」  最後まで付き合っていた侍従二人はお互いに顔を見合わせると苦笑し、「お世話になりました」と頭を下げるとさっさとアルクタから離れていった。一度もこちらを振り向くことのない彼らに「薄情者どもめ」と毒づく。  最初に現れたのは、案内役となったバル。神子の侍従として地味な服装をしていた時とは違い、今日は王の代理として色は抑えていても上質な布で作られた衣装を纏い、それが似合っているから苛立たしい。  苛立たしいといえば、中庭の散策中に偶然見かけた神子――シュウも、あれ程神経質で病的だった顔つきは元々整ってはいたのだが穏やかで理知的なものへと様変わりし、体重も少しずつ戻ってきているようで長身なのもあり神子というより騎士だと言われた方がしっくりする感じだった。  バルが焦ったように何事かを話しかけると微笑を添えながら返している様子が目に入り、そこにアルクタがつけ入る隙はもはやなさそうであった。本来なら、そうやって神子と語らうのは自分であったはずなのに。  正装をしたバルの後ろから現れたのは、鎧はつけていないものの屈強な身体をした騎士たちの一団と、彼らに守られるようにしながら歩く、一際豪奢な長衣や装飾品を身につけ頭に王冠を戴いた、背が高く精悍な顔立ちをした男――を見て、アルクタはカッと目を見開いた。 (な、あれはウル・エイデスではないか!!)  自分の顔に残る傷をつけたウルを許してはいなかったが、ウル・エイデスはアルラからいなくなったとだけ侍従から聞いていたので、てっきり自分は謹慎処分だったが、ウルの方は王族であるアルクタや神子を傷害した罪か何かで国外に追放されたとばかり思っていたというのに。 (何故あやつが王冠を?!)  確かに、あの者がリコスの王族の端くれだとはウル本人が言っていたが――。  そしてウルが恭しく手を添え、隣を歩かせているのがリコスの神子だとアルクタは狙いを定めた。神子を飾り立てる装飾の多さにリコスの豊かさを伺い知ることができる。整えた柔らかそうな髪を額冠で飾り、王よりも豪奢なのではと思うほどに見事な刺繍が施された白を基調とした長衣に、首や腰、腕に巻かれた宝飾品たちが、神子が歩く度に涼やかな音を立てる。 「リコスの神子よ、お待ちください!!」  いまだ、と転がり出でたアルクタは、神子その人の前に現れることに成功した。 「あ、俺の頭を踏んづけた人だ」 「……なに?」  目の端だけ朱を入れられた神子は、アルクタが思っていたよりものんびりとした声を出した。その声に聞き覚えがあってまじまじとその小さいが整った顔を見ると――。 「お、あ……貴様はレンとやらではないか……なんで貴様が!! ここは庶民がいてよい場所ではない、神子に化けて……さてはウル・エイデスと一緒にアルラを簒奪にでも来たか!!」  立ち上がりかけたアルクタはしかし、「無礼者!」とすぐに神子たちを守るように集まった騎士たちによって床に押さえつけられてしまった。 「おい、レン。今、何と言った。頭を踏んづけ……?」 「そうです。この者は以前、私の隣で、この者への挨拶のために頭を下げたレン様の頭を、靴を履いたまま踏んだことがありますね。あの時はレン様が絶対にそれだけは言わないでくれと仰るので、最低限の報告に留めてしまいましたが」  いや、それは……あの、と口ごもるリコスの神子――蓮に代わり、ウルと共にリコスに帰ったオーヴァがアルクタを抑えながらさらりと暴露した。    「貴様らは全員騙されているのだ! この者が神子なわけないではないかっ、ウル・エイデスと共謀を――」 「神子の証を、見せれば良いのか?」  獰猛に哂ったリコスの王太子が、神子につけられていた多連の首飾りを押しやり、その首元を露わにする。そこに間違いようもなく青い色で刻まれていたのは、リコス神を現す紋章であった。 「バル殿、この者を早々に王太子殿下と神子殿の前から下げても良いだろうか」 「本当にお恥ずかしい……アルクタ殿、こちらにいらっしゃるのは、リコスの王太子殿下……次期リコス王とリコス神の神子ですよ! 皆さん、兄には私から報告しますので早々に……」  慌てるバルの様子に段々とアルクタはどうやら彼らが『本物』であることを理解しはじめて、顔が青くなっていった。いくらアルクタが普段黒いことと美しいものにしか興味がないとしても今の自分の状況が芳しくないことくらいは分かる。 「この者は我が伴侶を侮辱したばかりか、アルラの神子を唆した張本人だ。相応の罰を望むが、このアルラ国からは出さないで頂きたい。リコスに来たら、我らの土地が穢れる」  そう念押しをしたリコスの王太子は、もはやこちらを見てはいなかった。     それはアルラ王の耳にもすぐに入り、あれよあれよという間にアルクタは僅かな荷物と共に城から離れた広場のあたりにぽいと置き去られ、追放されてしまった。  騎士たちに無理やり歩かされたりなんだりで、城からここまでくる間に唯一の上等品だった出仕用の服もあちこちに穴が開いてしまった。自分の資産を作ることも考えたことがなかったアルクタには持ち金すらない。王になるどころか、王族ですらなくなってしまった。自分の名前が、アルクタただ一つだけになってしまったのだ。――王族であったことが、アルクタにとって絶対的な強みであったのに。 「……僕は、これからどうすれば……」 「あんた、きったないねえ。ちょっと来な!!」  後ろから激しい口調で話す中年の女性に声をかけられ、アルクタはびくっと体を震わせる。汚い、というのは自分に向けられた言葉だと一瞬分からなかった。今まで怒られたり怒鳴られたりするのとは全く無縁の世界で生きてきたのだ。慌てて僅かな手荷物を持って逃げようとしたが、しっかりと襟首を掴まれるとずるずると引きずられていったのだった。

ともだちにシェアしよう!