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最終話

 アルクタの乱入という珍事はありつつも、滞りなくリコスの王太子と神子の訪問行事が終わり、来賓用の部屋へと下がってすぐに蓮は靴を脱いで長い椅子の上に寝そべった。怒りのマダムの娘が実はリコス王宮に勤めており、縁あって神子付きの衣装役となったのだがさすが怒りのマダムの娘なだけあって、衣装や美しく見せることへのこだわりは半端ではなかった。  この世界に来て、ウルに落下したあの日以上に着飾ることになってしまい、ウルに「こんなに着飾っても変だよねえ」と助けを求めたのだが、以前自分で言っていたことを忘れてしまったのか、あっさりとウルは蓮を裏切って「綺麗だからいい」と宣った。  神子としての衣装を着ると緊張感も増して一気に疲れてしまう。神子としての仕事はまだ神殿参拝とリコス神であるジンジャーと遊ぶくらいしかしたことがない蓮ですら疲れるのに、ウルの疲労はどれだけだろうかと伺い見ても男は常に泰然としている。      数千年ぶりに神子が降臨したという報告はリコス王宮どころかリコス国全体揺るがす大変な騒ぎとなった。  リコスはここ数年は王位をめぐる後宮内部での静かな争いが激化している。十年以上も前に正妃の長子と次子が相次いで身罷り、唯一残った正妃の三番目の子すら毒で倒れてしまった。リコス国内では三番目の子は毒により意識がずっと戻っていないと言われていたのだが、その三番目の子が次代の王を決めるという神子を伴侶として連れてきたから騒ぎに拍車がかかった。 無事に王宮に戻ってきた三番目の子――ウルが王太子に立つことが正式に決まり、リコスの近年に見る静かな争いは終結に向かい始めたのだった。  王太子が立ったことを友好国に報せるために、わざわざ自らリコスの王太子が足を運ぶことになったのは異例だったがアルラとリコスしか知らない蓮に、この世界にある他の国を見せられる最後の契機だと判断したウルが、様々な景色を蓮に見せたいがために考えたことだ。  当然その中にはアルラも含まれており、最初の来訪は蓮の希望もあってアルラになった。蓮がリコスの神子だったということにアルラ王もとても驚いてはいたが、ウルの正体を知りながらも騎士として匿っていた程にはウルのことを心配していた王は手放しで喜んでくれ、また、アルクタや修など、ウルと蓮を襲った様々なことについて深く謝罪をした。 「ただ歩くだけでも最初は疲れるものだ。お疲れさま」 「うう、鋼並みの体力とメンタルが欲しい……」  王太子用の冠を外したウルが、長い椅子の上でツチノコ状態になった蓮に声をかける――と、そこで控えめに扉が打ち鳴らされて側近の一人が確かめに行った。  アルラにいた時のようにウルは一介の騎士ではなく、蓮もエイデス家の奥方ではもうないのだ。    「殿下。バル殿とシュウ殿が個人的な面会を求めていらっしゃいましたが……お断りしましょうか?」  細かい経緯は伏せられていても、蓮が修によって傷を負わされた事実はこの場にいるほとんどの者は知っている。 「断れ」 「いや、会うよ。さっきもちょっとバルさんに挨拶しただけだし」  ツチノコ状態から慌てて長椅子の上体を起こすと、緩めていた衣装をもとに戻す。すかさず屈強な騎士が数名で蓮たちの周囲を固めていく。 「良い」とウルが諦め半分に告げると、扉から緊張した面持ちの二人が入ってきて、先ほどのアルクタではないが唐突にウルや蓮の前で膝をつき額づいた。 「謝罪ならアルラ王から受けたが」  蓮が立ちあがりそうになったのを押し留めたウルは、腕を組んで小さくなった彼らを感情を宿さない冷たい眼差しで見下ろしながら仕方なく声をかける。どうせそう来るだろうとは思っていたし予想通りとはいえ、やはり修の姿を見ると苛立ってしまうのはどうしようもない。 「一言、そこにいらっしゃるリコスの神子に言いたくて来ました。……ありがとう。蓮がいなければ、おれは……何にも、気づくことができなかった。これで、最後です」 「最後?」  ウルの怪訝そうな問いに、顔を上げないまま修が頷き返した。 「本当は、今日お会いできるとは思っていなかったのです。もし今度会えたら、どうしても言いたかった。ただ、会わせる顔はないので……蓮、どうかずっと幸せに」  床に額をつけんばかりに頭を下げている二人に立つようにウルが嘆息まじりに促すと、バルに付き添われながら修は深く頭を下げたまま部屋から出ていく。 「きっと、あの二人なら大丈夫だね」  ウルの背中が「喋るな」と言っているようで、大人しくしていた蓮だったが、二人が部屋から静かに去るとこちら側を見てきたウルに笑いかける。ウルは苦虫を噛みつぶしたようになった。 「お前はお人好し過ぎる。……だから私は嫌だったんだ、お前はあの男を許すと思ったから」   「許していないよ? そういえば俺、修さんに『お前は残酷だ』って言われた」  きょとんとしながら返した蓮にウルが目を瞠る。 「レンが? あの男が、ではなくて?」 「そう。確かに結構きついこと言っちゃった気はする。でも、修さんに巻き込まれて元の世界の俺が死んじゃっているし、それなりにショックで辛かったから言い返すくらい許されるよね? 年上相手に言い返すってたぶん初体験だったけどさ……俺、ウルからもらった首飾りを修さんに壊されたこととか結構根に持っているからね」 「巻き込まれて……死……」  ウルが目を瞠ったまま、宇宙人でも見るような顔で蓮を見てきた。蓮が修の神子召喚に巻き込まれてこの世界に来た、という曖昧なところしか知らなかったウルは初めて知る真実に、彼の明晰な頭脳も追いついて来ないらしい。アルクタのことといい、修のことといい、ウルの知らないところで他にどんなことをされてきたのかが分からず眩暈がしてきた。 「……次にレンに何かしてきたら、今度こそアルラ神をクマ鍋にしてくれる」  ウォフッ、とウルの昏い呟きに応えたのはリコス神――ジンジャーだ。勝手に現れた大きなオオカミにオーヴァたちがぎょっとなったが、オオカミはきょろきょろと自分に恐れおののく人々の様子を見やると青い光を発して――人の子どもの姿に変じた。蓮が勝手にイメージしていたとおり、大きくまん丸で綺麗な蒼い瞳と黒灰色の髪をした子どもはむちっとした幼児体型をしている。その耳は灰色の犬のような形をしており、オオカミ特有の太く長い尻尾までしっかりと生えている。 『あのクマ、ほんっとずるくてちょうしいいからね! クマなべー!』 「意外と話が分かる奴だな」   目の前で変身したオオカミに下々の者たちがあんぐりと口を開く中、次代のリコス王とリコス神だというオオカミが初めて意気投合すると蓮が慌てて「こらこら」と止めに入る。 「神さまは食べ物じゃないから食べようとしちゃダメだってば。俺だって、ジンジャーが誰かに何かされたら、すごいショックだから」 『れん……!』  ぎゅ、と蓮に抱き着こうとしたジンジャーの服の襟首をひょいとウルが掴み上げる。ジンジャーはじたばたと暴れると青い光に姿を変えて蓮の中へと消えてしまった。 「……き、消えた。レン様の中に……」 「レン様とウル殿下は、神とも対等に会話できるのか……!」  漫才のようにドタバタを繰り広げただけだというのに、今度はウルの部下たちが一斉に額づいていった。 「え、何が……」 「我らが神子さまのありがたさを、皆が実感したようだぞ」  冗談めかしたウルの言葉に蓮が目を瞬かせる。ここは神子として何か格好いいことを言った方がいいのだろうかと蓮が逡巡したその時――。  ぎゅう、と大きな腹の音が静まり返った部屋に響き渡った。 「……レン。腹の音で返事をするのは止めなさい」 「俺だって好きで鳴っているわけじゃないんだよっ、いつもちょっとタイミングというか間が悪いだけだから……恥ずかしい」  笑いを堪えるのに最初に失敗したのはオーヴァだった。彼らの前に姿を現したリコス神が、のんびりとした子どもの姿をしていたのも頷けるような気がして。オーヴァを契機にその場にいる者たちも堪えられずに笑い出すと蓮の顔が真っ赤になったが、とうとうウルまで笑い出し、涙が少し滲んだ琥珀の瞳で睨みつけたものの残念ながら効果はまったくなかった。 「そのタイミングの悪さとやらも、悪くない」  ウルが笑いを残したまま蓮を抱き寄せたところで、リコスの神子お待ちかねの食事が運び入れられるのだった。 Fin.

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