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後日談:怒りのマダムと愉快な従業員(後編)

「貴様、じゃない、なんでリコスの神子がこんな庶民の店にいるんだ……じゃなくて、いらっしゃるのですか!」  耳の敏いマダムに気づかれないように店の外に出て、声量を調整しながら叫んだアルクタだったが、リコスの神子を守るように数人が自分たちを遠巻きにしているのが見えてぞっとする。己がリコスの王太子と神子を侮辱して王城を追われたことを知っている顔ばかりだ。  服も化粧もボロボロで広場で呆然としていたところを、後で知ったことだが巷で有名な『怒りのマダム』という服飾家に拾われてからというもの、朝から晩までかなり厳しくこき使われてはいるが三食と寝るところは確保されているし、自分以上に美への追及欲が強いマダムに尊敬の気持ちを抱くようになったアルクタは必死に自分の正体を隠しながら働いていた。  ――そして、現れたのは。 「いや、そちらこそマダムの店にいるなんて驚いた。なんだ、化粧していない方がずっとかっこいいのに」  笑顔を向けられるとは思っていなかったアルクタは赤面すると思わずリコスの神子――蓮に何か言い返そうとして近づいたが、後ろからとんでもない重みを感じて土下座のような恰好になった。自分が誰かに押さえつけられたのが分かる。それは、神子を警護する騎士たちだということがすぐに分かり、アルクタの顔は赤から青へと一気に変わった。 「だ、大丈夫だから! 俺は何もされていないよ!」 『されてなくても、ちかづくのもダメー!』  ふ、と大きなオオカミが現れるとアルクタに向かって牙を剥き、土下座の格好となったアルクタの金に彩られた頭をぺしっと前右足で踏みつぶした。ツメはそれほど長くなく、むしろ硬めな肉球の感触しかしないんじゃ……と蓮が見ているとアルクタは突然現れた大きなオオカミに驚き、抑えられていたのを振り払って店の中へと向かって走る。が、途中で外に出ていた空き箱に勢いよく足の小指をぶつけたようで、大きな悲鳴が聞こえた。 「私がいないうちに、何か楽しいことでもあったのか?」   目の端にも入れたくないとでもいうように、ウルがアルクタとは反対側を回って歩み寄ってくると、オオカミはまたきょろきょろと周囲を見回し、リコスの者しかいないことを確認して人の子ども姿へと変じた。くりくりとした蒼の瞳は心なしか怒っているようだ。 『あのアルラのけつぞく、れんにひどいことしたのをわすれたようだな! だかられんがまえにされたように、あしであたまをふんづけてやったぞ! ……ついでに、ノロイもはつどうしてやった』 「呪いってまさか、俺が中庭でこっそりかけておいたタンスの角に小指をぶつけるってやつ……?」  悪戯をしかけた子どものように凄絶に笑んだリコス神に蓮がはらはらしながら自分の伴侶へと視線を投げかけた――が。 「さすが守護神殿、よくやった。リコスに帰ったらたっぷりと好物で持て成さなければ」  機嫌よさげに笑ったウルに、子どもの姿をしたリコス神は『でしょー』と無邪気に喜んでいる。 「……あんたの旦那も子どもも、あんた以外には容赦のないことだよ」 「いや、あの、ウルは伴侶だけどジンジャーは俺の子じゃ……そもそも生めないよね? え、この世界って男でも生めるの?!」  いつの間にか近くに来ていたマダムに声をかけられ、言われたことに蓮が動揺していると、満面の笑顔で子どもの姿をしたリコス神――ジンジャーが抱き着いてきた。それを抱き上げながら慌てて護衛のオーヴァたちに聞きに走る後ろ姿を見やる。 「そういや、あの子の名前、”ジンジャー”ってどういう意味なんだろうねえ」  ジンジャーを抱き上げた蓮が離れた隙に、マダムは並び立った彼の伴侶にそう問いかけたが、青年はさて、とおどけてみせた。 「名づけられた当人に聞いたら、”意味は分からないがレンのことだからきっと素晴らしく英知に富んだ名前だろう”とかなんとか言っていたが――私の予想では、恐らく食べ物に関する何かだと思う」  なるほどねえ、とマダムが妙に納得したように頷いて見せる。 「……オオカミのくせに猫をかぶるのがやけにうまい」  再びどこからか聞こえてきたマダムの従業員が上げた叫び声に、青年がぼやいた独り言はかき消されてしまったのだった。 Fin.

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