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第11話

 本屋の店員たちは的確にアラキに仕事を教えてくれ、主に力仕事を中心に働くことになった。 「入夏アラキさんって、両方名字みたいだけど素敵な名前ね。ロボットには見えないし、愛玩用でもご主人様と同じ苗字使うのを許してもらえるってあまりないよ。それにしても、入夏さんみたいに賢くて力持ちで恰好良いなんて、ご主人様幸せね」  仕事を教えてくれた女性が笑いながら声をかけてきたが、アラキは表情を動かすことなく黙って頭を下げた。女性はそれを気にした風もなく、鼻歌を歌いながらレジに入っていった。それを見送ることなくてきぱきと与えられた仕事を終わらせてからバックヤードに入ると、かなり昔に廃盤となった旧式の白いコミュニケーションタイプロボットががっくりと頭を下げるようにして放置されていた。抜けたままらしい黒いコードには埃が積もっているのが見える。  自分は、こういう風に放置されることも本来許されない存在だった、と思い返す。もう動かず、開いた目はそのまま地面を見続けるロボットが何を考えているのか――思考能力があったのかすら分からないが。 「……スクラップされなくて、良かったな」  薄暗い場所でもう二度と動かないだろう『先輩』にそう声をかけるとアラキは仕事に戻る。その言葉はしかし、自分に向けても言っているようだった。  初バイトの帰り道、ひかりと待ち合わせの場所へ向かう途中で、アラキはこの街に来て初めて不審な人間を見かけたのだった。 *** 「初バイト、どうだった?」  アラキのことが心配で念のためと午後休暇を取っていたひかりは喫茶店で時間をつぶしていたらしく、アラキが姿を見せると本から目を離して笑顔を浮かべた。二人席の空いている方へとアラキが座ると店内が一瞬静まり返ったが、ちら、とアラキが視線をめぐらせると人々は途端に目を逸らしてまた再び店内に雑然とした会話や音楽が戻る。 「……ひかりが笑うと注目が集まる気がする。今日眼鏡はどうしたんだ?」 「いやいや、俺じゃなくてアラキさんのことをみんな見ていたんだよ。今日はコンタクトにしてみたんだけど、変だったかな」  そう言ってからひかりが首を傾げると、またどこからか視線を感じた。アラキはその視線の先にいる男たちを見やって、アンバーの瞳を眇める――と、男たちは気まずげに視線を背けて珈琲をわざとらしく口にした。 「変じゃないし、似合っていると思うが見慣れない感じがする」 「そっか、アラキさんが認識できなくなったら大変だもんね。やっぱり眼鏡に戻すかあ。で、バイトはどうだったの? ロボット否定論者みたいな、変な人はいなかった?」  ロボットの存在は人々の仕事を奪う――ここ数年、そう主張する政治家も現れたくらいにロボットの労働力はますます必要不可欠なものとなっていた。ロボットたちの働きを知る都心部の人間はロボットたちとの共存に意欲的だが、地方に行けば行くほどプロパガンダの影響を受けやすいようでロボットは不要、と強固に拒絶する者たちもいた。幸いこの街は都心に近いのもあってロボットとの共存を望む人々がほとんどでロボットにとっても住みやすい街と言えたが、絶対にいないとは言えずひかりは心配しているようだった。 「……古いロボットをスクラップすることもなく置いているような店だ。俺のことも名前で呼んでいるし、問題は今のところないと考えている」 「そっか。何か変なこと言われたり、されたりしたらすぐ俺に言ってね。これでもアラキさんの家族だから」  先ほど見かけた旧式のロボットのことを思い出して口にすると、ひかりがほっとしたような顔になる。そして彼が口にした家族、という言葉に女性の店員が言ったことを思い出した。 「私は、ひかりの『家族』なのか?」 「そりゃそうでしょ。同じ屋根の下で一緒に暮らしているしね。……そういうの、嫌だった?」  朗らかに笑ったかと思うと、不安げに問いかけてくる。  この店や、この街や――アラキの勤め先や。いろんなところにたくさん、人間はいるというのに、アラキがちゃんと認識したいと思えるのはやはりひかりだけだ。 「嫌なわけがない。そういうのは珍しい、と言われたが」 「嫌じゃないなら良かった~。アラキさんって名前まで勝手に付けちゃったし。ロボットでも苗字登録する人がいるって聞いたことがあって。アラキさんはただのお手伝いロボットだとかそういうのじゃなくて……家族だと思っているからさ」  照れ笑いしたひかりがそれを隠すように見るからに甘そうなアイスカフェラテをストローでかき混ぜる。カフェラテの氷の解け具合が、青年がこの店で待っていた時間を感じさせた。 「……あれ、アラキさんが笑っている」  口角を上げるという動作は慣れていないが、上げ過ぎないように気を付けながらそっと上げると、気づいた青年が驚いたように声を出す。 「やっぱりアラキさんって人間にしか見えないなあ。折角だから髪も染めてみようか? でも、もて過ぎたら困るし……あまり、俺以外の人の前で笑ったりしないでね。連れ去られたりなんかしたら困るから」  それから、かつて戦闘用ヒューマノイドだったアラキには関係なさそうな心配事をしてみせる。その慌てようを見ているうちに、今までに浮かんだ『感情』が強まった気がした。 「ひかりには男の恋人がいたことはあるか?」 「はい?」  喫茶店から出て、すぐに繰り出された唐突なアラキからの質問にひかりは目を白黒させた。まさかそんな質問をアラキからされるとは思わなかったのだ。 「男の恋人どころか、女の子ともうまくいったことないんだけど……俺に対する嫌味かなにか、それ」  思わずジト目になってしまうのも仕方ないだろう。だが、当のヒューマノイドはいつも通り真剣な眼差しで喫茶店の大きな窓を見つめていた。 「いや、それなら問題ない」   そう言ったきり、アラキはひかりの手を取るといつもとは違う遠回りの道を通り、以前一度だけ入ったことのある高級食材が多いスーパーへと入り、しばらく時間を潰したのだった。

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