15 / 19

第15話

「おい、お前」    誰かが声を出したが、それが自分に向けられているのだと気づくのに少し時間がかかった。バイトが終わり、ひかりの食べる分の夕飯の準備を終えて会社近くの公園で本を読みながらひかりの仕事が終わるのを待っていたアラキの目の前に、男が立っていた。静かに座っているアラキに声をかけてくる人間など滅多にいない。周囲を見回したが、自分たちの周りには他に人間はいないようだった。  だが、その男の顔を見てアラキはアンバーの瞳を見開いた。すぐに記憶部から男の情報が出てくる。あの事件の前、喫茶店から出てきた時に見かけた怪しい男だ。バイト先の本屋で進められて購入した本に栞を挟んでバッグにしまうと、アラキは立ち上がる。男は一瞬たじろいだが、すぐにこちらをまた睨みつけてきた。 「うちのひかりとどういう関係なんだ?! ストーカー野郎が!」  突然始まった罵倒をアラキは無表情で見やったが、指をさしても動じない相手に男の方が焦り始めてきているようだった。いつもなら相手にもしないのだが、もう少し先方の行動を見てみたいのもあったからだ。こちらをストーカーと呼ぶというくらいには己とひかりのことをずっと見ていたのだろう。 「ひかりの……兄か」  だが、『うちの』ひかり、と相手が言ったことに気づき断定するようにアラキが返すと、男は「だとしたらどうなんだ!」と大声で返してきた。その顔は先ほどまでの焦りが消えてその通り、と顔に現れていた。分かりやすいけれども、随分とひかりの周囲を男はうろついていることになる。  「こんな時間に本なんぞ読んでぶらぶらして、ひかりに食わせてもらっているんだろう、どうせ!」  スーツ姿でずっとうろついている相手も相手なのだが、刺激するのは良くないことくらいはアラキにも判断はつく。そのまま無言でいると、相手はそれを肯定と捉えたようだった。 「あれはオレのものだっ、家に連れて帰るからな!」 「……本当に『物』扱いしていたのか」  思わず呆れたような呟きが口から出てきてしまったその時。18時を告げるのんびりとした音楽がまだ明るい夏の夕空に響き渡り始めた。この公園では数時間おきに時計代わりの音楽が鳴る。鳥たちが音に驚いて一斉に羽ばたいていった。もう少しでひかりが会社から出てくる。この男に会わせるのは良くないように思えて、ひかりの勤めている会社がある方角とは逆に歩き始めた。男は「おい!」「待て!!」と騒いでいる。このままこの男を連れた状態で交番に向かうのが良さそうだ。この男を簡単に逃がすわけにはいかない。 「ひかりにはオレ以外必要ないんだよ!! オレたちの前から消えろーッ!!」  後ろからどん、という強い衝撃を受けても、アラキが倒れることはなかった。だが自分のボディのどこかに損傷を受けたと頭の中でアラート音が鳴る。振り返ると、男は信じられないという顔で己の両手とアラキとを交互に見やっていた。それでアラキにも、男が刃物で自分を刺してきたことが分かった。 「お、お前……まさか、人間じゃないのか?」   ヒューマノイド特有の銀色から、この国ではありがちな黒に髪の色を染め直してからは確かに周囲の人間たちにはアラキのことが人間に見えているらしく、男にもそれが衝撃的だったようだ。だが、いくらアラキがロボットで血を流さないからといって、ひかりの所有物ということになっている以上男を器物損壊罪か何かで訴えることはできるかもしれない。背中に刺さっているらしいナイフをそのままに交番に連れて行こうと男の腕を掴もうとしたが、それよりも一瞬早く男は奇声を上げて滅茶苦茶に走り始めた。それを追いかけようとしたアラキだったが、反対方向から自分の名前を呼ぶひかりの声を耳が拾う。     「アラキさん、いつも時間ぴったりなのに今日は遅いから迎えに来たよ。……どうしたの?」  暑かったのか、半そでの白いワイシャツにノーネクタイのままで歩み寄ってきたひかりが男が走っていった方角とひかりとを見比べるアラキに話しかける――が、タイミングの悪いことに刃物が刺さったアラキの背中を見てしまった女性が絶叫を上げた。 「えっ、なに? ……アラキさんっ、刺されているよ?!」  刃物自体は果物ナイフのような小さなものだったが、ヒューマノイド型ロボットとはいえ確かに人と変わらない外見なのだから背中に刃物が突き刺さっているという光景はショッキングなものだろう。それこそ戦場であれば日常茶飯事ではあっても、ここは時間が来ると音楽が鳴り、鳥が飛んでいくような平和な街なのだ。 「別に痛みはないし、自己修復可能な範囲だ。問題はない」 「……問題ないわけ、ないだろう! ロボットだからって、刺されるなんて悪意が痛くない訳、ないじゃないか! 俺が辛い……! 誰に刺されたの、犯人の顔は分かるのか?!」  それは、アラキも初めて見るひかりだった。  いつもの穏やかな様子がどこかへと消えて、泣きそうな顔で……怒っている。アラキを刺した犯人のことと、問題ないと言ったアラキに……恐らく。   「……まさか、兄さん、が?」  沈黙を続けたアラキに、やがてひかりは一人で答えを導き出してしまった。  それ以上泣いたりすることはなく、アラキの手を掴むと交番がある方へと向かって憤然と歩きだす。 「俺だけならいい。……けど、アラキさん傷つけたのは絶対に許さないから」  それはどこかに隠れた、自身の兄に向けての宣戦布告のようだった。

ともだちにシェアしよう!