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第16話

「ひかり、私には絆創膏とかガーゼとかは……」 「要らない、とか言うんだったら聞かないよ。アラキさん、溺れている子がいたら海に飛び込んだりするんだもの」  アラキが自分で申告していたとおり、既に刃物で開けられていた部分は自己修復機能が働いたようで一見傷があったことは分からないくらいだがひかりはそこに大きな防水タイプのガーゼをあててテープでしっかりと固定した。アラキに自己修復機能まで搭載されていたのは不幸中の幸いだったが、これが原因で故障などしてしまったらジャンク品だったアラキをひかりにはどうしてやることもできなくなってしまう。 「泳げないのに飛び込もうとしたひかりに言われたくは……」 「うっ、そういうことは言ったらダメなやつだってば。はい、今日は俺の風呂に付き合わなくていいからね。タオルで拭いてあげる」  既に手元に固く絞ったタオルを用意していたらしく、上に何も着ていないアラキの上体を優しい手つきで拭き始める。人と違ってダメージもすぐに回復しているので、あらゆる動作への支障は既にないのだがあまり言い返すとますますひかりが意固地になりそうでアラキは大人しくされるがままになってみた。    男――ひかりの兄に刺された後、そのままの状態で交番に行くとちょっとした騒ぎになった。やはり黒い髪にしていると一見、ロボットに見えないからだろうか。普段大人しそうに見えるひかりの鬼気迫った様子に警察官の方が圧倒されいたので、ちゃんと取り組んでくれるだろう。交番から出た後、仮住まいにしているビジネスホテルまで歩いている間、ずっとひかりは無言だったが室内に入ると同時にそっと抱き着いてきた。ひかりからそういう行動をすることはめずらしくてアラキが抱き返しながら見返すと、怒りたいような泣きたいような複雑な表情でひかりが見上げてきたのだ。 「俺、ずっとアラキさんのこと人として見ていた。でも、今日だけは……アラキさんがロボットでよかった……死ななくて、良かったよ……!」    そのままアラキの服に顔を押し当てて――嗚咽が、漏れ聞こえた。  既に父親という身近な人間の死を経験しているひかりにはショックが強かったのだろうかとアラキは分析しようとしたが、仲間たちが少しずつ処分場に送られていくのをずっと見送り続けた時にも何の感情も動かなかった自分には理解が難しいように思えた。  だが、不意にひかりが以前住んでいた家の玄関で気を失って血を流しているのを見た時の衝撃を思い出して、その時の衝撃の強さなら理解できた。 「私は死ぬことはない。ひかりが寿命で死ぬその時が来たら、私はひかりと一緒に眠るから――それまでは、ずっと一緒だ」  うん、とひかりが子どものように小さくアラキの胸元で頷く気配がする。  これが『愛しい』という感情なのだと、アラキはようやく気付いたのだった。 *** 「明日引っ越しなんだろう?」  帰り際に同僚に声をかけられてひかりは頷く。すべてを話すことはできなかったが、自分の抱えている複雑な家庭事情やアラキが襲われたことなどを会社にも説明して引っ越しの準備に有給休暇を取ることにした。明日には手配した引っ越しトラックが来ることになっているので今日は早退させてもらうことになっている。 「引っ越し終わったら遊びに行くからな! あのロボット、刺されたとかいうけど故障とかはないのか?」 「ああ、ちゃんと片付いてからだったらぜひ。アラキさん、自己修復機能っていうのがついていたんだよ。その日のうちに傷とか消えていた」   PCの電源を落として立ち上がったひかりを、同僚はひどく驚いたように見ていた。 「自己修復機能って、そんなの国産のロボットで搭載されているのなんかほとんどないんじゃないのか? ……ロボットとか言って、実は人間ってオチない?」 「ええー! アラキさん、確かにすっごい人間ぽいけどさ、でも心臓の音はしなかったよ」  同僚と同じくらい驚いてみせたひかりに、同僚は思わず変な笑い方をしてしまった。心臓の音が聞こえるくらいに接近したことがあるようだが、ただの家庭用ロボットと人間がそんな距離になるだろうか。 「あーはいはい、まあどっちにしろ壊れていないなら良かったな。それにしてもひかりにストーカーなんて怖いな。俺もしばらく一緒に帰ってやろうか?」 「やだー、ストーカー増えちゃうじゃない!」  誰がだ!と同僚が言い返すと女性陣が爆笑する。複雑な事情を抱えていると分かってからも、同僚たちの態度は変わらないもので、自分が思っていたよりもずっと温かな場所に、一瞬気を抜いたら泣いてしまいそうだった。

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