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最終話:そして、新たな運命になる

 アーモンドの花が咲く二月の終わりは、そこかしこで春の息吹を感じることができる素晴らしい季節だ。最近は日も大分長くなってきたし、頬に当たる風にも太陽の温かさが混ざり始めて心地いい。  ――――やはりこの時期の空気が一番好きだな。  スコッツォーリ邸の庭で一人佇みながら小さく呟いたのは、シチリア島に住むマフィアなら、おそらく知らない者はいないであろう、スコッツォーリファミリーの若きドン・ヴィートだった。 「綺麗だ……」  薄暗い世界で生きていても、アーモンドの花のピンクを見ると心が穏やかになる。 そういえばセイの母親も、この木が好きだと言っていた。何でも日本の桜と似ているのだそう。  そんなアーモンドの木には、ヴィートにも柔らかな思い出がたくさんある。幼い頃、遊ぶ場所といえば屋敷の庭かセイの両親の別荘ぐらいしかなかったから、よく二人で木登りして、どちらがより高く登れるかを競争した。  セイはどちらかといえば木登りが上手くなくて、いつも先に天辺まで登ってしまうヴィートを見上げては悔しがって泣いていた。 他にも日本に花見という風習があることを教えて貰ってからは、よくこの木の下でセイと熱々のパニーノを食べた。  彼はスパイスソースが苦手で避けていたのだが、ある日買ってきたパニーノに大人でも眉を顰めるスパイスが入っていて。突然、真っ赤な顔で苦しみ始めた時には、見ているこちらも 「毒でも入れられていたのではないか」と不安になって、大騒ぎしてしまった。  どれも今では懐かしい昔話だ。 「ヴィー!」 「ん?」  不意に遠くから聞こえた声に反応して振り向く。すると腕に幼子を抱えた一人の青年が、庭の入口から小走りでこちらに向かってくる姿が見えた。 「おや、どうしたんだいセイ、そんなに慌てた顔をして」 「大変なんだ、僕とエドが担当してる会社が手に入れようとしてる土地なんだけど、他のファミリーが突然競売に名乗りを上げたみたいで……」 「土地って、パレルモの一等地のことかい? でも、あそこは確かうちが買うってことで話はついてるはずだったけど?」  土地の競売、といってもマフィアの世界にはマフィアの世界のやり方がある。表向きは正式な競売の形をとっているが、実のところ入札前に水面下で交渉が行われているため、最初から落札する者が決まっているのだ。それゆえセイとエドアルドが事前に入念な根回しをしたと言っていたが、今日までに何かがあったのだろうか。 「まだ現場に行ってみないと分からないけど、おそらくどうしてもあの土地が欲しくて強行に出てるんだと思う。話し合いの時にも、最後までゴネてたところだから……」 「強行、ねぇ……チャレンジャーというか、無謀というか……まぁ、きっと後者だろうけど、君がここに来たってことは俺の方で何か動いて欲しいことでも?」  こういった突発的な問題が起きた時、大体のことならセイの指揮で円満解決に向かうのだが、時に地位や立場が必要になった場合はヴィートが動く約束になっている。セイがここへ来たということは、つまりそういうことなのだろう。そう思っていたが。 「いや、現場の方は僕とエドがいればどうにかなると思うんだけど……」  言いながら、セイは視線を腕の中の天使に向けた。  まだ生え始めたばかりの柔らかな髪の毛に、くりんとした丸い瞳。紅色の頬と唇はマシュマロみたいに柔らかそうで、見ているだけで頬が緩んでしまう。 「何か朝からずっと機嫌が悪くて……誰かが傍にいないと、ダメみたいなんだ」 「おっと驚いた。まさか泣く子も黙るスコッツォーリファミリーのドンに、子守を頼むつもりなのかい?」 「そのまさかだよ。この子すごくヴィーに懐いてるし、この屋敷で一番安全なのが君の腕の中だから」  申し訳なさそうな顔をしながらも、セイは強引に我が子をこちらに手渡してくる。どうやらこちらには拒否権がないらしい。 「あっちは必ずどうにかしてくるから、ルカのことお願いね!」 「はいはい、分かったよ。吉報だけ待ってるから、そっちも頑張って。……ああ、なんなら問題解決した後、エドアルドとゆっくりしてきてもいいよ? この子も早く弟か妹が欲しいだろうしね」 「おとう……っ、ついこの間産んだばっかりなんだから、さすがに体力持たないよ!」  次の子、と話題を出した途端、耳までを真っ赤にさせたセイが文句を投げつけてくる。その顔も昔と変わらず可愛くて、自然と笑みが零れてしまった。 「じゃあ、行ってくるね。ルカ、ちゃんとヴィーの言うこと聞くんだよ!」 「まだ物心もつかない幼子に向かってそんなことを言っても、理解できないと思うけど?」 「いいの! 僕はルカが逞しい男になるよう、厳しく育てるんだから!」  少々棘のある口調で高らかに宣言し、ついでに『甘やかさないでね!』とこちらに釘まで刺したセイは、そのまま背を向けて走っていてしまう。 「厳しく……ねぇ」  それは他人に向かって告げるより、我が子を甘やかしすぎる己の夫に言うべきではないのだろうか。一度、ルカをあやしているエドアルドを見たことがあるが、あの締まりのない顔には正直、口の端が引きつった。  多分、セイは子どもばかり可愛がる姿に嫉妬しているのだ。だからルカに厳しく、なんて言ってしまうのだろう。 「番になったらなったで大変、ということか」  まだ独身である自分には理解しづらいものだが、きっと将来、番を持つ日が来たら分かる感情なのかもしれない。そう考えて笑っていると、ふと腕の中の天使がキャッキャと笑いながらヴィートのシャツを引っ張った。 「こらこら、引っ張ったら服が伸びてしまうよ」  咎める気がさらさらない声色で、軽く注意してやる。するとセイと同じ色の目をした天使が、何か不思議なものでも見つけたかのようにじぃっとこちらを見てきた。  生まれた時から可愛かったが、日に日に愛らしさが増してくるルカ=マイゼッティーは髪の色こそ父親似だが、その姿は幼い頃のセイにそっくりだ。だからだろう、憎き男の子どもにも関わらず愛おしいと思ってしまう。  しかし――――。  色々と考えている内に、何だか不思議な気分になってきた。  セイの自殺未遂から一年。  まさか自分に、セイとエドアルドの子をあやす日が来るとは思いもしなかった。  あの一件の後、二人はすぐに番契約を交わした。そして内輪だけの結婚式を挙げ、新婚旅行から帰ってきた途端にセイの妊娠が発覚。その時はエドアルドや彼のファミリーが自分のことのように慌てていたが、セイはああ見えて肝が座っている男で、妊娠が判明した後も何事もないかのように仕事を続けた。  セイ曰く「仕事が溜まっているから、休むことなんてできない」とのことだったが、こちらとしては初産なのだから無理はして欲しくなかったし、正直、心配でたまらないといった顔で毎日周囲をうろつくエドアルドが鬱陶しかった。  だが今考えてみれば、あの時期にはもうセイの嫉妬は生まれていたのかもしれない。  そんなセイの番であり、夫となったエドアルドは今もマイゼッティーファミリーの長として、多忙な毎日を過ごしている。  二人が結婚したことでスコッツォーリファミリーとの関係がより強固となり、以前よりも表の仕事が格段に増えた。そのせいでセイやルカと会えない日もあるが、文句も言わず有能な部下たちと様々な案件を成功に導いている。  エドアルドが言うには「二人のことを認めてくれた恩を返すためにも、どんな仕事だって引き受けます」だそうで。その点に関しては、見直してやってもいいと思っている。 「しかし、仕事が忙しいのは何よりだけど、生まれたばかりの我が子をさっさと人に預けて行ってしまうなんて、ルカの母親は冷たいねぇ。しかも、よりによって俺を子守役に選ぶとは……」  やはりセイの判断が信じられなくて、自然と苦笑が込み上げてくる。  確かに自分は今でも『彼の願いなら、どんな困難なことでも叶えてやりたい』と考えてしまうぐらい幼馴染みに甘い。だが、こう見えて自分は一年前にエドアルドを殺そうとし、セイまでも自殺未遂に追いやってしまった男だ。そんな冷血漢の腕の中が一番安全だなんて。  二人がこんな人間を信頼して大切な息子を託してくれることは嬉しいし、彼らの親友として応えてもやりたいとも思うが。 少しだけ複雑な気分だ。 「俺が一年前の腹いせにと、君を攫ってしまったらどうするつもりなんだろうね?」  まだ言葉も話せない天使に聞いたところで、答えなんて返ってこないと分かっていながら問いかける。するとこちらをじっと見ていたルカが、反応を示すかのように高い声で笑った。 その時。 「え…………?」  ふわりと熟し切った桃のような甘い香りが、ヴィートの鼻を掠めた。  どこかで咲いた花の匂いだろうか。しかし、この屋敷に植えてある植物は父親の代から変わっていないし、新しく植えたものもない。では、この嗅いでいるだけで心を落ち着かせ、けれど胸の奥底を揺さぶるような魅惑的な芳香はどこから流れてくるのだろう。  普段なら花になどまったく興味が湧かないのに、この香りの正体だけはどうしても掴みたくて、ヴィートは辺りを歩きながら見回す。けれど該当する植物はなかなか見つからない。 やがて不思議なほどの焦りを覚え始めた頃、不意に何かがシャツの襟元を引っ張った。  何か、といってもそんな可愛い悪戯をする相手が誰かなんて、分かり切っているが。 「こーら、ルカ、服は引っ張っちゃダメだって……」  捜しものは一端休止して、相手をしろとせがんでくる天使に顔を向ける。すると、ルカがこちらに両手を伸ばした途端にヴィートが求めていた甘さが一段と強くなって。 「ル……カ……?」  まさか、この香りはルカから出ているのか。さっき、セイが連れてきた時にはまったく匂わなかったのに。  ヴィートは首を傾げながらルカに顔を近づける。 「え……っ、くっ……!」  次の瞬間、ガツン、と突然思いきり殴られたような衝撃が脳内に起こり、目の前が真っ白に染まり上がった。  痛い、という感覚はない。だが、立っていられないほどの強香に、ヴィートはその場で膝を着く。  ――――何だ、これは。  腕の中の天使は少し力を入れただけで壊れてしまう非力な存在だというのに、全ての力をもって抱きしめてしまいたくなる。さらに最悪なことを言ってしまえば、大人相手のようなドス黒い欲情を発散したくなってしまう。 抱きたい、ダメだ、抱きたい、やめろ。  理性に抑えられている本能を無理矢理引きだしたくなるような感覚は、当然、今までの人生の中で一度も体感したことがなく、鎮め方も分からない。しかし強引にでもどうにかしなければ、ルカの命を奪ってしまう。それはダメだ。  ――――ルカは絶対に殺してはいけない。何故ならこの子は俺の、俺の……。 「…………え?」  ルカの死が恐ろしくてたまらないと、とうとう涙すら浮かんだ時、ふと頭の奥から驚愕の単語が飛び出した。  運命。 「…………っ、くっ……くくっ、は……ハハッ」  誰にも教えられることなく答えを掴み取った瞬間、腹の奥底から笑いが込み上げた。  まずい、笑いが、いや、嬉しさが抑えられない。 「嘘だろ、くくっ……勘弁してくれよ、ルカ……」  天使を宝物のように柔く抱き、その甘い香りに顔を埋めながらヴィートは早々に白旗を挙げる。 「俺が……俺の宝を奪った男を、いつか父と呼ばなくてはならない日が来るなんて……」  そんな屈辱には耐えられそうにない。ヴィートはセイにも見せたことのない極上の微笑みを浮かべながら、気持ちと真逆の言葉を運命の番に掛ける。  ――――この事実を知ったら、きっとセイたちは驚くだろうな。  二人が真実に気づいた時のことを予想すると、面白おかしい気持ちと、心苦しさが同時に湧き上がった。  自分はエドアルドたちの関係を否定し、繋がりを奪おうとした男だ。もしかしたら、セイたちに拒絶されるかもしれない。 もし「悪いけど、ヴィーに大切なルカは渡せない」と言われたら、自分はどうするだろうか。  ――――諦められるはずがない。ルカと離れるくらいなら、いっそ死んだほうが……。  迷いなく浮かんだ言葉に、ヴィートは目を見開く。  同じだ、セイたちと。  あの日、運命の番のためなら命もファミリーも全て捨てられると二人は言い切った。自分はその時、彼らの言葉を到底理解することはできなかったが。 「今なら分かるよ。ルカ、俺は君のためなら――――」  守らなければいけないファミリーだって、諦めることができる。セイたちの反対だって必ず乗り越えてみせるだろう。 「俺は誰にも負けないよ。だから安心して大きくおなり。俺の……運命」  強い決意を告げながら、ルカの柔らかな髪に誓いの口づけを落とす。するとこちらの重大決心などまるでお構いなしといった様子の愛天使が、あたかも新しいオモチャを見つけたかのようにヴィートの服を引っ張りながら、再びキャッキャッと笑った。  ――――ああ、愛おしい。  それは、またこの季節を好きになる理由が一つ増えた瞬間だった。 END

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