2 / 2

2.或る生物との会話等

「どこまで言葉、分かるのかな」 「みい」 あの出来事から三日ほど、特にその生物に危害を加える様子は見られず、ただその知識に真新しいものがあればすぐに駆け寄るのみであった。どうやら食べ物は人と同じらしいが、行動は猫に似たものがある。現時点でも同じことで、その生物はソファで本を読んでいたバロンの膝に飛び乗り、読書の邪魔をする気は無いのだろうが視界の端にちらつく白い存在は明らかに気をそらした。会話とも言えぬコミュニケーションを交わし、その生物は膝の上で喉を鳴らす。それは低くはなく、鳥の鳴き声に近しいものを感じさせた。あれから名前を問うてもやはり鳴き声を上げるだけで、しかしこれは食べられるのか、などの質問に対しては行動で反応を示した。つまりは人語をしっかりと理解できているのだ。 本に栞を挟み、ソファの上に置いてからバロンはその生物を再び見詰めてみる。未だ服を買ってやっていなかったことを思い出し、今月の予算を思い起こしながらその生物を抱えて立ち上がった。壁際の机に再び腰を下ろし、その生物を膝に乗せる。パソコンの電源を点ければ、前に見ようとしたらしい通販の子供服の画面が現れた。 「欲しいのある?」 デスクトップにその生物を向き直らせ、バロンは問うてみた。その生物は軽く首を捻り、バロンの方へ顔だけ向けてから今一度画面を見詰めた。それから小さい掌で画面を押し始め、それを退けてその場所を確認すると、それはポンチョ型のカッパであった。 「それじゃなくて…」 「み」 ちゃんとした服を、と言うと、その生物は考え込み、再び画面をぐいと押した。 「ふむ」 それは白いセーターで、どうやらモデルの人よりも一回り大きく、ルーズな印象を与えるものであった。おそらくこの生物は自由の効く服の方がいいのだろうと似たようなものを数点選び、そのまま注文した。 「明日来るよ」 「に?」 「そう、服」 その生物が服と言ったかは定かでないが、そこはかとなく意図が通じるように感じ、バロンは話しかける。 「それにしても…女物ばかり買ってしまった」 「みう」 「あんた雄なのにねえ」 「ぴ」 「ぴ…?」 猫の鳴き声かは怪しい声に疑問を抱いたバロンだが、この生物が猫の亜種とは誰も言ってはおらず、何があろうと不思議ではないのかもしれないと再び軽く倒した背凭れに背を預け、体の上にのし上がろうとするその生物を眺めた。人体登山の末にバロンの目前まで登りつめたその生物はバロンを見詰め、顔をぐいと寄せて一つ舐めた。舌は軽くざらりとし、一瞬身を引きかけたがそれが猫のコミュニケーションの一つと割り切った彼はそのまま頬を舐めさせていた。 「うわっ、か、噛み…?」 「みぁ」 そこまで酷くはないのだが、舐める途中にその生物は一口甘噛みをした。流石にそれには驚き、バロンは思わずその生物を引き剥がした。その生物も驚いたような顔をし、それから鳴き声を上げる。もしやこれは猫として不思議なことではなかったのではと思ったものの、再び吃驚するのは困ると舐めるのをやめさせた。 「んに」 その生物はバロンの鎖骨あたりをめがけて頭部を擦り付ける。猫の耳らしきものが絶えず喉のどこかに当たるため、むず痒いという顔をしながらもバロンはそれに耐えた。 「それにしてもこの子は…ワクチンとか、人のがいいのかな…」 「んみぃ」 「聞いてないね…」 バロンは大きい掌でその生物の頭を撫でた。するとその生物は目を瞑り、喉をくるると鳴らし始める。心地いいのだろうと続ければ、喉の音は止むことはなかったがどうやら眠りに落ちたようであった。病院に行くにしてもどう考えてもこの生物に戸籍はなく、つまりは医療が受けられないことを指していた。しかし考えてみれば友人の中に医者は居り、それをあてにするのもいいだろうという結論に至った。ただこの生物を見て彼がどのような反応を示すかはわからず、それながらも結局はいつか見せねばならぬため腹をくくろうという柔い決意が残る。 「あ」 唐突に声を上げ、バロンはその生物を落ちぬよう抱えて飛び起きる。この生物の観察により前回の授業を休んでいた彼は、その前回にレポートの課題が出されたことを思い出した。しかもそれは前々回の授業で、つまりは休んでいたからと言い訳のできないものであった。提出は随分後にしろ、彼は常に早めの提出が癖であったため、それが遅れるとなると何かプライドのようなものが傷ついてしまう。その焦りから一瞬間解放された後、腕の中でその生物がぐたりとしていることに気がついた。 「え、」 どうやら眠っているだけではなく、仕舞い忘れた赫い舌が覗いている。頬に触れれば熱く、抱く時に後頭部に手を当てるとそれもかなりの温度があった。環境の変化からか、もしくは自己判断で食べさせてはいけないものを食べさせたか、それとも流行病にかかってしまったのか、はたまた原因不明のものなのか。様々な予想がバロンの脳裏を横切り、残念ながら彼は医学部に属しているわけでもないためその知識もない。ええいままよと仕方なく壁掛け電話の受話器を取り、医者の友人へダイヤルを回す。そもそもその友人が今暇であるかなど重要なことは全て蚊帳の外であり、彼の頼れるところがそれしかないという現実だけが思考を占拠していた。運が良く、相手側の受話器を取る音が聞こえた。 「も、もしもし」 「ん?ああ、バロンか…どうした?」 「あの、えっと…うわどうしよう」 「俺に聞かれても困る、兎に角落ち着け」 電話越しの低いバスの声は取り乱した調子の友人に少々驚いたようで、喉を鳴らす音が数回聞こえた。 「その…今大丈夫?暇かな…」 「暇…ではないが…うん、一大事なのはわかった、時間は取ってやろう」 「あのね、本来なら俺がそっちに向かうべきなんだろうけど…そうもいかない事情があって…来てくれないかな」 「……うむ…分かった、いいだろう、行ってやる」 「ほんと?ありがとう…!」 受話器を置いた際、様々伝えておくべきことがあったと思いながらもその生物をベッドまで運び、氷枕を当ててやる。呼吸は落ち着いたようで、絶えず湧き出る汗を拭ってやることだけが今できることであった。友人が家に着くまでは半時間ほどかかる。それまで如何にしてその生物の状態を悪化させないかが今の使命である。
スキ!
スキ!
スキ!
スキ!
いいね
笑った
萌えた
切ない
エロい
尊い

ともだちとシェアしよう!

この小説を読んだ人におすすめの作品

俺様ワンコと、ヘタレ飼い主の奇妙な共同生活。
15
21
23
7
2
5
7話 / 4,988文字 / 259
2017/6/12 更新
完結
恋の先
アラフォーに見えない出張ホスト39歳×42歳バツイチ部長の恋の話。
1
2
6
1
2
6話 / 5,878文字 / 153
2017/10/22 更新
革命の火が日本国に上がる。Ω解放軍の戦旗が翻る琵琶湖に立ち塞がるのは運命のα…お前はどうしてッ
307
166
161
185
113
215
288話 / 339,411文字 / 176
8/28 更新
[R18]男子高校生たちの甘い日常
1482
264
266
258
64
54
432話 / 585,586文字 / 321
4/10 更新
完結
Disc dog
ちょっとおバカでとにかく可愛いワンコが、一生懸命にご主人様を愛します。
24
13
17
13
6
19
1話 / 8,043文字 / 576
1/6 更新
元タチ専門の高校生(今は社会人)×サラリーマン。元援助相手。
1
1
1
1話 / 8,457文字 / 0
7/7 更新