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第1話 面接

 日焼けした細く長い指先が、履歴書をぱらりとめくる。組んだ足の先にあるサンダルが、落ちそうで落ちない絶妙なバランスで揺れていた。 「へぇ……三浦律(みうらりつ)君、二十四歳。元王国ホテルのフロントかー」  寸分の狂いもなく配置された目と鼻と口。律はこれと言って自分の容姿を特別悪いと思ったことはないが、世の中にはこんなにもイージーモードを素でいく男がいるのだ。前職で養った観察眼からすると、歳は三十代前半、自分より十歳くらい年上。 「学歴も申し分ないね。すごいなあー」  苦手なタイプだと誰にも聞こえない心の中でつぶやく。  もし、目の前の男と同じ学校で青春時代を過ごしたのなら、絶対に友達にはならなかっただろう。初対面の相手、しかも面接をしてもらっている立場でこんなことを思うのは、自分の卑屈さが原因だと分かっているからなおさらに。 「何でまた君みたいに優秀な子がここへ?」  屈託のかけらもない言い方で男は言った。浮かれた「Tropical(トロピカル)」の筆記体とハイビスカスが散りばめられた陽気なアロハシャツ。ベージュのハーフパンツにビーチサンダル。その恰好のどれをとっても、ホテルのオーナーには到底見えない。普通の面接とは違うだろうとある程度予想していたが、あまりにも勝手が違いすぎた。 「御社の経営理念をホームページで拝見しました。その献身的な精神に感心し、ぜひ私も働かせて頂きたく志望いたしました」 「ふっ」  はははっ、と続けて笑い声をあげられて、律は着ていたスーツを思わずぎゅっと握りしめていた。男は笑い過ぎて涙目になった瞳を細めながら、大げさに身を屈める。  こんなに笑われるくらいなら、本当の志望動機を言ったほうがマシだっただろうか。  昨日の夜、街に出たらアンタんとこのラブホテルが笑えるくらいギラギラ光ってたんで、ここに決めました、と。 「経営理念? あれか。『お客様目線でのオペレーションと、繊細で時代にあったマーケティングを』――ってやつ」 「はい」  カツン、と男の足からぶら下がっていたサンダルが落ちた。 「君は好き? セックス」  突然、何を聞くのかと驚きはしたが、不思議と嫌悪感は抱かなかった。こういうところで、清潔感のある見目の良い男は得をするのだ。 「……好きです」 「いいね。で、体位は何が好き?」 「それは面接としての質問ですか?」 「もちろん」  からかうような瞳に射抜かれ、律は一瞬たじろいだ。けれど、弱気になった自分に苛立ちを感じ、すぐさま次の言葉を発する。 「寝バックですね」  睨みつける勢いで吐き捨てると、軽い笑い声を立てて男は笑った。 「俺は顔見えたほうがいいから、正常位だなぁ」 「はぁ、……そうですか」    胸ポケットに入っていた白い箱を取り出して、男は飄々と律に問いかける。 「煙草、吸っていい?」  小さな箱から漂ってきたバニラみたいな甘い香りに、意図せず顔をしかめそうになってしまった。この香りをまたここで嗅ぐことになるとは……。何の因果だろうか。今まである程度は真面目に生きてきたはずなのに。ふつふつと沸き起こる黒い感情をなんとか押し留め、小さくうなずいてみせる。 「どうぞ」  手慣れた手付きで火をつけた男は、ふーっと美味そうに煙を吐き出した。小さな応接間だったから、煙がすぐに充満してゆく。吐き気がしそうだ。 「前の会社はどうして辞めたの?」 「申し訳ございませんが、述べたくありません」  食い気味に言い切ってやった。あからさまに好奇心を抱いたらしい男が「そう言われるとますます気になるなぁ」と人懐こく笑う。  落とされたら、それまでだ。縁がなかったのだと思えばいい。どうせ、ここを受けた動機だって大したものではない。  律は結んだ口元を開こうとはせず、ただ涼やかに男を見据えた。男は笑うのをやめて、じっと律を見つめている。左右対称の整った目に見つめられると、自分の中の間違いにどんどん印をつけられているような心地になる。  ここが違う。これも違う。あれも違う。そうしてできた答案用紙には、マルは一つもなくて、バツしかないのかもしれないと思う。  律が真っ直ぐな視線に耐えきれず、目を逸らしかけた時、男はようやく口を開いた。 「まあ、いいや」  脱げたサンダルに足を入れて、男が立ち上がる。律はガラスの灰皿に煙草を押しつける男の仕草を、じっと見つめた。 「明日から来てよ」  弾かれたように顔を上げると、眩いほどの笑顔を掲げた男に頭を撫でられた。骨ばった手の感触が、胸をぎゅっと締めつける。 「俺は楓、(かえで)千尋(ちひろ)。よろしくね、りっちゃん」  やっぱり苦手だ。それが『HOTEL(ホテル) UNIQUE(ユニック)』のオーナー、楓千尋との出会いだった。
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