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第4話 焼肉

「カンパーイ!」  宣言通り、歓迎会は近くの焼肉店で行われた。各々のグラスを合わせたあと、律はとても衝撃的なことを耳にする。 「知ってます? 楓さん、お酒飲めないんですよ」  アルバイトの奈々が、いつもよりも入念に口紅を塗った唇で笑った。ぎょっとして千尋を見据えると、手にはウーロンハイらしきものが握られている。 「それ酒じゃないんですか?」 「いやいや、ただのウーロン茶だよ」 「まさか本当に飲めないんですか? その見た目で?」 「えっ、どの見た目?」  とぼけた顔をして言った千尋が、整った目を糸のように細める。一口飲んだだけで真っ赤になって寝てしまうと説明されても、にわかには信じがたかった。 「ほんと嘘っぽいですよね。今度、楓さんの家で宅飲みしませんか? 家なら潰れても平気だし」  人間が大好きですといつも顔に書いてある千尋の瞳が、かまぼこみたいに形良く弧を描く。 「ていうか、奈々ちゃん、今日どうしたの。唇がそらジローみたいになってんだけど」 「そらジローってなんですか?」 「テレビ局のキャラだよ。ほら見てみ」  リュウが出したスマホの画面を覗き込み、奈々が唇を尖らせる。 「楓さん、ひどい!」 「おじさんだからなぁ、イマドキの子の感覚はわかんねぇわー」  いつもの軽口。いつものおふざけ。なのに律はその時、妙な違和感を抱いた。やけに千尋が線を引くようにして、奈々と接していると感じられたのだ。線引きされている当の本人が、それに気づいているとは思えないが。 「律君は彼女いるの?」  けろっとした様子で、奈々が問いかけてくる。自分がゲイではなかったら、素直で明るくて屈託のない、こういう女の子を好きになれただろうか。 「いないっすね」 「えー……モテそうなのになぁ」  カシスオレンジをちびりと煽って、奈々は千尋に視線を移す。追うようにしてチューハイを飲んだ律の喉元に、チリッとわずかな痛みのようなものが走った。 「一応聞きますけどぉ、楓さんは彼女いるんですかー?」  冗談の中に混ざり込んだ奈々の好意。 「いないよ。……でも、しばらく恋愛はいいかなぁ」  そして、牽制するような千尋の答え。わずかな両者の軋みを感じ取ってしまった自分のほうが、悪者に思えてくる。 「ほら、律。ぼーっとしない。お望みのタン塩だよ。食え食え」  ふいに自分に向けられたそれが、他意などない無邪気な笑顔だとはもう思えない。  どうしてこんなにも苛立つのか。屈託なく話しかけてくるリュウたちの優しささえ、ますます律の居心地を悪くさせていた。  お開きになるころには、すっかり律も出来上がっていた。胸の取っ掛かりを忘れるために、幾度となくジョッキに手を伸ばしたが、なんだか飲めば飲むほどもやもやは大きくなっていった気がする。 「楓さん、あの」  ほんのりと頬を桜色に染めた彼女が、千尋に何か言おうと口を開いた。さり気ない仕草で、千尋は律の肩を掴む。 「リュウ、お前さ、奈々ちゃん送ってあげて。俺はこの酔っ払いを無事に送り届けるから」  リュウのことは「お前」と呼ぶのだなと頭の片隅に思った。律は「君」としか言われたことがない。……別にどうでもいいことだが。 「酔っぱらってないです」  千尋に触れられたTシャツ越しの皮膚が、火傷しそうだ。大きな手のひらから逃れようと、律は体をよじる。 「はいはい。酔っ払いはだいたいそう言うんだよ。ほら、タクシー来たよ。一緒に行こう。じゃーねー、みんなー」  有無を言わさず千尋にタクシーの中へ押し込められると、だんだんと腹が立ってきた。しばらくは無言で窓の外を見ていたが、赤信号で止まったのを合図にして、涼しい顔をしていた千尋をねめつける。 「楓さん、俺のせいにして、奈々さんから逃げたでしょ」  目を丸くして、千尋がシートから体を起こした。 「なんだよ、律。起きてたの? 飲み過ぎてない? 体、平気?」 「話、逸らさないでくださいよ!」  酔っ払いそのものの態度で絡んだ律を見て、千尋は参ったなと言うように瞳を細める。 「やー、逃げたわけじゃないんだけどね。あの子とはちょっとの間、距離置こうかなぁと」 「……自意識過剰なんじゃないですか?」 「俺の勘違いなら、それはそれでいいんだけどさー」   律自身、おそらく奈々は千尋のことを好きだろうと感じていたが、口には出さなかった。  苛々として指先を擦り合わせながらも、どうして自分がこんなにも憤るのかわからなくなってくる。  奈々の気持ちを無視するのは可哀相だから? 気持ちを知っていて避ける千尋がひどいから?  違う。違うけれど、正解がわからない。 「なぁ、律。飲み直さない? もうちょっとおじさんに付き合ってよ」 「……飲めないくせに」 「いいんだよ。飲んでる奴見てるのは好きだから」  律は自分の心が変に浮ついているのを知られたくなくて、わざと不機嫌に答えた。 「そのへんの居酒屋でいいですか?」 「そうじゃなくて、律の家に行きたい」  心臓が激しく高鳴る。意識しているほうがばかなのだと自分に言い聞かせた。 「いいですけど……何もないですよ」 「うん」  タクシーが再び走り出し、夜のネオンが律の顔を照らしながら、きらきらと通り過ぎてゆく。カーラジオからは甘ったるいラブソングが流れていた。 「つーか、三十五歳でおじさんなんて言ってたら、佐藤さんにどやされますよ」 「だねー。気をつける」 「反省の色がない」 「はい、すみません。もう言いません。ごめんね、律」  笑う千尋を見て、律も少しだけ口角を上げた。さっきの苛々はどこに行ったというのだろう。情けないほど浮き足立ってしまう自分に、律はほとほと呆れるほかなかった。

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