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第8話 再会

 奈々がUNIQUE(ユニック)を辞めたのは、それから二週間後のことだった。表向きは学業に専念するとのことだったが、本当の理由はおそらく他にあるだろう。  新しいアルバイトは、定年を過ぎた年配の男性に決まった。それとこれとは関係ないよと千尋は笑っているけれど、そんなの嘘だと律は思う。 「律ー、昼飯食った? 外に食べに行こう。みんな、りっちゃん借りるねー」  返事をする暇も与えられず、強引に肩を掴まれた。 「りっちゃん、美味しいもん食べさせてもらいなさいよ!」  屈託なく笑うパートのおばさんたちに頭を下げ、律は千尋と街中へ出る。  外に出た途端、じっとりと汗が噴き出した。八月ももうすぐ終わるが、こうして太陽に焼かれていると、ずっと夏が終わらないような錯覚に陥る。 「あっちーなー。律、何食べたい?」 「俺は――」  何かサッパリしたものでも食べたいと大雑把な答えを言おうとした刹那、律はこちらをじっと見つめている男に気がついた。  どこにでもあるような量販店で買った眼鏡に、特徴のない平均的な顔立ち。数カ月前までは見るだけで、胸がどうしようもなくときめいていた人の姿。見間違えるわけがない。 「律」  どうしてここに、という思いと、どうしていまさら、という思い。これまで一度だって街中で遭遇することはなかったはずだった。 「知り合い? ……え、ちょっ、りっちゃん!?」  律は千尋が呼び止めるのも聞かずに、駆け出していた。路地裏に駆け込み、乱れた息を整える。 「律!」  追いかけてきた元恋人の姿を見て、ぎょっとした。 「律……やっぱり律だろ! 今、仕事はしているのか? ちゃんとご飯は食べているのか?」  逃げ場のない狭い空間で手首を掴まれると、ぞわりと嫌悪感が走った。千尋には感じなかった拒絶を、確かに今、元恋人に感じている。 「律……ごめんな、俺。ずっと律のことが心配で――」  申し訳なさそうに狼狽する男の声を聞き、ようやく本来の自分を取り戻せそうな気がした。  約半年ぶりの再会。以前よりも少しだけ痩せたように見える男を見据え、ふう、と息を吐き出した。男の正面に立ってゆっくりと掴まれていた手を剥がす。相手がなにか言う前に、緩やかに笑ってみせた。 「何も心配いりません」  大丈夫。怖くない。俺にはどんなに傷ついても帰る場所があるではないか。 「今は、さっき一緒だった男性とお付き合いしてるから」 「……本当に?」 「うん。すごく大切にしてくれてます」  このくらいの嘘は、つかせて欲しい。取るに足らないちんけなプライドだとしても。 「そっか……よかったな」  肩の荷が下りたと言わんばかりに、男の目尻が下がった。今は彼のずるさも弱さも全部ひっくるめて好きだったんだなと、過去形にできる自分がいる。  ああ、終わったんだ、本当に。 「煙草……」  律は子供のようにぽつりと問いかける。 「煙草、やめたの? 匂いがしないから……」 「ああ、うん。来年、子供が生まれるんだ。だからやめたよ」  照れくさそうな笑顔に、くそったれと心でつぶやいて、それでも素直な言葉をつなげられた。 「おめでとう。どうぞ体に気をつけて」 「サンキューな。律も、元気で」  穏やかに笑って去っていく男を眺め、心で散々悪口を言ってやった。  二股クズ野郎。優柔不断で臆病でいつも人の顔色を窺っていたくせに。なにが子供だ。……違う。あなたが子供を欲しがっているの本当は知ってたよ。でも避けて逃げて、目を背けていたのは俺のほうだった。せいぜい元気に過ごせばいい。大好きだったよ、あなたのことが。どこにでもいるような、あなたことが。だけど、もう二度と会いたくない。  ふう、と息を吐き、センチメンタルだと千尋に言われたことを思い出して小さく笑う。  会いたい、千尋に。  戻って、黙っていなくなったことを謝ろう。そのまま踵を返そうとして、律は大きく息を止めた。 「知らなかったなぁ。俺たち付き合ってたの? だれが大切にしてくれてるって?」  眉間にしわを寄せた千尋が、ポケットに両手を突っ込んで立っている。 「……楓さん」  会いたいと思っていたが、こんな再会は望んでいない。溶けるような暑さなのに、背中がひやりとしていた。 「なに? 今の」  律の嘘のせいか、それとも他の何かか。完全に怒らせてしまったのは確かだった。律は先ほどの比ではないくらいに、胸を激しく鳴らして「すみません」とつぶやく。 「謝って欲しいわけじゃねぇんだけど」  柔和な男とは思えない口ぶりだった。思わず気圧されて、一歩後ずさる。 「で、あの男は誰? 言っとくけど、りっちゃんに黙秘権はないからね」
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