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第2話 きみしかいない
振り向くと、スーツを着た男が立っていた。さきほど手拍子を送ってくれた男性だ。
男を見て女性たちが静まった。朝比奈の腕を掴んでいた女性が手を離す。
「あら、男前……」
微笑む男に女性たちは目を奪われている。さっきは遠くにいたから男の顔がよく見えなかった。
確かに、男前だ。持って生まれたものが違うと感じた。
眉がゆるくカーブしていてやさしそうに見える。一重の目なのに、黒目がきらきらしているから惹きつけられる。鼻と口のパーツが小さくて主張しすぎない。おまけに、キメ細やかな肌をしている。
朝比奈と背はそんなに変わらないが、横幅が全く違う。力を込めて抱きしめれば、折れてしまうのではないかというくらい線の細い男だった。
男は朝比奈をじっと見つめた。
いきなり注がれた熱い視線に、朝比奈は戸惑った。
「きみはいい躯をしているな」
「……あ、ありがとうございます」
ジムへ行くこともあるし、日々の筋力トレーニングも欠かさない。毎日の積み重ねでたくましくなれる。努力をすれば結果に現れるのは、書道と通じるところがある。だから躯を動かすのは好きだ。
「書も男くさいというか荒々しい感じでいい。雑誌で見たときから見栄えがすると思っていた。期待以上だ」
この男は記事を見たのか。能天気な顔で写っていた自分の写真を朝比奈は思い出した。
筋肉は、思っていた以上に世間に受けるものなのか。
突然、男が朝比奈の腕を掴んだ。
興奮しているのか瞳が潤んでいる。きらきらした表情だ。
――おいおい、なんでときめいてるんだ?
「決めた。僕はきみがいい。きみしかいない」
朝比奈は固まった。女性たちが甲高い声を上げる。
「ちょっとやだ、プロポーズよ!」
「近頃の子は大胆ねえ」
楽しそうな女性たちの声が頭に響いた。
さっき拭いたばかりなのに、また汗が出てきた。
――初対面なのに、完全に口説かれている!
もしかしたら、朝比奈を見た目通りのさわやかな人だと思ったのかもしれない。
朝比奈は大きく息を吐いた。躯の芯から火照ってくる。
告白されるなんて人生初だから、花が咲いたように舞い上がってしまう。しかし、はしゃぐのはみっともない。なんとか平静を保っている。
うれしくても、なんでもこいというわけにはいかない。つきあってからこんな人だと知らなかったと泣かれるくらいなら、断ったほうがいい。
できるだけやさしい声で、男に話しかけた。
「あの、俺みたいのが好みなんですか」
「え?」
意味がわからなかったのか、男は不思議そうな顔をした。
「俺、あなたが思うほど明るい奴じゃないですよ。結構、黒いところだってある。そりゃあ、好きになってくれるのはうれしいけどさ、いきなりは……」
「待ってくれ、ストップ、ストップ」
男は朝比奈の腕を強く握った。まるで子供が親にすがるような仕草だった。
「……あ、すまない」
慌てて男は朝比奈を離した。
「誤解させたみたいだな。僕は、言葉が足りないってよく言われるんだ。またやってしまった」
男は息を吐いてこめかみを押さえた。頬を赤くしている。
「仕事の依頼だ。きみに書を書いてほしい」
言いながら、男は上着のポケットから名刺入れを取り出す。
「僕は北斗鉄道の……」
朝比奈は名刺を受け取って、男の名前を読んだ。
「町田 ……秀介 って、ええっ!」
「どうしてそんなに驚く? 町田なんてよくある名前だろ?」
町田の言葉に、朝比奈は首を振った。
町田秀介。それは朝比奈が幼い頃から追いかけてきた、理想そのものだった。
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