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第3話 愛を誓う王子様?

町田の提案で、ホールの喫茶室で話をすることになった。 町田は鉄道会社の開発事業部に勤めているらしい。開発事業部とは、駅の商業展開や催し物を企画する部署だそうだ。町田は札幌駅を担当していると言う。 「駅前に広場ができただろ? そのイベントとして一筆頼みたい。晴れた空の下で、音楽を流しながら書いてほしい」 席に座ると同時に、町田が口を開く。ウェイトレスが歩いてきて町田の横に立った。 町田は全く気づいていないらしく、真正面に座る朝比奈だけを見ている。 頷きながらも朝比奈は、ウェイトレスを手で差した。 「町田さん、まずは何か頼んで……うわっ!」 両手で手を握られた。細くしなやかな手なのに、町田はかなり握力がある。手を引っ込めようとしたら、町田が身を乗り出してきた。 「初めて見たときからいいと思っていた。朝比奈くん、きみじゃなきゃいやだ! お願いします!」 ――だから、あんた、そのプロポーズまがいの台詞をやめろよ! ウェイトレスがふたりを見て顔を赤くしている。男が男を口説いていると思っているのだろう。 「きみの書は、夏の暑さに負けない迫力がある。それに男らしくていい体格だ。見た目よし、作品よし、最高だ! みんな、きみに注目する」 「そこまで言われると、なんか、照れるな」 「謙遜しなくていい。本当のことだ」 ――謙遜じゃなくて、恥ずかしいんだよ! そのきらきらした瞳で見つめらるのが! 町田は顔がいいから、愛を誓う王子様のように見えてくる。 「……だめ、なのか?」 そのひとことで、朝比奈は吹き出しそうになった。強引に話を進めていると思ったら、今更になってためらっている。 やっぱり、町田は楽しい男だ。腹で何かを企むような人間ではないのだろう。 貴重な存在だ。 大人になってもひたむきでまっすぐのままでいられる。その尊さはよくわかっている。朝比奈自身が、笑顔の下であれこれと考える人間だからだ。 「いえ、やります」 もっと町田に近づきたい。もちろん仕事も魅力的だけど、それ以上に、町田という男に惹きつけられる。 「よかった! いっしょにがんばっていこう、朝比奈くん」 町田は心底うれしそうな顔をした。朝比奈の手を握ったまま、椅子に座り直す。 「あ……」 ようやくウェイトレスに気づいたようだ。町田は手を離すと下を向いてしまった。そのままうつむいているので、朝比奈が注文をする。 「あの……アイスコーヒーください。えっと……町田さんも同じのでいいですか」 「……はい」 町田は小さな声で頷いた。ウェイトレスが去るとつぶやく。 「全然わからなかった……ずっと、僕たちを見ていたのか……」 赤くなった自分の頬に手を押し当てている。しかし、しばらく息をしてから、表情を引き締めた。 「それで日程だが……」 完全に、仕事の顔になっていた。 ――さすが大人だな。切り替えが早い。 感心したけれど、さっきまでの町田の顔が忘れられない。初デートに来た女の子のようだった。 イベントは一ヵ月後、海の日に行われる。雨が降ってもテントを張って実行すると町田は言った。 今日よりも大きい紙に書くらしい。条件があると町田は言う。 「書いてもらうのはオリジナルの言葉だ。ことわざや詩は使わないでくれ」 「言葉ということは、一文字や熟語はだめですよね。『愛』とか『勇気』とか」 「そうだ。音楽は二分弱かかるから、長い文がいい」 町田は自分の胸を軽く叩く。 「きみの心からの思いを書いてくれ。さっきみたいに、素直な気持ちで挑んでほしい」 「へえ、あれが素直に見えたんですか、町田さんは」 「ああ」 大きく頷くと、町田は顔をほころばせた。 「堂々としていて、見ているだけで晴れやかな気持ちになった。まじめに書道をしてきた人だって思った」 朝比奈は目を細めて苦笑いをした。町田は朝比奈の意図に気づかないらしく、にこやかに微笑んでいる。 ――本当は、そんな男じゃないんだけどな。 今日は、躯のラインが出るように細身のTシャツを着ている。ジーンズは親しみやすくても中高年には受けないので、黒くてやわらかい生地のパンツを選んだ。この日のために、理髪店で眉を整えた。 もちろん肝心なのは書だが、人前で書くのだから姿形も大切な要素だ。自分の外見は利用してやる。いろいろと計算しているのに、町田には悟られていないようだ。 堂々として、まじめ。見に来ていた女性たちも大方、そんな印象を抱いただろう。受け入れてもらえたと言う安堵感とともに、やはり裏の自分を見せてはいけないなと身に沁みて感じた。 小賢しいことなのかもしれない。愛想をよくしながらも、腹では相手の反応を窺っている。屈折した自分をいやになることはない。でも本音を知ったら、周囲は距離を取りたがるだろう。 町田も裏切られたような気持ちになるに違いない。 彼が仕事で求めているのは、あくまでもさわやかな朝比奈だ。計算し尽くし、表と裏の顔を使い分ける朝比奈ではない。 うっかりぼろを出さないようにしよう。そう思っていると町田と目が合った。 町田は気さくに笑う。 「期待している」 「はい……」 思わず視線を逸らした。町田にはすべて見透かされそうだ。 邪気のない瞳で見つめられていると、懺悔したくなるような気持ちになってくる。 話題を変えて、心を落ち着けようと思った。 町田に会ったときから気になっていることを口にする。 「町田さんも、書道を習っていましたよね」 「そうだけど、どうしてわかったんだ?」 「テキストですよ。子供時代に、町田さんの名前はよく見かけました」 「ああ、きみも北海道書道会の出身か」 朝比奈は頷いた。書道会では道内共通のテキストが使われる。町田は朝比奈よりふたつ年上で、確か函館の書道塾の生徒だったはずだ。 「月一の課題では必ず佳作以上になるから覚えましたよ。夏のコンクールの特別賞一席も、いつも町田さん。あれは刺激になりました。それに……」 「朝比奈くん、いまはきみの話をしよう?」 町田は微笑んでいるが、どこか痛みを抱えているような顔をしている。 明らかに話題を変えたがっている。 「すみません、脱線してしまいました」 もっとこの話がしたいけれど、やめておいたほうがいいだろう。 「思い出なんか語っていられないですよね」 「そうだ……もう忘れないといけない、昔のことだ」 右の二の腕を押さえると、町田は目を閉じた。 ――忘れるって、書のことを記憶から消し去りたいのだろうか。 尋ねてみたいが、それができるほど朝比奈たちはまだ親しくはない。それからふたりは、仕事のことだけを話した。 別れるまで町田が笑うことはなかった。 朝比奈は町田をホールの入り口まで見送った。黒い傘を差して、町田は歩いていく。 心にまで染みてきそうな静かな雨が降っている。朝比奈は町田の後姿を見つめた。 ――町田さん、俺たちはね、一度だけ会っているんですよ。 さっきはそう伝えたかった。でもそれも、町田にとっては忘れたいことなのか。 今すぐ、雨の中を飛び出して、町田の肩を掴みたい。 ――あなたのおかげで歩いてこられた人間がここにいる。昔のことなんて言うな。 そう叫べば、町田はまた、少女のように笑ってくれるだろうか。

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