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第7話 痕

「それじゃ、書きます」 朝比奈は町田から離れ、書の準備をした。咄嗟の返しができなかった。胸をざわつかせるようなことを町田はよくする。さりげない仕草やたったひとことで、朝比奈を舞い上がらせてくれる。 天然は強い。筋肉を鍛えた男よりも。町田と出会ってから実感した。 水で書ける大きな紙や筆を用意していると、町田が隣に座った。朝比奈と同じく正座をしている。ふたりは何も言わなかった。筆に充分な水を含ませて書き始めた。 『あなたのおかげで今の俺がいる ありがとう 俺と出会ってくれて』 そこまで書いて息を吐くと、朝比奈は筆を置いた。 「このあとが、うまくまとまらないんだよなあ」 「でもよく書けているよ。親が我が子に感謝しているというのが表れている」 「……それは、ちょっとショックだな」 「僕はいいと思うけど……」 子供が生まれた喜びを書いているのではない。 町田と巡り会えたことを書きたかったのに。これだけでは伝わらないのか。紙が乾いて字が消えると、朝比奈はふたたび書いた。 何回も同じ言葉を書く朝比奈に気づかったのか、町田がやさしい声で話しかける。 「二、三回繰り返して書くのはどうだろう? 字の大きさや書体を言葉ごとに変えたら、インパクトがあるかも」 「もう少し考えてみます。まだ俺の心を書いていないから」 どんな言葉を紡げば、あふれる思いを町田に届けられるのだろう。 言いようのない思いだから、書くことなんてできないのか。いや、だからこそ形にする。朝比奈は無言で書きつづけた。書けば、新しい言葉が浮かんでくるかもしれない。 数十回書いたとき、町田が寄りかかってきた。 「町田さん? ……あつっ!」 肩に触れる町田の額が、異様に熱い。筆を置くと、町田の額に手を当てた。太陽に照らされた金属のように熱がこもっている。 「町田さん、町田さん!」 「うん、ん……」 頬を叩いたけれど、はっきり返事をしない。瞳を閉じたままぐったりしている。 ――もしかして熱中症なのか。 町田を壁に寄りかからせる。茶の間へ行きタオルを取った。台所で濡らして絞る。和室に戻るときに麦茶のコップを取った。 「町田さん、飲める?」 抱き起こして麦茶を飲ませようとした。コップを両手で持って町田は口に運ぶ。麦茶が零れ町田の首筋を濡らした。シャツの襟元に染みができる。 朝比奈は町田のネクタイを外した。上着を脱がせ、シャツのボタンに手をかけようとしたとき、町田が声を上げる。身を捩って抵抗した。 「いや、いやだ、やめてくれ……」 「おとなしくしてください。熱がこもっているから脱がないと」 弱々しく朝比奈の腕を掴み、町田は首を振る。 「見ないでくれ、頼む……頼むから」 町田の言葉を無視してシャツに手をかけた。すべてのボタンを外し、前を広げる。 朝比奈は息を呑んだ。 肌が赤い。右胸から二の腕にかけて皮膚の色が違う。目を閉じたまま、町田は朝比奈の胸元を掴んだ。手が震えている。 「だから、見るなって言ったんだ……」 ――常に長袖を着ていたのは、これが理由なのか。火傷の痕を人に晒したくなかったのか。 朝比奈は町田の首筋にタオルを当てた。反対の手で町田の肩を強く掴む。 「朝比奈くん?」 「今は、とにかく冷やしましょう」 他に、何も言えなかった。気にするな。大したことではない。そんな簡単な言葉はかけられない。 支えたいのに、言うべき言葉が出てこない。 町田を胸に抱き寄せた。せめて自分の温もりだけでも伝えたかった。

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