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第10話 キスと告白
翌朝、朝比奈は和室で墨を磨った。今朝は、ひときわ墨が香る。
ふすまが開いた。町田が部屋に入ってきた。黒いカットソーとジャージを着ている。朝比奈が寝室を出ていくときに枕元に置いた、洗い立ての服だ。
「おはようございます」
朝比奈の挨拶には返事をせず、町田は正座した。膝でにじりより、朝比奈の背中に額をくっつけた。
「人の服を着るのは、なんか照れくさいな」
朝、『これを着て』と書いたメモと服を残して、寝室を後にした。町田を着替えさせたかった。でも朝比奈が近くにいたら、服を脱ぐことをためらうだろう。だから、先に部屋を出た。
墨を置くと、振り向いて町田を抱きしめた。町田には朝比奈の服は大きすぎたようだ。
抱きこめば、服に皺が寄る。
――こんなにも小さい人だったのか。
「町田さん、いっしょに書きませんか」
「でも……僕は腕が……ん、ん」
町田の返事を待たずに唇を奪った。朝くらい静かに話したかったのに、顔を見たらキスをしたくてたまらなくなった。
自分自身の心なのに、コントロールできなかった。抑えなくてはいけないと思ったのにできない。
躯が、町田を欲していた。
唾液を注いで舌を吸い続けていたら、突然、町田の腰が崩れた。ひじをついて仰向けになる町田の上に乗っかった。
――いきなりキスするのはまずいよな。どうやって謝ろうか。
唇を離すと、町田に引き寄せられた。
「え……ん、ん――」
朝比奈が与えたキスよりも、ずっとていねいなくちづけだった。
ゆっくりと舌を動かし、唾液をすくい取っていく。応えようとすれば、町田は顎を引く。しかし、逃げてばかりではない。
――キスって、こんなに駆け引きするものなのか。
自分から仕掛けたのに、気づいたら翻弄されていた。町田の口の中に舌を押し込む。
ぐちゅぐちゅと、唾液が粘る音が部屋中に響いた。
キスに夢中になっていたら、町田に頬を叩かれた。
顔を離すと、町田は微笑んでいた。
朝比奈の目を見ながら、唇を舐めている。朝の光を受けて、町田の唇は艶めいている。
あまりにも妖艶な仕草に、朝比奈は唾を飲み込んだ。
――これって、誘ってるのか!? もう一回、キスしたい。
鼻息を荒くして、朝比奈は顔を近づけた。
近寄ってくる朝比奈の唇を、町田は人差し指で押した。
「きみは外国人みたいだな。朝からキスする習慣があるのか?」
「違います。俺は、あなたが好きなんです」
町田は全く驚いていなかった。とても落ち着いた顔をしている。
「僕のこと、いつから好きになったんだ?」
「子供のときからです」
「え?」
朝比奈の言葉に、町田は目を見開いた。朝比奈は、頷きながら町田の手を取る。
「子供のときに町田さんに会いました。表彰式でいっしょに書いたのが俺です。この手が俺を導いてくれた」
ひとつひとつの指に唇を落とす。指先を銜え、乳飲み子のように吸い上げた。味わいながら思う。
書を書きながら、ずっと町田を求めていた。
追いかけていた頃は、町田を神々しい存在だと思っていた。初めて会ったときは何でもできる強い子供という印象だった。
再会してから、町田もひとりの人間なのだと気づいた。
朝比奈のように、戸惑いながらも人生を歩んでいる。傷つくことはあっても、笑うことを忘れない。
その強さに惹かれた。
本当の強さとは、つまずいても立ち上がることだと気づいた。
「そうだったのか……かなり、変わったな。あの頃は、ぽっちゃりしていてかわいい子だった」
反対の手で町田は、ゆっくりと朝比奈の髪を梳いた。見上げる瞳は、どこまでもやさしい。
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