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第12話 あなたと手をかさねたい

青く澄み渡る空の下で、朝比奈ははちまきを締める。 とても晴れた海の日となった。外で書くには最高の天気だ。 陽の光を浴びた紙は一段と白い。硯にたっぷりと入った墨は熱せられ、まばゆく光る。 朝比奈はステージの上にいる。 駅前広場には大勢の人が集まった。肩車をしている親子、手をつないでいる若いカップル。 かつていっしょに写真を撮った女性たちが、スマートフォンや携帯電話を構えている。思わず笑いそうになった。 マイクを持った町田が、朝比奈の横にいる。 今日、町田は白いシャツを着ている。相変わらず長袖だけれど、大きな変化だった。 「僕も、きみのために何かをしたい」 ふたりで書を書いた日、町田はそう言って、朝比奈を紳士服店に連れていった。どれを着てほしいかと尋ねられ、迷わず白いシャツを選んだ。 家に戻ると、町田はすぐに買ったばかりのシャツを着た。 「似合うかな」と言って微笑む町田を見ていると、抱いてしまいたくなった。 あれから共に書いた日はほとんどない。本番が近いので、朝比奈がひとりで書いた。町田は傍に寄り添って書を覗く。 ときどき「限界だ!」と叫び、朝比奈は筆を放り投げて、町田を押し倒した。盛りのついた獣のように朝比奈が激しく腰を振ると、町田は大きな声で笑う。 真似事は幾度となくしたのに、朝比奈は町田を抱かなかった。時折、熱いまなざしで見つめられたけれど、もう少ししてからと言って誤魔化した。 町田から与えられた仕事をまっとうしてから愉しもうと決めた。 抱く前に、書道家としての本気を見せたい。 「友永さん、準備はよろしいですか」 「はい」 町田の言葉に大きく頷いた。 深く息を吸えば、七月のさわやかな空気が全身に広がる。 今日が来ることを、ずっと待っていた。 背後にあるスピーカーから音楽が流れる。強く鍵盤を叩く音と早いテンポのドラムが響く。音に合わせ、朝比奈は躯を動かした。 横では町田が手を叩く。観客も手拍子を合わせる。会場が生み出したリズムに、朝比奈は息を合わせた。 筆に墨をつける。 足を踏み出し、筆を紙に置く。 瞬間、人々の短い歓声が聞こえた。シャッター音があちこちから聞こえてくる。 今日の墨は粘りがある。太陽の熱で少し蒸発したのだろう。ちょうどいい。 ありったけの力を込められる。 『幼い俺に あなたは勇気を教えてくれた』 やわらかく、強く、躯を動かす。全身の細胞に神経を行き渡らせる。 己の活力を、筆に注ぐ。心を、まっしろな紙に乗せる。 『勇気の芽はいま 愛の花となった』 朝比奈は肩を上下させた。向き合ったばかりの思いを、紙にぶつける。 『もう怖くない ひとりでも歩いていける』 書くべき言葉を探し、ようやくこの思いにたどり着いた。 『でも あなたとならもっと強くなれる ふたりで歩こう』 躯で覚えた町田の動きが蘇ってくる。 朝比奈のあらゆるところに染み渡っている。目を閉じなくても、町田の笑顔が思い出せる。 深く吸ってひじを引く。吐き出しながら背中を伸ばす。滲んだ汗が眼に染みてくる。 『あなたと手をかさねたい』 音が鳴り止むと同時に、朝比奈は上体を起こした。広場を静寂が包む。 町田がまっさきに拍手を送った。すぐさま、観客から唸り声のような大きな拍手が起こる。 名前を呼ぶ声にも、向けられるカメラにも応えず、朝比奈は町田に駆け寄った。

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