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第2話 彼の日常
乗客たちは飛行機に乗る直前、危険物を持ち込んでいないかX線検査を受ける。
その際、彼らの手荷物をモニターで確認するのが、私の彼、加賀谷寿 の仕事だ。
五日前、自宅の風呂が壊れたと加賀谷さんが言った。それ以来、私の部屋でふたりで寝るようになった。
恋人同士だから、当然、同じベッドで眠る。
しかし文字通り、ただ寝るだけであって淫らなことは決してしない。
私たちはまだ、清らかで物足りない関係だ。
白い壁に覆われた保安ゲートの前は、人はまばらだった。数人が入り口で話し込み、旅立つ前の別れを惜しんでいた。
私は検査を受ける乗客の邪魔にならないよう、ゲートから離れ、近くの壁際に立った。
扉のない入り口の向こうに保安ゲートはある。
首を伸ばし、中を覗こうとした。時折、荷物を受け取る警備員の袖口が見えた。私はもっとゲートの奥が見たくて斜めに移動した。
唇をきつく結ぶ加賀谷さんの横顔が見える。
荷物を載せたベルトコンベヤーの向こうにいた。
カウンターの横でパイプ椅子に座り画面を睨みつけている。見つめながら、警備員専用の黒い制帽を被り直した。
帽子の中央に飾られた鷹の瞳が、鋭く光ったような気がした。
「加賀谷隊長、次はハンドバッグと携帯電話です」
「了解。……ふたつとも異常なし。次」
部下に答えながらも視線は画面から離さない。敵の隙を窺う武将のようなまなざしだ。知らず知らずのうちに、私は息を吐いていた。漲る彼の緊張が伝わったのかもしれない。壁を隔てて、今、加賀谷さんは私の近くにいる。
私の勤務場所は四階にある文房具店だ。
同じ空港にいるというのに、私たちが顔を合わせることは全くといっていいほどない。客がいなくなったとき私が店で考えるのは、加賀谷さんのことだけだった。
今日一日の中で、私たちは最も接近している。
そう実感するだけで働いている間にできた心の隙間は、いくらか埋めることができた。
一瞬、加賀谷さんが目を見開いた。
「ストップ。トランクケース要確認!」
彼の声に、荷物の流れが止まった。加賀谷さんは立ち上がり持ち主の男に近づいた。スーツを着ていても胸板が厚いのがわかる、頑丈という言葉が似合いそうな男だった。
自分よりも大柄な男と、加賀谷さんは胸を張って対峙した。カウンター越しに男に話しかける。
「すみません。お手数ですが安全のため、ご協力お願いします」
穏やかな口調だが、加賀谷さんの目は全く笑っていなかった。ひとりの警備員がトランクケースを開けて中身を取り出す。
中から、銅線が幾重にも巻かれた四角い銀色の箱が出てきた。箱の表面に丸い時計がついている。
胸が痛いほど、鼓動が早くなる。
私たち空港スタッフが警戒しなくてはならないものだ。
「爆弾……!」
私はゲートに近づいた。
秒針の音がここまで聞こえてきたような気がした。女性警備員が箱に近づき、細長い棒を箱に当てる。
けたたましいアラームが響く。何事かと、検査を終えた乗客たちがゲートに集まった。
「金属反応あります」
「危険物発見! 各員、A態勢!」
加賀谷さんの鋭い声が飛ぶ。ふたりの警備員がカウンターから躍り出た。ゲートの入り口と出口に立ち男の退路を断つ。
「あなたには警察の取調べを受けてもらいます。よろしいですか」
男は無言のままだった。
スーツの内ポケットに男が手を入れる。加賀谷さんは身構えた。
「加賀谷さん!」
刺されるか、撃たれるか。ナイフ、拳銃と男が取り出す可能性のあるものが頭をよぎった。
私はゲートに飛び込んだ。警備員が私を制止した。
「危ない、下がって!」
「加賀谷さん、逃げて!」
「晴之?」
加賀谷さんは私を見て驚いたが、すぐに男と向き直った。
男が取り出したのは一枚の名刺だった。
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