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第3話 不安の芽

「お見事でしたよ。素晴らしい注意力です」 加賀谷さんは名刺を見ると、ため息をついた。 「『東京航空システムお客様サービス係』って、何だ……審査官か」 加賀谷さんの呟きに警備員は皆、和らいだ顔になる。 一斉に、警備員たちは加賀谷さんに駆け寄った。さっき危険物に棒を当てていた女性警備員は、胸を撫で下ろしている。 「隊長。なんで、そんなに冷静なんですか。私なんか緊張で手に汗かきました」 「何が起きてもおかしくない。そう思えばいつだって平静でいられる。簡単なことだ」 「うわあ、隊長いいこと言う! かっこいいのは顔だけじゃないですね」 長身の警備員が加賀谷さんの背中を叩く。 「こら、痛いって」 加賀谷さんは笑って上半身を曲げた。 「よし、今日も始末書なし。やっぱりモニター検査は隊長が一番うまいな」 さっきまで私の横にいた警備員はガッツポーズをした。 「時計までつけちゃって……今回はリアルすぎませんか」 「これくらいしないと臨場感が出ないでしょう?」 男と笑顔で話す警備員もいる。 私は何があったのかわからず、緊張を解いた彼らを見つめた。男は加賀谷さんに向かって声をかけた。 「やはり『警備の鷹』と呼ばれる人は違いますね。検査に迷いがない」 「俺は十八歳からこの仕事をやっているんだ、これくらい楽勝だ」 加賀谷さんは顔を引き締めた。 「おまえら、あまり喜ぶな。ほら、検査再開だ」 「はい!」 元気よく返事をして警備員たちは持ち場に戻る。加賀谷さんはカウンターから出てきて私に近づいた。 「びっくりしただろ。いまのは抜き打ち審査だ。航空会社が俺たちの仕事を定期的にチェックするんだよ」 本当の緊急事態ではなかったのか。安心したら一気に力が抜けてくる。加賀谷さんは手を伸ばして私の頬に触れた。私はその手をきつく握りしめた。 白い手袋を通して温もりはちゃんと伝わってきた。 「よかった……何もなかったんだ。生きているんだ……」 「手が震えているぞ。そんなに怖かったのか」 私が頷くと、加賀谷さんは眉を寄せた。 「晴之、危険を感じたらすぐに逃げろ。おまえは一般人なんだから」 怖かったのは、加賀谷さんに危害が加えられると思ったからだ。自分の安全なんか全く意識していなかった。 「加賀谷さんだって一般人でしょう。警察官じゃない」 「人を守るのが俺の仕事なんだ。晴之、あともう少しで交代だからそれまで待っていられるか」 「はい」 加賀谷さんは私の頭を撫でた。 「いい子だ。すぐに終わるからな」 私はその場を離れると数歩歩いて、柱の影で立ち止まった。柱に寄りかかり顔を覆う。 泣きはしなかったが多くの感情が込み上げてきた。彼が無事でいることへの安堵、自分が何もできなかったことへの腹立たしさ、何もしてあげられないのだという現実が己に突き刺さる。 数日前に加賀谷さんが呟いていた言葉を思い出した。 『俺の仕事なんかつまらないよ。灰色の映像をただ見ているだけだからな』 あれは私を心配させないための言葉だったんだ。単調な仕事が決して気楽なものではないのだと、今更になって私は気づいた。 加賀谷さんによく似ているある人の顔が、まぶたの裏でちらつく。 加賀谷さんも、あの人と同じ運命を辿るのかもしれない。私はまた大切な人を失ってしまうのだろうか。

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