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第17話 いつかちゃんとできる日が来るから

冷蔵庫を開け、タッパーとパンが入った袋を取り出した。タッパーにはポテトサラダが入っている。昨日、多めに作っておいた。 加賀谷さんは、ポテトサラダのサンドイッチが大好物だ。偶然だけど、ご機嫌とりみたいになってしまった。 オーブントースターにパンを入れていると、寝室で音がした。加賀谷さんが目を覚まして服を着ているのだろう。しばらくして足音が聞こえた。 ドアが開く瞬間、私は息を吸った。 「おはようございます。加賀谷さん。座って待っていてください。すぐにできますから」 背を向けて一気にしゃべった。よかった、自然に挨拶できた。 「おはよう。俺もすることあるか」 「大丈夫です。あとはオムレツを作るだけです」 椅子を引く音が聞こえた。きっと、座って私の動きを見つめているのだろう。 「晴之、ゆっくりでいいからな」 忙しい振りをして、私はずっと後ろを向いたままになった。 「はい。でも早くできるようにします」 「いや。早くしなくていい。おまえの早さに俺も合わせるから。俺はおまえができるようになるまで待っているから」 その言葉は、昨夜のことを指しているように感じた。私はキッチンの淵を握りしめた。 「……それって、料理のことですよね」 「……ああ、そう思っているならそれで構わないよ」 加賀谷さんの声はとても小さかった。ベッドで聞いたささやきを思い出した。 きっと起きたばかりだから、甘ったるい声が出せるんだ。 気遣われているなんて思いたくない。これくらいのことで心配されるほど自分は弱くない。 ボウルをキッチンの上に置いた。冷蔵庫から出した卵をふたつ取り、割ろうとした。 「あ」 一個目は殻が入った。箸を使ったけど、黄身が滑って取れなかった。てこずっていると加賀谷さんは気づいたらしい。後方で椅子から立ち上がる音がした。 「俺が取るか」 「できます。これくらいできます」 どうにか殻を取り出せた。でも、たくさんの黄身が零れてしまった。次こそはちゃんとやる。そう意識しながら、卵を掴もうとした。 滑ったと思った瞬間、卵は落ちて床の上で砕け散った。 白い殻が無残に割れ、黄身が床に広がる。 「あ、あーあ」 加賀谷さんが駆け寄ってきた。びっくりするくらい穏やかな口調だった。呆然とする私の横でしゃがみ込み、加賀谷さんは黄身をキッチンペーパーで拭っている。 「ごめんなさい」 私もしゃがんで、砕けた殻を拾った。私の顔を見つめ、加賀谷さんは微笑んだ。 「晴之はえらいな。にわとりさんに謝っているんだ」 私は首を振った。加賀谷さんに迷惑をかけたから言っただけなのに。殻を掴んだ手を、強く握った。 殻が手のひらに刺さって痛かった。 「どうして、みんなができることが、私にはできないんだろう。失敗したくないと思うと、いつだってうまくいかない」 空回りばかりする自分が悔しかった。 俯いていると、抱き寄せられた。 「晴之、そんなに落ち込むな。おまえは初めてなんだから」 私の頬に、加賀谷さんは唇を寄せた。たったそれだけの仕草でも、私を駆り立てるには充分だった。 加賀谷さんに抱きついた。掴んでいた卵の殻が、床に落ちていく。 「うまくいかないからって焦っちゃだめだよ。いつかちゃんとできる日が来るから」 私は何度も頷いた。 卵のことを言っているのではないとわかっていた。 加賀谷さんの言いたいことは理解できる。でも、もどかしくて仕方がなかった。 「それまで俺は晴之のこと、ずっと待っているからな」 あやされるように背中を撫でられた。自分の頬を加賀谷さんの頬に押しつけて、私はひたすら目を閉じた。 もう、加賀谷さんから触れてくることはないような気がする。加賀谷さんは本当に私の親になってしまった。怯える私を庇護する立場になった。 自分の欲望を抑え込もうと決心したのだ。 私が踏み出さなければ、私たちの関係は変わらないだろう。自分が作り出した不安という壁を、自らの手で打ち砕かなくてはいけない。 今すぐ、どんなことも恐れない勇気が欲しい。強く大胆な自分になりたい。 早く大人になりたいのに歩み出せない自分に、私は苛立っていた。

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