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第18話 キスは忘れずに

食事をしているあいだ、加賀谷さんは何度もおいしいと言ってくれた。いつもと同じ言葉なのに、無理して言っているのではないかと思った。思った途端、疑い深くなっている自分に気づいて、私は自分がいやになってきた。 仕事場へ行く前に、加賀谷さんを自宅のマンションに届けた。今日加賀谷さんの仕事は休みだ。 加賀谷さんが住むアパートの前で車を止めた。 礼を言って加賀谷さんは助手席から降りた。 歩き出したのに、引き返して運転席の窓をノックした。私はパワーウィンドウのスイッチを押した。窓がゆっくりと開く。 「忘れ物ですか」 「ああ、大事なものだ」 加賀谷さんは聞き返した私の唇を、自分の唇でふさいだ。腰の奥がくすぐったくなった。 一瞬、加賀谷さんが私の肌を撫でたのかと思った。 彼に愛された記憶は、確かに私の躯に残っていた。押し当てるだけのキスなのに声が漏れてしまう。 「前より感じやすくなったな」 頬を両手で挟まれた。曲線を確かめるように撫でられた。 「加賀谷さんの手、冷たい」 「晴之の顔が熱いんだよ。すごく赤い。こんなんじゃ、高田にからかわれるかもな」 「それは困るなあ」 私は笑った。ふざけるのが好きな高田さんの顔が浮かぶ。彼は私の職場の先輩で、加賀谷さんの友人でもある。 加賀谷さんは微笑みを消し、思いつめたような表情になった。 「晴之、無理するなよ。具合が悪くなったら高田に言うんだ。あいつならおまえの面倒を見るから」 私は頷いた。 気遣ってくれるのはうれしいけど、たぶん今日の自分は仕事に打ち込むだろうなと思った。いっときでいいから昨夜のことは忘れて、忙しさに身を預けたい。 「加賀谷さん。今夜もいっしょにいていいですか」 ああ、と言って加賀谷さんは私の頭を軽く叩いた。 「晴之。恋人なんだから、いっしょにいようって言っていいんだよ。今日は俺がご飯作るから、あとで家に来い」 頷くと私は車を発進させた。 直線道路を進んでいるとき、サイドミラーに加賀谷さんが映っているのに気づいた。 こちらを見ている。 目を細めていて、少し疲れたような顔に見えた。 加賀谷さんの唇が動いた。気のせいかと思ったら、再び動いた。 あまりにも遠くにいるから、唇の動きは読めない。 私たちの距離は広がっていく。サイドミラーから目を離して、私は前を見た。 「必ず、あなたの全てを受け入れるから」 知らず知らずのうちに、私は呟いていた。

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