18 / 34
第18話 キスは忘れずに
食事をしているあいだ、加賀谷さんは何度もおいしいと言ってくれた。いつもと同じ言葉なのに、無理して言っているのではないかと思った。思った途端、疑い深くなっている自分に気づいて、私は自分がいやになってきた。
仕事場へ行く前に、加賀谷さんを自宅のマンションに届けた。今日加賀谷さんの仕事は休みだ。
加賀谷さんが住むアパートの前で車を止めた。
礼を言って加賀谷さんは助手席から降りた。
歩き出したのに、引き返して運転席の窓をノックした。私はパワーウィンドウのスイッチを押した。窓がゆっくりと開く。
「忘れ物ですか」
「ああ、大事なものだ」
加賀谷さんは聞き返した私の唇を、自分の唇でふさいだ。腰の奥がくすぐったくなった。
一瞬、加賀谷さんが私の肌を撫でたのかと思った。
彼に愛された記憶は、確かに私の躯に残っていた。押し当てるだけのキスなのに声が漏れてしまう。
「前より感じやすくなったな」
頬を両手で挟まれた。曲線を確かめるように撫でられた。
「加賀谷さんの手、冷たい」
「晴之の顔が熱いんだよ。すごく赤い。こんなんじゃ、高田にからかわれるかもな」
「それは困るなあ」
私は笑った。ふざけるのが好きな高田さんの顔が浮かぶ。彼は私の職場の先輩で、加賀谷さんの友人でもある。
加賀谷さんは微笑みを消し、思いつめたような表情になった。
「晴之、無理するなよ。具合が悪くなったら高田に言うんだ。あいつならおまえの面倒を見るから」
私は頷いた。
気遣ってくれるのはうれしいけど、たぶん今日の自分は仕事に打ち込むだろうなと思った。いっときでいいから昨夜のことは忘れて、忙しさに身を預けたい。
「加賀谷さん。今夜もいっしょにいていいですか」
ああ、と言って加賀谷さんは私の頭を軽く叩いた。
「晴之。恋人なんだから、いっしょにいようって言っていいんだよ。今日は俺がご飯作るから、あとで家に来い」
頷くと私は車を発進させた。
直線道路を進んでいるとき、サイドミラーに加賀谷さんが映っているのに気づいた。
こちらを見ている。
目を細めていて、少し疲れたような顔に見えた。
加賀谷さんの唇が動いた。気のせいかと思ったら、再び動いた。
あまりにも遠くにいるから、唇の動きは読めない。
私たちの距離は広がっていく。サイドミラーから目を離して、私は前を見た。
「必ず、あなたの全てを受け入れるから」
知らず知らずのうちに、私は呟いていた。
ともだちにシェアしよう!