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第19話 客の言葉

午前中、店にひとりの男性客が来た。ちょうど店長と高田さんはいなかったので、私ひとりで応対した。 彼は店の常連で、出張帰りによく立ち寄ってくれる。しかし、今日は都内での仕事を終えてから、電車を乗り継いで来たらしい。 お気に入りの商品を見つけると、子供のように目を輝かせる客だ。店に入ってくるとまっすぐにカウンターに向かってきた。 「このペーパーウエイト、探していたんだよ。雑誌に載っているのを見て、欲しいって言っている奴がいるんだ」 男はしゃがみ込んでカウンターを覗き込んだ。 「本店ではいつも売り切れてるんだよ。こっちにはあるかなと思ったんだ。俺って運がいいなあ。どれがいいかな……」 このペーパーウエイトはクリスタル製で動物の形をしている。ある女優がデザインしたので話題になっている。小鳥、リス、クマなど全部で十種類ある。 男はうさぎを選び、プレゼント用に包んでくれと言った。 しかし私が包装していると、彼は申し訳なさそうに言った。 「すみません。やっぱりうさぎではなく猫にしてもらえますか」 「いえ、構いませんよ。猫でよろしいですか」 「……ちょっと待って。犬もいいなあ」 男は再びしゃがもうとした。よく見えるように、私は全種類のサンプルをカウンターの上に置いた。男は礼を言うと、立ってサンプルを眺めた。 きっと、送る人の顔を思い浮かべながら選んでいるのだろう。迷って当然だ。 「ゆっくり決めて構わないですよ。気になったものはお手に取ってください」 「ありがとう」 男は、うさぎを取ると顔を見つめている。それを置くと、猫、犬も掴んだ。最後に、うさぎをもう一度取り、耳の辺りを撫でた。 「……よし、やっぱりうさぎにします」 「かしこまりました」 途中までラッピングしていた箱を、カウンターの中央に置いた。包装紙に余計な折り目がついてしまったので、一度剥がし、改めて包み直した。 包装しながら、自分の仕事も加賀谷さんと同じように変化がないのかなと考えていた。 しかし彼よりは神経を使っていないかもしれない。もちろん気楽だとは言えないけれど。笑顔で品物を勧め、包んで、レジを打ち、頭を下げる。とっさの判断は、どの商品を入れ替えるか、迷う客にどうアドバイスするかくらいで、命にかかわることではない。 加賀谷さんは仕事で頼られ、私生活では私に頼られている。せめて私の前ではもっと自分のしたいようにしてほしい。 八歳も年が離れているから、私が幼いと感じているのだろうか。昨夜の私の反応はおおげさだった。もっと余裕のある人間になりたい。 「大丈夫かい。包み直すのは手間だよね?」 ふと気づくと、男が私の表情を窺っていた。 「いえ、お気になさらないでください。贈り物は迷って当たり前です」 男の表情を和らげたが、すぐに笑みを消した。 「……迷ってばかりだと困るよ」 男は目を伏せた。いつも彼は愛想がいいのに、今日は沈んでいるように見えた。 「相手を傷つけたくないからって遠慮していたら、いい人呼ばわりされるし」 「いい人っていうのは誉め言葉ですよ」 「そうだろうけど……言われると、もっとやさしくしなくちゃって思うんだよなあ。俺はまっとうな男子なのに、このうさぎみたいにかわいい男を演じてるのよ」 男は代金を払い品物を受け取ると、私に向かって拳を握った。 「だから、これ渡して相手の気持ちを探ってみるんだ。踏み出すのは怖いけどさ、立ち止まっていたら前へ進めないからな」 「きっと喜ばれますよ」 男を店の入り口まで見送り、頭を下げた。彼の姿が見えなくなると、私はカウンターに戻った。 サンプルのうさぎをクロスで拭きながら、男の言葉を思い出していた。 『まっとうな男子なのに、うさぎみたいにかわいい男を演じている』 加賀谷さんも同じなのだろうか。 春の海のように温かな心を持った男。それが、私が抱く加賀谷さんのイメージだ。本当に加賀谷さんはそんな人なのだろうか。やさしい男というのは、私が勝手に作り上げたものかもしれない。 昨夜は、加賀谷さんの態度がいつもと違うから怯えたけれど、あれが彼本来の姿ではないのか。 息を吐いて、私は考えを打ち消した。 男なら興奮すれば誰だって荒々しくなるんだ。私が目覚めたあとで彼は丁寧に躯を拭いてくれたではないか。それに朝だって私を気遣ってくれた。 でも、今よりも深い関係になったら加賀谷さんはどうなってしまうのだろう。したことのない私でも、していくうちに、するのが好きになると加賀谷さんは言っていた。 加賀谷さんも変わってしまうのだろうか。 泣き叫ぶ私の躯に、笑いながら己を埋め込むのだろうか。毎晩、気の済むまで私を抱くのだろうか。 そんな彼にはなってほしくない。今までのように、あふれんばかりの愛情で私を包み込んでほしい。 いまよりも親密になりたいけれど、心の変化は求めない。両方を願うなんてわがままなのだろうか。

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