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第二十話 対面

「どの方角だ」 朝が近い。棘だらけの山道を切り開き、山頂を越えた朱昂(しゅこう)が天を仰ぐ。藍色の空に光が筋となって、まるで雲のようにたなびいていた。 「早いな……」 王都の方を見下ろしていた仁波(じんぱ)が、朱昂の問いには答えずに呟いた。 明るいところで見ると、仁波は思っていたよりも若かった。外見は朱昂よりも年長に見えるだろうが、青年と呼ぶのもまだ許される範囲だ。 野放図なようで、短く整えられた顎を覆う髭に、朱昂はふと自分の両手を見た。乾いた血がへばりつくそれは、年寄りのものかと思うほど痩せ、硬そうな皺が寄っていた。数十年も食も血も与えられず、鼠を食いながら牢獄の壁を掘っていた自分は、さぞや醜くなっているだろう。 今の自分と仁波を見比べて、仁波の方が年上だと思う者はいないかもしれないと、朱昂は息を吐いた。死体から衣服を剥ぎ取り、着替えこそ済ませていたが、朝の風に体臭をまき散らしているのではないかと思うと、ぞっとする。しかし、血の匂いで塞がれてしまった鼻には、自らの異臭を嗅ぎ取る力は残されていなかった。 「追っ手が来ています。急ぎましょう」 王城から攫われた王子を追う隊列が見えたのだろうか。感情の浮き沈みを感じさせない平坦な声に、わずかに焦りが滲んだ。 「先を歩け」 眠らずに山を登り続けたため、手足が重い。休みたいが、それをすれば二度と立ち上がれない予感がした。 仁波が見たものを確かめる気力もなく、朱昂は傍らの男に命じる。だが、仁波は頷かなかった。 「貴様、柘律殿(しゃりつでん)を知っていると」 「存在は知っておりますが、目にしたことはありません」 「何……?」 「しかし、近くにあることは確か。正確な位置は、貴方様ならば分かります――柘律殿は、真血公(しんけつこう)にしか見えません」 言葉を失う朱昂を、仁波の細い目が冷静に眺める。感情を窺わせない目つきや声は、朱昂を緩やかに恐慌状態へ押しやる。己の狼狽が、仁波の態度で浮き彫りになるようだった。 「お信じになれないのも仕方がありません。ただ、ここで足踏みをしている時間もない。木の上まで登れば、きっと貴方様の目に柘律殿が映るでしょう」 「登れ、と?」 朱昂の声が震えた。木にへばりつき、登れというのか。周辺の木は高く、萎えた足では飛びあがることもできない。軽い貧血を覚えた。限界が近い。 場所を知っているのだと思っていた。自分に付き従う姿に、それを確信していた。だからこそ体力を削って登ったのだ。棘の脅威が去れば、後はついて走るだけ。その予想に賭けていた。 ――吸い殺してしまおうか。 この男を食えば、多少は体が楽になるかもしれない。子どもなどどうでもいい、柘律殿もだ。かるい体になって、さがしに行くのだ。それが、いい。そのためにでてきた。そうだ。 「失礼を」 ころそう、と霞んだ頭で考えている間に、ふわりと体が浮いた気がした。倒れると思ったが、そうではない。気づけば仁波に横抱きにされていた。 仁波の眉が寄る、その表情を見て、朱昂は言い知れない怒りと羞恥に襲われた。 やがて近衛兵が飛びあがった。木の枝をいくつか渡るようにして上を目指し、梢の一端で止まった。仁波の(くつ)の下で細い枝が、しなった。 「どうですか?」 言われて辺りを見回す。大きな目が細められた。 「村の向こうの、あれか……?」 「村?」 村と言ったが、どうやら廃村に見えた。どの家の壁も崩れている。廃墟となった家々の背後に、紅い瑠璃瓦が目立つ屋敷があった。そう遠くはない。紅は吸血族の貴色で、真血を示す。王城の瓦も紅である。 あれ、と朱昂が指さしたが、仁波の視線はどうにも定まらない。爪の間に土と血がこびりついた指を、下ろした。 「見えぬのか。近いぞ」 「……私には見えないということは、『アタリ』でしょうな」 言って、仁波は朱昂を抱いたまま木から飛び降りる。わずかな落下圧にすらめまいを感じている間に、近くで小さな足音がした。 丈の合わない赤い衣をまとった少年が、走り寄ってきたのだ。 「葵穣(きじょう)様、お具合は」 「特に異常はありません」 木に登るまで仁波に背負われていた王子が、立っていた。石を踏んだのか、一歩踏み出して足の裏を持ち上げ眺めていた子どもは、何を納得したのか、ひとつ頷いて仁波を見上げる。警戒する様子がないところを見ると、王子と近衛兵は顔見知りのようだった。 子どもの紅い目がこちらを見たような気がして、すぐに仁波の腕から逃れようとするが、どうしたことかがっしりと抱かれたまま動けない。 「離せ」 朱昂の言葉に、仁波は従わない。 「それはなりません。葵穣様、大変ご無礼ながら……」 「構いません。自分の足で歩きます」 少年は長い黒髪を背中へ払うと、ひどく大人びた声を出して、また頷いた。

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