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第36話

「あっ?ああ、それでいい。うん。えっ?それでいい。わかった」 スマホから聞こえる声が聞き取りにくくて何度か聞き返す 週末金曜日の夜。 仕事で疲れた社会人が明日の仕事をきにせずにてんやわんやと大騒ぎしている。 もともと、大衆居酒屋だから、雑音は多いのだが。 なんとか聞き取って通話終了を押す。 「誰?」 「うん・・まぁ」 俺が口ごもったのをみて「あぁ・・」と状況を察してくれたようだった。 すこし肌寒くなってきた11月末の金曜日。 大学時代の友人たちと仕事終わりに集まって居酒屋で時間を過ごしていた。 当時同じゼミで就職してからも付き合いのある仲間4人のうち、特に社交的で行動力もある河崎がひさびさにみんなで飲まないかと招集をかけたのだった。 国立大学の薬学部出身でそれぞれ薬剤師になっていたり、メーカー勤務していたり、俺と同じ製薬会社の研究職で働いていたりとばらばらだった。 「しかし、一年か・・付き合いは長かったのにな」 生ビールを片手に河崎はぼそっとつぶやく。 俺はテーブルに次々と運ばれてくる枝豆やから揚げとか食べつつ、簡単に事の顛末と結論だけ伝えた。 「でもさ、篠山と5年?付き合った期間って」 「そう。5年・・・」 茉莉は実は同じゼミだった。 なので、おれと茉莉が付き合っていたのは公然の事実だった。 「南森がバツイチか・・」 「でもさ、長く付き合って結婚したんだろ?お互い知った上での結婚なんだし、同棲もしていただろ?このままうまくいくと思ったけどな」 胸のあたりが一瞬鈍い痛みを覚えた。 「まぁ、お互いのことはよくわかっていたし、別に性格の不一致とか価値観が合わないとかそういうことではないんだよな」 「じゃ、何?」 友人の突っ込みに思わず、言葉が詰まる。 「むこうにもやりたいこともあったし、結婚していると何かと制約もあるだろ?それより一人で自由にやりたいって思ったんじゃねーの?」 「結婚するタイミングがよくなかったのかもな」 「あーそれあるかも。タイミングとか」 「俺も結婚とか考えるけど、もう少し後でもいいかなとか思ったり」 「相手のタイミングもあるしな」 話題がそれぞれの身の上話にいなったところで、俺は手元にあったビールのグラスを一気に飲み干した。 ちょうど一年前。 俺と茉莉は結婚式をあげた。 都内でも人気のある、おしゃれなガーデンウエディングが売りの結婚式場で12月の晴れ空のなか、生涯の伴侶とすることを誓った。 純白のウェディングドレスに身を包んた茉莉はとてもきれいだった。 そして、結婚式から一年後の来月。 12月に俺たちは離婚する。 恋人の別れ話とはまた違って法律で認められた婚姻関係を解消するというのはかなりの労力が必要だった。 お互いの両親を説得して、マンションも購入していたから財産分与をどうするかとか結婚するより離婚のほうが何倍も大変だというのは本当なのだと思った。 さっきの電話も引っ越しの日を決める連絡だった。 茉莉は薬剤師として病院で働き、俺は製薬会社で研究職として仕事をして二年目。 それなりに研究も認められて新薬のプロジェクトメンバーにも選ばれた。 毎日残業、休日出勤もあたりまえで結婚してからは仕事ばかりになっていった。 茉莉は薬剤師として勤務していたが時間通りに帰宅できていたので毎日家で俺の帰りを待っていた。最初は俺の仕事も理解して忙しいのも仕方ないと思ってくれていたが、帰りも遅く休みもない夫へ不満を募らせるのに時間はかからなかった。 大学のときみたいに自由も時間もあるわけではない。 生活の環境の変化もあってだんだんと気持ちも離れていった。 今まで以上に忙しくなった俺は、茉莉の不満とか不安とか感じながらもきちんと向き合って聞いたり話をすることができなくて、いつも聞き流して先送りにしていた。 子どものことだって‥茉莉は考えていたんだと思う。 会話の端々に子供を望むような発言もあったし、遠回しに義両親が孫の顔見たがってるとか、自分の友人に子供ができたとか、そんな話をしてくることもあった。それに対して俺は子供のことはまだ考えられないとやんわり伝えていた。そのたびに、茉莉は悲しそうな顔をしていた。 子供をもうけることは茉莉への背徳感から踏み切れなかった。 茉莉以外の人が心の中にいる以上、生まれてくる子供にも茉莉にも申し訳ない気持ちがって、家族を増やすということができなかった。 夫婦としてのこれからとか、茉莉を大切に思う気持ちとか、夫としての立場を考えてふるまえばよかったのだろうか・・・と思って、すぐ思い直した。 どちらにせよ、無理だったんだ。 茉莉には申し訳ないが、本当は、婚約解消するつもりだった。 あの日、一年前に憩生をこの手に抱いたとき、本当は覚悟を決めていた。 「婚約解消して憩生と一緒にいる」ということを。

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