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2.俺たち、うまくやってけると思うよ

 さっきからちっともページが進まない漫画を閉じる。  一畳ほどの狭いスペースの中で、俺はため息をついた。そばには漫画の続きが何冊か積んであったけれど、全然読む気になれない。  家に帰ることもできず、俺は漫画喫茶で一晩を過ごしていた。  狭いけれど、誰かにスペースを犯されることはなく快適だ。  だがいつまでもここにいるわけにはいかなかった。いい加減、一度家に帰らないといけない。 「俺の家になんで……! 二人で暮らせるような部屋じゃないってわかってるだろ」  家に突然和が現れて、俺はすぐに母に抗議した。だが、和が同居することはもう決定事項のようだった。 「いいじゃないの、男の子二人なんだからなんとかなるでしょ」 「母さん」 「和は布団買って何とかするって言ってるし」 「だから、そしたら足の踏み場もないんだって」 「仲良くしなさいよ、兄弟でしょう?」  せいぜいが七畳の部屋は、二人で住むには狭すぎる。できることなら新しい部屋を見つけたかった。だが、家賃は実家から出してもらっている。一人暮らしをしたいと言っても、援助は見込めないだろう。  電話を切り、我が物顔で居座っている和に声をかける。 「お前、本気でここに住むのか」 「そう言ってるじゃん」  和の荷物は少なかった。でも、それはもとからだ。実家の子供部屋にいたときも、和は自分のものをほとんど持たなかった。プラレールだって、俺のおさがりだった。  漫画喫茶でシャワーを浴び、服がくさくないことを確認してそのまま大学に向かう。あの部屋を出たとして、俺に行く場所なんてない。  出席が厳しい授業だけは顔を出して、あとはサボるつもりだった。大学のキャンパスに足を踏み入れるのが憂鬱だった。一時はあれほど、希望に満ちた場所に感じられたのに。  あっさり和になびいた佐塚からの連絡はまだなかった。あれきりで終わりにするつもりなのかもしれない。肉体関係まで持って、親しくなったと思っても結局は錯覚だ。  授業時間は、和や彼女のことを考えていたらすぐに過ぎてしまった。  明日の授業は課題のレポートがある。だが参考書も問題文も、部屋に置いたままだ。とにかく家に帰らないといけないけれど、気が向かない。  俺はそのまま、ラウンジで携帯をいじっていた。これといって見たいものがあるわけではない。SNSを開いたり、ニュースサイトを見たりしてただぼうっと過ごす。 「あれ? 八木沢? ここにいたんだ」  顔を上げると、同じ二回生の伊藤だった。 「弟が探してたよ」 「は?」  一瞬、聞き間違いかと思った。彼が和のことを知っているはずはなかった。和は、同じ大学ではなく専門学校に進学したのだから。 「なんで和が……」  伊藤とはサークルで知り合ったが、授業もかぶることが多くて、よく話をする一人だった。 「あんな弟がいるなんて知らなかったわ」 「どこで会ったんだよ……!」  思わず語気を荒げてしまう俺と対照的に、伊藤はけろりとした顔をしている。 「どこって、サークルだけど……」 「は? サークル?」  確かに俺と伊藤は共通したサークルに入っている。一応山登りサークルだが、普段の活動は飲み会ばかりだ。男女比がだいたい一対一なのと、ゆるい雰囲気が好きで一回生の時から所属していた。  俺にとって、やっと手に入れた自由な場所のひとつだった。 「あいつは大学にいってない」 「うちインカレだから、誰だってウェルカムだよ」  伊藤は何を今更という顔をしている。確かに、他大の女の子も所属している。  でも、よりによって和がそこに入ってくるなんて思わなかった。俺はやっと和のいない世界を手に入れたのだ。 「なんで……!」 「そんな怒ることないだろ。弟が言ってたの本当なんだな」 「何?」 「『兄さんには嫌われてる』ってさ」  そう言って伊藤は笑った。寒気が走った。  和のその発言を聞いたサークルの人間はみんな、和に同情したのだろう。どうして嫌うんだろう、バカだね、と言って。和は誰からでも好かれる。俺と違って。  授業が暇なときや、何となくやる気がしないときなど、部室でだらだらと過ごすのは楽しかった。でも、今日からはそこにも、和がやってくるのだ。  希望に溢れていたはずの大学生活が、だんだん輝きを失っていく。和から逃げさえすれば何とかなるのだと思った。実際、京都は悪くなかった。俺はのびのびと俺らしく過ごせているはずだった。 「まぁ、あんだけイケメンだったら反発する気持ちはわかるけどなー」  和さえいないままならば。 「冗談じゃない」  どうにかして和を、実家に帰らせないといけない。あるいは、俺が金を稼いで一人暮らしをするかだ。  和とこのまま一緒に過ごすなんてありえない。 「おい、八木沢」 「冗談じゃないんだよ……!」  このまま和を放置すれば、きっと俺の生活のすべては彼にむしばまれる。それは目に見えていた。  部室に行ったところ、和はもう帰った後だと残念そうに言われた。  和は「兄を探している」と言って部室に来たのだという。俺はこの数日家に帰っていないし、和からの連絡も無視している。この間の入学式で配ったサークルの紹介パンフレットは部屋に置きっぱなしだったし、和がここまでたどり着いたことに不思議はない。 「でも、入部させなくたって……」  もともとサークルに入ろうとしていたわけではないらしい。兄を探しに来ただけだという和を彼らは引き留め、強引に入部届まで書かせてしまったとのことだった。 「なんでそんなことするんすか」  聞かなくても目に見えている。和の見た目に惹かれたのだろう。 「だって何か、おもしろそうじゃん?」  和は山登りも飲み会も興味なんてないはずだ。 「今度の新歓コンパにも呼んどいたから!」  げんなりする。和と一緒に飲み会に出るなんて、考えただけでも憂鬱だ。 「俺は参加しません」 「八木沢兄弟は強制参加です」 「いや、ちょっと待って下さい」  冗談みたいな口調だったけれど、先輩たちの顔は本気だった。俺はあれこれ反論してみたけれど無駄だった。何が何でも先輩たちは和を飲み会に参加させるつもりのようだ。和は兄もいるなら、と言って入部届を書いたらしい。見せられた紙には、几帳面な字が並んでいた。  八木沢和 十九歳。  文字を見ているだけでむかむかしてくる。  もしかしたら、和はいないかもしれない。一縷の望みを託したけれど、ドアを開けるとすぐに声がした。 「あっおかえり」  もともと一人暮らしのために借りた部屋だ。学生御用達のよくある小さなアパート。その二階にある隅の部屋だ。  そう広くはない。だけど和はいつの間にか布団を持ち込み、自分のスペースを作り出していた。布団の他には、和の荷物はちょっとした着替えと電子機器くらいだ。 「ご飯食べた?」  もともと小さいころから、和はおもちゃがほしいとか、ゲームがしたいとか、そういうことはまったく言わなかった。遊んでくれとはしつこかったけれど。  俺は靴を脱いだまま、ぼんやりと立ち尽くす。  家に来て、彼女も奪って、サークルにまで来て。このまま和はどこまで俺の生活を破壊すれば気が済むのか。今すぐサークルの女性メンバーとどうこうなることを考えていたわけではないけれど、親しくなれる相手もいたかもしれない。  でも、和がいたらもうだめだ。  和がいるのに、俺を選ぶ女性なんているわけない。 「この炊飯器って使ってないの?」  和は狭いキッチンに立っていた。実家にいた頃、料理なんてまったくしなかったのに。 「ご飯、作りたかったんだけど思ったより時間なくて」  俺が無視していると、和は何でもないように言った。 「そういやあの女の子、ごめんって」  かっと頭に血が上りそうになるのを何とかこらえる。どうして彼女からではなく、和の口からそんなことを聞かないといけないのか。  佐塚からの連絡は何もなかった。俺の携帯に入っていたのは、和からのメッセージばかりだ。どうしてほんの一言でも、彼女は俺に何かを言ってきてくれないのか。  俺なんて最初からどうでもよかったのだろうか。あるいは、それほど和のことを好きになってしまったのだろうか。 「……他には?」  「付き合いたいって言われたけど断ったよ」  俺は思わず和の顔を見てしまった。和は少し得意げに見えた。  ……まるで、褒めてくれとでも言わんばかりに。 「兄さん、ご飯は?」  殴りつけてやろうかと思った。すっと通った鼻筋を折って、透き通った肌を血まみれにしてやったらどれだけすっとするだろう。  でも俺は体格で和に負けている。この間だって、あっさりマウントされてしまった。武器でもない限りきっと勝てない。  ……和を殺したいと、はじめに思ったのは中学生のときだった。でも、それはあくまで「合法的に」の話だ。和を殺した罪で刑務所に入るつもりなんてない。 「いらねぇよ」  俺は和に背を向けてベッドの上に丸くなる。風呂に入っていなかったし、おなかも減っていた。だけど何もかも、うんざりだった。  この部屋は狭すぎる。若い男二人が住むには息が詰まる。せっかくあの狭い子供部屋から脱出できたと思ったのに。  和が近づいてくる気配がする。もし何かしてくるようだったら殴りつけてやろうと俺は体をこわばらせる。だが、和は必要以上に近づいてくることはなかった。  しばらくして、ぽつりと独り言のような声が降ってきた。 「兄さん、俺たち、うまくやってけると思うよ」  俺は何も答えず、寝たふりを続ける。 「たった二人の兄弟なんだから」  和と二人きりの部屋で眠れるはずなんてないと思った。和がいるだけで、気配がうるさい。なのにいつの間にか、俺は眠りに落ちていた。  ・ 「じゃあ、今日はうちのサークルに来てくれてありがとうございました! 乾杯!!」  和はこれからバイトを始める予定だし、専門学校の授業もあるので、あまりサークルには参加できないと思うと言っていた。  それでも飲み会に来た和は、あっという間に周囲に馴染んでいた。和は人懐こく素直で、てらいがない。もし彼があの容貌でも、もっと人を寄せ付けない性格だったら、俺たちの関係も違っていたのかもしれない。  何もかも、和は俺とは正反対だ。 「お酒に慣れてない子は無理しないでねー、だいたい新歓コンパで一人は死んでるっていうから」  むやみに怖がらせるようなことを部長が言う。 「八木沢くんは飲めるの? あ、八木沢弟だけど」 「和でいいですよ」  部長は少し気難しい女性で、俺はあまり話したことがなく苦手だったけれど、和はすぐに自然と仲良くなっていた。  みんなすぐに和のことを気に入る。俺は一年間このサークルにいるが、まだ一度も話したこともない相手も多い。俺はおいしくも感じられないビールを、なめるようにちびちび飲んでいた。 「お前の弟、やるな」  隣りに座っている伊藤が小声で話しかけてくる。そういえば彼は部長を気に入っていて、ことあるごとに褒めていた。 「年上好きなのかな?」 「俺に聞くな」 「お兄ちゃんだろ」  和は特に、年上女性には気に入られやすい。和の中学生の頃の彼女は同級生だったが、それ以来、付き合っていた女性はほとんど年上だった。 「そうなんじゃねぇの」 「マジかよ……彼女とかいないのか? マジで部長狙い?」 「さぁ」  佐塚とは付き合わないと言っていた。だが信用はできない。俺の彼女とわかっていて、手を出すようなやつだ。 「聞いといてくれよ」  部長は和と話しながら、楽しそうに笑っていた。何がそれほどおかしいのか、口に手を当てて爆笑している。 「嫌だ」 「なんだよー、一緒に暮らしてんだろ?」  伊藤には彼女を和に取られたことは話していない。というより、話せなかった。和の悪行を伝えて愚痴を言いたい気持ちはあるが、弟に彼女を奪われたと言うこと自体が恥ずかしい。 「俺も兄貴いるけどさ、小学生くらいの頃にめちゃくちゃけんかしたけど、今は別にそんな争ったりしないよ。お互い大人になったっていうかさ。飲み行ったりもするし」 「だから?」 「昔からけんかしてたのか?」  けんかと言えるほどのけんかはしなかったと思う。  俺が一方的に、おもちゃを壊すなどの嫌がらせはしたけれど。和が俺に反抗してくることはなかった。  ……今思えば、彼は遠慮していたのかもしれない。自分は本当のこの家の子供ではないのだからと。 「いやーほんと似てない兄弟だな!」  すっかり酔った顔の赤い男が、和の肩を叩いていた。俺もよく知らない男で、先輩のようだった。 「荒堀さんだよ」 「誰?」 「OB。なんかいい会社入ったけどブラックでやめたらしい」  伊藤がそっと耳打ちしてくる。  彼は明らかに酔いすぎていて、周囲から浮いていた。 「荒堀さん、ちょっと」  部長が笑顔のままたしなめる。 「種違いってやつ? それとも腹違い?」  だが、荒堀はなおも続けた。周囲の空気が凍る。  荒堀はへらへらと笑っている。さっきから部長と楽しそうに話したり、女子に囲まれていた和が面白くないのかもしれなかった。  和も何を考えているのか、怒るでもなく何も言わなかった。 「あれ、図星? やっぱり?」  和は無表情のまま何も言わない。だが荒堀はなおもなれなれしく和の肩を掴む。 「だってさぁ、似てないじゃん。あ、もしかして拾われてきたとか?」 「黙れよ」  俺は立ち上がる。がたんと椅子が倒れて、部屋中の視線が集まるのがわかる。  こんなときに人前に出るのは柄じゃない。でも、抑えがきかなかった。 「おい……っ」  俺は伊藤の静止もかまわず、荒堀に思い切り殴りかかった。  人を殴ったことなんてないし、殴り方だってわからない。でもとっさになれば、やれてしまうのだと知った。全身が熱かった。 「何を……!」  荒堀がひるんだのは一瞬で、目をむいて拳を突き出してくる。 「やめろ、八木沢……!」  和と殴り合いのけんかなどしたことがない。彼は、俺に反抗してくることはなかったから。何をされても、ずっと黙っていた。プラレールを壊されても。つまらないとかださいとか文句を言われても、ずっと泣くこともなく黙っていた。  もっと彼の容貌が地味だったらよかったのかもしれない。でも彼はあまりにも似ていなかった。俺の家族の誰にも。  顔を見れば、誰にだってわかった。そんな風にいつだって立場を自覚させられていた彼が、俺とけんかなどできはしなかった。 「何やってんだよ……!」  伊藤や同級生らによってたかって引き離され、俺は我に返る。荒堀が何か呻いている。手がじんじんして、いつの間に殴り返されたのか、頬が熱かった。 “お兄ちゃんなんだから” 「……違う」 「おい、落ち着けって、な?」  和は俺を押さえる人だかりから、少し離れた場所にいた。驚いたような顔をしていた。  俺の酔いはもうすっかり引いていた。頬だけでなく手も足も、あちこちが痛い。 「……違うんだ」  和を守ろうとしたわけでも、母や父のことを思ったわけでもない。なのになぜ、とっさに先輩に殴りかかるようなことをしたのか、俺自身にもわからなかった。  ・  夜道は静かだった。まだ終電は行っていないはずだったが、俺たちは二人きりで歩いていた。家まではゆっくり歩いて一時間もかからないはずだった。俺は、和の肩に寄りかかり、彼に支えられて歩いていた。  慣れないことなどするべきじゃない。拳も頬も、全身あちこちが痛かった。和に支えられるなんてまっぴらだったけれど、タクシーを呼ぶほどの経済的余裕もない。  伊藤たちは、弟がいるなら安心だなと言って俺を託した。こいつが本当は、諸悪の根源なのに。 「サークル、楽しいね」  今しがたの乱闘などなかったかのように和は言う。空は曇っていて、星も見えなかった。 「どこがだよ」 「兄さんが行ってる大学のこと知りたかったから、サークルに入れて、すごく嬉しかった」  俺の腕は、和の体の温かさを感じている。今すぐにでも逃げ出したいのに、支えられて歩き続ける以外にない。  空は暗くて、星は見えなかった。 「……お前は、こうやってまた、俺から奪うのかよ」 「奪う?」 「そうだろ、何もかも……!」 「何もかもって、何?」  無邪気なほどの素直さで和は言う。 「それは……」  確かに、最初から何があっただろう。彼女に裏切られたことは、俺自身の責任なのかもしれない。サークルは、俺だけじゃなくみんなの活動の場だ。俺以外の誰かを歓迎することに、文句を言える筋合いなんてない。わかっている。 「俺には何もないだろって言いたいのかよ」 「そうじゃない」  でも、だからこそ嫌だった。和はその気になればたくさんの居場所を持てる。でも、俺にはこれしかないのだ。 「兄さんはなんでも持ってる。なんだってできて、俺の理想だよ。俺は、少しでも長く一緒に過ごしたいだけ」  和は俺を見下ろして笑った。俺は思いきり、和の腕を振り払う。思わず足がよろけて、その場に倒れそうになる。思った以上にダメージがあるのか、身体に力が入らなかった。 「兄さん」 「ふざけんなよ」 「危ないよ」  住宅街の中にある道の車通りは少なかった。家まではあと三十分もないだろう。ゆっくり歩いて行けば、そうかからずに帰れるはずだ。  俺が壁を伝うようにして歩いて行こうとすると、慌てた様子で和が近寄ってくる。 「何が不満?」 「全部だよ!」 「具体的に言ってよ」 「何なんだよ……!」  とにかく和の全部だ。それが俺の不満だ。  お前がここにいること。存在自体。  そう言おうと彼の方を向いたとき、思い切り体を壁に押しつけられた。肩がコンクリートに触れる。そうしてそのまま顎を取られ、壁に押しつけるようにしてキスをされた。 「んんっ……!」  和の力は強かった。思い切り腕を振り回そうとしても、掴まれて拘束される。身動きがほとんど取れなかった。慣れ親しんだ和の匂いを感じる。 「何すんだよ……!」  やっとのことで解放されて、俺はあえぐように言った。  ここのところ、和はおかしい。前からおかしかったけれど、実家を離れてからそれを隠そうともしなくなった。  どうして男同士でキスなんてするのか。夜とはいえここは外だ。まだ大学にだって近い。このあたりに住んでいる同級生だっているだろう。信じられない。  和は怒るでも笑うでもなく、真顔だった。彼の背後に、ぼんやりと白い月が見えた。 「寂しい? 彼女がいないのが辛い? セックスがしたい?」 「な、に言ってんだよ……」 「具体的に言ってよ、何とかするから」  こいつはおかしい。わざわざ遠く離れた俺の家にまで押しかけてきたことからしてそうだ。  普通だったら、自分が嫌われていることがわかったら近づかない。  そりの合わない兄弟にこだわらなくても、世の中には人がたくさんいる。和だって、もっといろんな人と知り合い、新しい世界を見ることになるはずだ。  和は人当たりがよくていつも誰かに囲まれている。でも、深く付き合っている友人はいるのだろうか。俺にはよくわからない。 「何とかって……何だよ」 「欲求不満なら満たしてあげるし、寂しいならずっとそばにいる」  それなのにわざわざ、彼は俺を追いかけてきた。俺のそばにいたらどうしたって「似ていない兄弟」と言われ続けるのに。 「な……に言って」  それとも、単にあの家を離れたかったのか。ちらと思った。母は和にはいつも甘くて、何をしても怒らなかった。父だって同じだ。和がもし何かが欲しいと言ったなら、二人は一も二もなく与えただろう。  和がそんなことを口にしたことは一度もなかったけれど。  そんなに和はあの家が、嫌だったのだろうか。 「俺は、兄さんのためなら何だってするよ」 「気持ち悪いんだよ」 「何だってする」  和は狂信的に繰り返した。背筋がぞっとする。和が本気で言っていることがわかるから。  俺は彼に、そばにいないこと以外何も求めないのに。  俺たちの望みはまるで真逆だ。 「嬉しかった、かばってくれて」  和はまだ動けない俺を強く抱きしめる。骨が軋みそうなほど痛かった。 「痛い……っ」  ただ俺はうめく。もう抵抗するだけの気力も体力もなかった。  彼がおかしいのはいつからなのか。最初からだったのだろうか。ちらと、本当に苦しそうに「薬を」と言っていた姿が思い浮かぶ。忘れたいのに、忘れられない。自分がした仕打ち。  ――兄さん、助けて。  最初からでなかったのだとしたら、俺が、おかしくしたのだろうか。もっと別の人間が彼の「兄」だったのなら、今頃一緒に楽しく過ごしていたのだろうか。 「……お前が、言い返さないからだろ」  でも、俺だって生まれたときからそんな人間じゃなかった。あんなひどいこと、他の人にしたりしない。  和がいけないのだ。彼がそばにいたから。  だから俺はおかしくなった。 「だって、本当のことじゃないか。親が違うのは」 「黙れよ」 「だって俺の両親は、本当は」 「黙れ!!」  和の体温が熱い。酒を飲んだせいか、俺の体もほてっている。もういっそこのままこの場でしゃがみこんでしまいたかった。  俺も母も父も、どんなに和が他人の子であることが明らかでも、家族の一員だと言い張った。次男だと。家族なのだと、言い続けた。それでも人々の口にうわさは絶えなかった。 「……お前は卑怯だ」 「誰に似たのかな」  和は少し体を離し、俺の頬に触れた。殴られたところがぴりと痛み、俺は顔をしかめる。和はそれを見て笑った。 「兄さんかな」 「気持ち悪いんだよ……」  その次の瞬間、和がどうするか、俺はわかっていた気がする。かがみ込んできた彼の唇が近づく。  何一つ和のことを認められやしないのに、俺はとっさに、そのまま目を閉じていた。暗闇が優しく俺を包み込む。 「兄さんならいいな」  血なんて一滴もつながっていないのだから、和が俺に似るはずがない。なのに和の言葉の響きは切実で、俺はそれ以上の言葉を飲み込むしかなかった。

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