356 / 362

川蝉と霍公鳥

 馨の邸に居を構え直した俺は ただただ絵の事に没頭した  俺は奥野に乞われるままに絵を描き続け  るりは乾いた大地が水を吸う様にあらゆる事を柔軟に吸収し 数年が経つ頃には一端の画家の様に成っていた  あれから 翠也とは会っていない  否 正確には 幾度か公の場で会場を共にする事も有ったが 話す機会は無かった  何故なら 俺の傍らにはるりが居たし 彼の傍らには何時からかあの時の少女が立つ様に成ったから  俺の事を忘れて 進んで居るのだと分かった  彼に逢いたくて  彼に触れたくて  彼が欲しくて  せめて と絵を求めた  奥野を通して 俺が求めたと分からぬ様に手に入れた彼の絵は  助けて下さい  そう訴え掛けるかの様だった  苦しさや 辛さを全て塗り込めたかの様な 助けを求めるかの様な雰囲気が有った  何年経っても褪せぬ記憶の中の翠也を求めて彼の絵を買った  往生際悪く 何年も経ったと云うのに 俺は未だ彼の事を愛していたから 「卯太朗、何を描いているの、」 「呼び捨てはいけないと云っただろう、」 「二人きりの時は赦してよ」  そう云い るりは俺の背に凭れ掛かる 「ずっと描いてる奴、」  昔よりも黒みを増した目が写生帳に落ちる  髪も成長するに連れて深さを増した物の 艶の在る其れは相変わらず日本人には無い不思議な色合いをしていた 「あぁ」  応えて 指で紙を撫でる  ざらりとした紙に描かれた川蝉と霍公鳥 「 彼奴に対抗してるの、」  悪戯を思い付く様な目でるりは云う  川蝉と霍公鳥  翠也は好きだと云っていた此の鳥で何枚も絵を描いていた  そんなに好きなのかと思うと 昔 描くと云いながら反故にしてしまった事が後ろ暗く思えた

ともだちにシェアしよう!