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第1話

 雪が降り積もって来る。天気予報は確認していたから、こうなることは分かっていた。しかし彼との営業の日は、どうしても持っている中で一番最近買った、新しい革靴を履いてきてしまうし、こまめに鏡を見て前髪の毛流れや、ネクタイのトライアングルには歪みがないか、などを確認してしまう。  「寒いですね。この地域での営業も、今日が最後ですか」  「そうだな。風俗店がほとんど立ち退いたとはいえ、結局人間はほとんど住みやしない」  この日、おれは寒空の下、電子眼のスペアパーツの営業を行うため、有能な部下である彼と共に、A市内の眼科を回っていた。  「家賃の相場もずいぶん値下がりしたみたいですけどねェ」  「そう。なのに住むのは人工知能くらいだ」  「は?人工知能?」  「ああ、じいちゃんがそう呼んでた、アレだよ…というかお前また、は、とか先輩に向かって言いやがって」  「アレ…ああAIのことですか」  おれの視線の先の陸橋下には雪の積もったパンタグラフが不法投棄されているし、コンビニの前からは電子音の世間話らしいものが聞こえてきた。さながら異国のようであった。  「そ、いや別に街の人口が増える分にはいいと思うんだけどね」  何気なく視線を泳がせれば『粗大ごみや燃料等の不法投棄禁止』との旨の日本語が目に入る。それが古い看板であることを認識すれば、ああここは国内であった、とようやく再確認できる具合であった。  「はァ、先輩、だから私もAIですってば。というか、アレとかソレとかばっかり」  「三十路も過ぎるとすぐに言葉が出てこなくなる」  そう他愛のない会話と少しの口論を交わしながら、おれは彼と最後の営業先へ向かっていた。  「あ、タピオカだ」  「飲んでいくか」  「今買っていいですか」  「おう、おれも買う」  タピオカミルクティーを、初めは女子供の飲み物だ何だと思っていた。けれど数ヶ月前、以外にも彼から勧められ試してみると、砂糖の背徳的な甘さとタピオカの触感、それに腹持ちの良さにも感激し、おれは一気に虜になった。  「タピオカのルーツって知ってます?」  少し時間が余っていたので、おれたちはそろって駅前のベンチに腰掛けた。ひんやりと冷たかったが、そこには屋根があったため尻が濡れることはなかった。目の前のタクシー乗り場へは、小さくてポン菓子のような雪がふわふわと落ちる。  「これってさ、人工知能が考えたんだよな、人間向けに」  彼と行動を共にすれば、本当にスムーズに事が進むし、トラブルなどもほとんど起こらない。初めは彼が本当に人工知能であるのか疑ったほどであった。  「うーん、微妙に違うんですけど、まあそんな感じです」  彼は脚を組み、自分の足元へ視線を落としていた。スムースレザーが張られた革靴の汚れを右手指でこすりながら、左手ではカップを持ち、揺らして中身を軽く攪拌させていた。そういったさりげない仕草にも色気を覚えてしまうおれはどこかおかしいのではないか、などと考える。  そして行動を共にして、同じものを飲んでも、震えながら白い息を吐いているのはおれ一人であることを、その時なんとなく再確認した。  「私たちは、身体の中に入り込んだ雪を解かすために、もともと塩化ナトリウムを摂取していたらしいんですけど」  「それ。何でだろうな」  「よくわからないです、ただ私の祖母の時代にはもう、伝統というかほとんど風習でやってただけらしいんですけど」  彼は、一見すれば骨格のしっかりとした女性にも見えるような、美しくも不思議な横顔を傾けながら、相も変わらず暇そうに右手指を動かしている。おれは彼の、少し弧を描いた、人工知能離れした緩やかな鷲鼻がとても好きだった。  「へえ、まあそういうの人間にもあるわ、えっと、アレだ」  「うん、でしょ。その塩化ナトリウムって、結局、人間を模して造られた私たちには摂り辛くて。おかしな話なんですけど」  「なんかタピオカ不味くなってきた」  「店員さんが相当デカいって止めたのにXLサイズにしたの先輩なんで、最後まで飲んでください」  「…はい」  「…で、その化学物質を食べやすいように、イモとかでモチっとさせて、味の濃い飲み物に混ぜて飲みだしたんですよ」  彼はふいにこちらを向いたため、おれは慌てて自身のカップに視線を落とす。まだ半分も減っていたなかったそれは、綺麗な紫色をしていた。  「人工知能に融雪剤が必要だったのって百年以上前の話でしょ。高校のころ習ったもん」  「伝統ってそんなもんなんですよ…多分」  「確かに」  「…タロイモラテって美味しいんですか?見た目は綺麗ですね」  綺麗、と言われ、なぜかおれがどきりとする。目を見られたくない、見透かされたくはない、しかしそれ以上に、おれは彼の目を見たかった。  「うん」  美味しいよ、と言いながら、おれは彼の目をはっきりと見た。  「おれも…私も、今度それにしてみようかな」 長いまつげに縁どられた瞳は、影となり多少表情は読み取りづらいけれど、おれは彼の一重の釣り目が大好きだった。  「…で、あのブツブツの触感を楽しむ文化は残ったってわけだ」  「ブツブツ…?はい、ツブツブです。AIは、絶対にこれが金儲けになると踏んだわけですよ」  自身の腕時計に目をやると、約束の時間まであと二十分といったところであった。彼は、身体の内部に時計があるはずではあるが、よくおれの手首を覗き込んでくる。  「好きなんですよ」  「え」  「カルティエのビンテージ」  「あ、ああ、珍しいだろ」  おれは内心をやはり見透かされたいような、されたくないような、といった調子で、しかしやはり怖気付き目を合わされぬよう注意を払いながら、時計をズイと彼に近づけた。  「失くしたりパクられるリスクとかはあんまり気にしない感じですか?」  「ああ、まあやらかしたらその時はその時だな」  「美容整形と一緒なんで、普通に保険適用外ですけど、今10万円くらいで時計埋め込めるらしいですよ」  気が付けばMサイズのタピオカミルクティーを飲み切っていた彼は、革靴の汚れいじりに飽きたようで、手持無沙汰そうに、自身の頭部に植え込まれた美しいファイバーを指に巻き付けていた。  「おれ、そういう系はいいや」  「まあ、別に便利さをそこまで追求する必要はあるのかって話ですからねェ」  彼が指でもてあそんでいるそれは、室内では黒く見えるが、一歩外に出て直射日光に照らされれば、光って焦げ茶色に見える。  「そういやさきみは何で、髪が長めなんだい?不便じゃん、静電気とか」  「え。じゃあ先輩は何でそんなに短くしてるんですか」  まずい、質問に質問で返されるというのは彼の機嫌がよくないという証拠のアレだ、などと考える。  「男らしく見られたいというか。ほらおれ、顔が女っぽいだろ」  「女っぽい男がいてもいいんじゃないですか」  「ならきみは女でもできそうな、そのスタイルが似合うよな、顔が良いから」  「私はファイバーじゃなくて髪の毛に思われたいだけ。顔なんか関係ないですよ。あ、時間ヤバいかも」    そう言いながら、気づけば彼は、不釣り合いに紙でできたレジュメを手にし、そこへ視線を落としていた。  「フフ…雪で湿ってるじゃないか」  「これはこれでいいんですよ。先輩、寒いですか」  「おお、おれはすごく寒いぞ、雪がふぶいてきた。君は」  「ええ、じゃあ私も寒いです」  そう言いながら、おれたちは同じ仕草で、手のひらに自身の息を吹きかける。それが白く曇るのはおれだけだけれど、この気持ちを隠しておくには、それくらいでちょうどいい、と思った。

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