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第2話:幸せってなんだろうな?

橙色の明かりが灯る店内にいるのは、既に帰宅ムードの客ばかりだった。これから店に入ろうとするはた迷惑な客は、恐らく俺達だけだろう。 「個室使っていいってさ」 数歩前を歩く男は、知り合いだという店員に何かを確認して、俺にそう呟いた。 なんで断れなかったんだろう。誘われるがまま付いてきてしまったことを後悔していた。 初対面の人にこんなことは言いたくないけど、正直この男はちょっと怪しい。いや、もちろんティッシュのお返しをくれるなんて義理堅くていい人だ。でもそうして優しくした後に詐欺をはたらいたり、壺を売りつけるような悪い人かもしれない。 「や、それはないか……?」 というより、もし仮にいい人でも、俺は数分前に初めて会話した人と同じテーブルを囲むほどフレンドリーじゃないので、会話に困ってしまう。 「生ひとつ。お兄さんは?」 店員からおしぼりを受け取ると、男はメニューも開かずに注文した。 「あっじゃあカシオレで」 「かしこまりましたー」 「カシオレて、可愛いの頼むんすね」 「可愛いですかね……」 メニューを見る暇も与えなかった上に、人のチョイスを『可愛い』だなんて失礼だなと思ったけど、ビールが飲めないというコンプレックスを刺激されただけだと気づき、なんだか恥ずかしかった。 「お待たせしましたー」 程なくして運ばれてきた生ビールとカシスオレンジを受け取ると、男がニヤッと笑ったので、仕方なく彼へグラスを傾けた。 「乾杯!」 カツンと小気味よい音が鳴り、俺達はそれぞれお酒を飲んだ。男は一息にジョッキの半分くらいまで飲んでいたので、体質的に一気飲みができない俺は少しだけ羨ましかった。そして、ティーカップよりジョッキが似合う男だと思った。 「そういや名乗ってなかった。加賀凛太郎(かが りんたろう)です。もうすぐ22になります」 「あ、じゃあ俺の1つ上ですね。筧深月(かけいみつき)っていいます」 カシスオレンジの甘酸っぱさが、徐々に思考力を奪っていく。数十分前に初めて会った人とサシで飲む、という奇妙な出来事へのツッコミも忘れて、やっぱりアルコールは偉大だ、なんて呑気なことを思った。 「いやー、すんませんね。ちょっと誰かと飲まないとしんどくて」 お通しとして運ばれてきた鶏肉と大根の煮物をつまみながら、加賀さんは笑った。 「まぁ、明日休みでしたし」 本当は帰って今すぐにでも寝たいけど、付いてきてしまったのだから仕方が無い。 「ていうか、泣いてた理由聞かないんすか」 「聞いた方が良いですか?」 「あはは。いいっすね〜その返し。今度使お」 なんとなく聞かない方ががいいと思って口に出さずにいたのに、そんな風に笑うのはちょっと無神経じゃないか。 「いやまあ、聞いてほしいなら聞きますよ」 「じゃあ聞いてくれます? 涙の理由を」 「ああ、はい」 急にドラマのセリフみたいな言い回しをしたので笑いそうになったけど、ぐっと堪えた。 「筧さんとこの『ゆる』に(つじ)っているでしょ? あれ俺の彼氏なんだけどさ」 「……えっ? 彼氏? 辻さん……確かにいましたけど」 辻愛富(つじあとむ)。華奢で口数が少ない、1つ歳上の男。彼は早番で入っているので、遅番の俺はあまり顔を合わせたことがない。 「あ、信じてねぇだろ。ほれ」 そう言われて見せられたスマートフォンの画面には、2人が写っていた。その加賀さんの表情が今現在とまるで違い、部屋着の二人は柔い雰囲気で、なんだか見てはいけないものを見てしまった気分になった。そして何より、反応に困る。 「あー、辻さんですね」 「でしょ」 というか、普通にカミングアウトするんだな……。俺が知らないだけで、今はそういうもんなのかな。辻さんがゲイだったなんて、全く知らなかった。 「コイツに振られた。ついさっき」 「えっ、ついさっきですか?」 「うん。俺は納得してねーけど」 「あ〜……」 またうまい言葉が見つけられず、視線がふらふらとさまよう。 俺は恋愛をまともにしてこなかった。誰か1人に対して一喜一憂するのは嫌いだし、これといった趣味も夢もない、とにかくつまらない男だし。感情表現が下手だから、何かに熱くなるのは特に苦手だった。人前で泣いたり怒ったりできる人は、とても幸せだと思う。 加賀さんが泣いていた理由が恋愛絡みだとわかり、なんだか白けてしまった。振られたからって、あんなに大泣きしなくてもいいんじゃないか。 「そんでさ、申し訳ないんだけど、アイツの今月のシフト教えて欲しいっす」 加賀さんは顔を前で手を合わせ、頭を下げた。多分これが、俺を誘った目的だったんだろう。 言いにくいなと思うけど、仕方が無い。 「いや、あの、辻さん先週辞めましたよ」 「……は? マジで?」 「すいません……マジです。だから俺、今日まで6連勤すよ」 「は、マジかよ? あいつ本気じゃん。なに俺、もしかしてマジで振られてる?」 加賀さんは俺の6連勤を慰めずに項垂れた。恋人を振るのにマジじゃない時なんてあるのだろうか。 「うーん、マジなんじゃないですか」 「いや他人事かよ」 「あ、えっとまぁ、ほら。これで死ぬわけじゃないし。加賀さん格好いいから、すぐ次の人見つかりますよ」 「いや慰めんの下手くそかよ」 「すいません……」 それからの加賀さんはというと、憔悴し切った後で、これでもかというほどアルコールを摂取していた。やけ酒だというのは誰が見ても明確だったけど、俺はなんとなく止めない方がいいかなと思って止めなかった。 「つーかさぁ、幸せってなんだろうな? 普通の幸せってなに? 結婚して子供持つとか? マイホーム? 出世? あ、もしかして幸せだって思い込めば幸せ?」 「加賀さん、もう帰りましょうよ。俺んち泊まっていいので……あ、これはダメなのか?」 加賀さんの体内でアルコールが暴れ、いよいよ哲学的なことを言い出したので、お開きになった。 もう外はすっかり明るくなっていた。

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