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第3話:喫茶店が似合わないね

「やさしーい、男だったんだよ」 加賀さんは、自分の足で地下鉄に乗り帰って行った。最後によくわからない言葉を残したけど、多分辻さんのことなんだろう。 帰り道では「牛丼屋で豚丼を頼む奴とは一生友達になれない」とか「隣の芝生は青く見えるって、実際は緑だろ」とか、取るに足らないことをペラペラと話していたので、テキトーに相槌を打っておいた。 「なんだったんだ、ほんと……」 ポケットティッシュをテーブルに置いて呟く。結局、4つすべて貰ってきてしまった。 淡い青色の布団にもぐり、目を閉じてやっと、あぁ俺は眠かったんだなと気づく。外が明るいことなどもはやどうでもよくて、深い眠りに落ちていった。 * 加賀さんと飲みに行ってから3日が経った。今日からまた連勤だ。春休みなので、どうしてもシフトを詰め込みすぎてしまう。 よく考えてみると、奢ると言われたはずなのに、全額支払ったのは俺だ。加賀さんの金額分は返して欲しいけど、連絡先を交換したわけではないので、バイト先に訪ねてもらうしかない。でも、もしかしたらタダ飯を狙ってたのかもしれないな。 すぐに人を信用するのは辞めよう。悪い人には見えなかったけど、いわば食い逃げされたのだから、良くも悪くも人は見かけじゃないってことだ。 カウンターを拭きながらそんなことをぼんやり考えていると、カランとドアベルが鳴った。 振り返ると、そこには辻さんがいた。薄いベージュのカーディガンを羽織っているからか、いつもよりさらに華奢に見える。 「おう、アムじゃねえか」 「マスター、カケくんお疲れ様です。エプロン返しに来ました」 「ありがとな。お客いないしなんか飲んでいけよ」 今日は朝から雨風が強く、客の入りが悪い。 辻さんはマスターの提案を聞くと、少し困ったように笑った。 「いやあ、これから大学行かなきゃいけなくて」 「そうなのか?」 「はい。また時間ある時にきます」 「おー、いつでも来いよ」 辻さんがペコリと軽く頭を下げ、踵を返す。 心臓がドクッと動いて、俺は気づいたら口を開いていた。 「あっ、辻さん!」 「ん?」 「あ、えっと〜、あの……」 大きな声で呼び止めたのに、自分でもなんで呼び止めたのかがわからない。 ただただ、加賀さんの顔が頭に浮かんでは消えるだけだ。 「どしたの?」 「あの、ちょっと話しませんか」 「え……?」 話したところで何になるかはわからないけど、とにかく辻さんを引き止めたかった。 辻さんが俺を見たまま固まっている。何か言わないといけない。 「えっと、確かラテ好きでしたよね? 俺、ラテアート練習してるので、どうですか? マスターいいですよね?」 「構わねえよ。せっかくだから急いでなければ飲んでいけ」 「じゃあ、ちょっとだけ……。連れと来てるので呼んできます」 そう言うと、辻さんは一旦外へ出ていった。 「ラテアート練習してたのか? そろそろやらせようかとは思ってたけどよ」 「そうですね、一応……下手ですけど」 あぁ、まずい。マスターに嘘をついてしまった。練習なんてしてないけど、マスターの手つきを真似れば、多分いけるんじゃないか。 根拠の無い自信を感じていると、再びドアベルが鳴る。 「いらっしゃいませ」 また反射的に振り向くと、入店した人と目が合った。加賀さんだ。辻さんの後ろで人差し指を立て、俺に「シー!」と伝えている。 「ほんと加賀って喫茶店が似合わないね」 「うるせー、聞き飽きた」 2人はカウンター席に座り、メニューを開いた。加賀さんも辻さんも至って普通だし、もしかしたら仲直りしたのかもしれない。 加賀さんは、薔薇の刺繍が施された黒のスカジャンを着ていた。この前のスーツ姿とは別人のようだけど、加賀さんのために作られたものなんじゃないかと思うほど、よく似合っている。 「じゃあラテと……加賀は? コーヒー以外もあるよ」 「ん、じゃあこれ。クリームソーダで」 「ラテとクリームソーダですね」 恋人だということを踏まえて2人を見ても、気になるのはファッションの系統が真逆ということくらいで、不思議と違和感はなかった。 むしろ、長い時間一緒に過ごしてきたというのが会話などから伝わってきて、こちらが気恥ずかしくなるくらいだ。 俺の下手なラテアートを出すと、加賀さんがあからさまに笑いをこらえていたので、辻さんは必死に俺をフォローしてくれた。 結局、加賀さんとは初対面という体で30分くらい話したけど、自然に振る舞えていたかは自信が無い。 「俺トイレ借りてから戻るわ。先行ってて」 「わかった。じゃあ……マスター、カケくん、ごちそうさまでした。また遊びに来ます」 「おう。また来いよ」 辻さんが店を出て見えなくなったので、グラスを下げようとカウンターから出る。すると、加賀さんはトイレではなく俺に向かってきた。タバコと香水の混ざった匂いが鼻をかすめる。 「いくらだった? この前の」 「え? あ、えっと……3,200円です、でした」 加賀さんはスキニーパンツのポケットから財布を取り出し、中を確認した。 「加賀さん、あの――」 「しっ! あいつにバレるとめんどくせーから」 「え、あ、すいません」 辻さんは先に戻ってるけど、加賀さんはとても警戒しているようだ。 そして1万円札を俺の手に忍ばすと、無理やり握らせた。 「マジでごめんなさい。また今度遊ぼうな!」 「えっ、ちょ、こんなにいらないっす」 「いーからもらっといて! じゃ、ごちそうさま!」 そう言うと、加賀さんは足早に店を出ていった。 「なんだぁ? 知り合いだったのか?」 「…………」 やっぱり義理堅い人だと思った。この前はスーツだったのに、今日はスカジャンを着ていた。辻さんと仲直りしたのだろうか。それとも、本当は振られてなかったとか。クリームソーダを選ぶなんて、もしかしたらコーヒーが嫌いなのかもしれない。でもそれなら、どうしてこの前はコーヒーを注文したのだろう。 疑問が一気に湧いてくる。加賀さんという人を、ほんの少しだけ知りたくなった。

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