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5親愛と恋愛の境目は

――先生、親愛と恋愛の境目ってなんですか」  僕はしばし考え込んで、そう不意に問いかけた。先生はその間ずっと黙ってくれていたが、その言葉で真剣に考え込み、答えた。 「そうだな、愚かになるかどうか、じゃないかな。親愛であれ独占欲は湧く。けれども、どんな手段を使おうとも相手を自分だけのものにしたい、なんて親や兄弟、友人には思わないだろう?」 「愚かになるかどうか、ですか。……僕はてっきり、性的欲求を感じるかどうか、かと」  そう言うと、先生は虚をつかれたようにしばし黙りこくって、そして堪えかねたように笑った。 「澄ました顔をしてどぎついことを言うなあ。それは確かに真理だ。でもそれじゃ、猿と違いないじゃないか」 「仕方ありませんね、僕らの先祖は猿ですから」 「弱ったな、これは一本取られた。……じゃあ、その二つを満たすのが恋愛、ってことにしておこうか」  先生はそう結論付けた。――先生は僕に、性的欲求を感じるのだろうか。素朴な疑問を感じ、そう尋ねてみた。すると先生は苦り切った顔で笑った。 「そりゃあ……君は恋愛対象だからね」  遠回しな言葉で認めた先生。弱ったような先生の言動もそうだったが、先生がそういうことに興味があることに少し驚いた。何せ、先生はそういうことに関して淡白だと思っていたからだ。 「興奮するんですか」 「困ったな……君はそういうことに関して興味がないとばかり」  窮地に追い込まれたような顔をして先生が呟いた。興味は、人並みとは言わないが思春期なのだから多少はある。  ただ、自分には全く関係のない、物語の中の事象だと思っていただけだ。それが自分と同じ次元に降りてきたのだから、興味が湧くに決まっている。 「どう足掻いても僕は思春期の男子ですから。今までは自分に全く関係がなかったから興味が湧かなかっただけです」 「その割に淡々と言うね」  どこまでも直接的に答えない先生。せっかくだからもう少し狼狽える先生が見たいと僕は思った。何事にも動じずに微笑んでいる先生のこんな反応は、至極珍しいからだ。 「興奮するんですか、僕に」  再度尋ねて、顔を近付けてみた。鼻がぶつかりそうな距離の端正な顔が、予想外のことに固まった。そして先生は視線を逸らして「ああもう」と零したかと思うと、顔を少し横に傾けて、更に近付けた。  今度は僕が予想外のことに固まる番だった。何故なら――そのまま唇が重なったからだ。  やがて先生はすっと唇を離した。伏し目がちな表情に色気を感じて、何だかどきまぎした。時間が倍速で流れるように感じる。そして先生はゆっくりと微笑みを浮かべた。 「分かっただろう? これに懲りたら私をあまりからかわないでくれ。今度は抑えが効かなくなる」  時間の流れが元に戻ったように感じた。遅れて、心拍数が上がった。何も言えずに混乱する僕を見かねたのか、先生は話を逸らすように言った。 「容態、だいぶ安定してきたね。喘息の発作もおさまったし。もう退院してもいいんだけど、どうする? 何せ凪斗君は特別室の患者だ、入院期間の融通くらい利かせられる」 「……もう少し、入院します」  先生はその答えを予期していたように頷いた。その後、明日は仕事が入っているからその時に融通を利かせよう、と言った。

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