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3それなら僕も狂うまで
あの後一人で考えたが、先生が狂っているほどに僕を愛していたとして、僕にはどんな害があるだろう。
考えてみればここ数週間くらいの生活は、ほぼ先生としか会話をしていないし、時々看護師が入ってくる以外は、ここは密室と言っても過言ではない。
それでも、僕が被った害なんて秀のことくらい。つまり、無いに等しいのだ。
その上先生が面会謝絶の扱いにしているのだから、外から来る人間はいない訳だ。昨日秀も追い返されたので、それこそ誰も。その上僕はこの滅多に部屋を出ない。
だから今までの僕の生活は、実質監禁されているのと何ら変わりがなかったのだ。それでも困ることも嫌なことも何一つなかった。
僕は先生と二人きりの世界に押し込まれたとして、何も不自由なく過ごせるのではないだろうか。
それに、僕は先生がいなくなったらどうしていいのか分からない。思い返せば、先生の生活が僕中心だったように、僕の生活も先生中心だったのだ。会話をした相手が先生だけ、という日もざらにあったくらい。
だったら何を怖がる必要がある?
この前はあまりにも唐突で、恐怖を感じてしまっただけだ。僕だって先生が他の人に靡いたら嫌だ。先生の態度から、そのことは心配しようともしなかっただけで。
むしろこんな存在価値がないような僕をここまで愛してくれる先生なんだから、すべて受け入れるのが条理じゃないか。僕は先生の愛を拒めるほど大層な人間でもないし、拒む理由もない。
つまり、先生が狂っているのだったら僕も狂うまで、だ。
それに、他からはどう見えようとも、それも立派な愛の形ではないか。秀に会えないのは少し寂しいが、先生に愛してもらえるのならそれはそれで幸せかもしれない。
しかしその、もしかしたら歪んでいるのかもしれない生活は、急に変化を告げた。
――咳が止まらない。血の混じった痰は出るし、息は吸えなくて目の前はぼうと霞むしで、苦しくて堪らない。
心電図モニターが異常を知らせ、うるさく鳴る。看護師たちが急いで僕の元へ駆けつけ、吸入機で薬を注入した。
それでも咳は止まらず、むしろ酷くなった。何をしても止まらず、酸素がうまく吸えない。先生もいつの間にか駆けつけ、必死に治療に当たってくれた。
その後咳こそ止まったが、息苦しさは酷くなるばかり。終いには視界がぼやけ、そのまま暗くなっていった。
目が覚めると、僕は点滴に繋がれていて酸素マスクをしていた。
時々喘息の発作が酷くなると、僕は意識も失うのだ。今回のもそうだったのだろう。せっかく容態が安定してきたと思っていたのに、ここに来てまた悪くなった。
今は何時だろうか、と時計を探そうとした時、扉が開いた。そこにいたのは先生だった。先生は、心の底から安堵したようにため息を吐き、無言で僕に歩み寄って抱き締めた。
「良かった……目を覚ましてくれて」
そう囁いた暖かい掠れ声で先生の心配を感じ、嬉しくなった。
「僕、は」
声を出して驚いた。ほとんど息だろうと思うくらい掠れた声だったのだ。先生は抱き締めたまま、こう答えた。
「気道が塞がって呼吸が停止して意識不明だったんだよ。死んでいてもおかしくなかった」
それを聞いて驚いた。僕の喘息が人よりもずっと重いのは知っていたが、命に関わるほどだとは。
「私は君がいないと生きている意味がないんだ、私を置いていかないでくれ」
悲痛な顔でそう僕を見つめる先生。大袈裟だと一笑に付すことはできたが、この前の先生を思うと、あながち冗談でもないのかもしれない。
「先生は、僕が死んだら――」
その先を悟ったか、先生は迷いもせず答えた。
「勿論、後を追うよ」
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