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3歪み狂った愛の形

 私以外に凪斗君を想う人がいたら、殺してしまうかもしれないから――あの時の瀬尾先生の声は、変に芝居がかったところはなく至って自然の、それでいて狂気を孕んだものだった。  殺される、そう一瞬観念したほどだ。思い出すと未だに寒気がする。というより、頭から離れないのだ。  表向きが完璧な人間ほど、欠点は取り返しがつかないほど大きい、それは真だったようだ。  しかし欠点を周りにバラしたところで彼は何も変わらないだろう。彼の大事なもの、もとい生きている世界が違うのだから。  しかし、そんな彼も最近は少しやつれてきた。大丈夫かと他人が尋ねても力無さげに笑うのみ。恐らく、それほど入れ込んでいる代議士子息が、肺がん末期と診断されたからだろう。  そうなると、残された時間を彼は代議士子息と二人きりで過ごしたがるのでは、そう思い至り一つの考えが浮かんだ。  彼は、家族や友人を全て追い出してでも、代議士子息を部屋に監禁してでも、二人きりで過ごしそうだ。そんなはずがない、と笑い飛ばすことはできなかった。  そんな恐ろしい考えを抱えている時、俺の目に一人の少年が目に入った。彼は躊躇うように受付の前をうろうろとしていた。  普段なら気にならなかったが、少しでも恐ろしい考えから逃れたかったのだろう、俺は声をかけていた。 「君、どうしたんだ?」  彼は声を聞いて、まるで肉食獣に遭遇したかのように震え、恐る恐る俺の方を振り向いた。しかし俺の顔を見ると、途端に安堵したように笑った。誰かと間違えでもしたのだろうか。 「その、お見舞いに来たんですけど前回面会謝絶って言われて、でも諦め切れなくて」  面会謝絶の患者はいただろうか。少なくとも、俺の知っている患者ではいない。  ともかく事情を聞こうと、邪魔にならないよう壁際に招いて話を聞いた。 「お見舞いって、家族? それとも友達? かかっている科は?」 「幼馴染で、呼吸器内科です。幼稚園からずっと一緒なんですけど、あいつ、面会謝絶なんてした試しがないんです」  呼吸器内科、面会謝絶――瀬尾先生の顔が浮かんだ。その想像を打ち消すため、俺は尋ねた。 「その友達の名前って深川凪斗さん?」  しかし彼は、驚愕したように目を開いた。やはり、瀬尾先生は他人を全て追い出していた。  この分ではまさか、肺がん末期のことも知らないのでは。冷や汗をかきながらこう尋ねた。 「深川さんって、どんなご病気だったっけ」 「えっと、喘息です。前回来た時は容態が安定してたから、そろそろ退院してもいい頃だって思うんですけど」  瀬尾先生は、幼稚園からずっと一緒、なんていう恐らく唯一無二の幼馴染にすら、がんを伝えるのを禁じたのだろうか。  一人のエゴで幼馴染が最期に言葉を伝えそびれる、そんなことがあってたまるか。そう思い、俺は意を決して伝えた。 「深川さんは現在呼吸器内科じゃないよ、呼吸器外科だ。彼は、肺がんのステージⅣだから」  彼は惚けた顔をして、二度、三度、と瞬きをした。その後、激昂したように俺の胸倉を掴み上げた。 「は? 肺がんのステージⅣ? そんな訳ないじゃないですか、だってっ……だって! 凪斗は俺にそんなこと、俺に一度も言わなかったし、連絡だって無かったんですよ! いい加減なことを言わないで下さい!」  周りの外来患者や医師、看護師などが一斉にこちらを向く。そんなことをされても俺は、全く腹が立たなかった。  それもそのはず、元気だった幼馴染がいきなりがんにかかっている、なんて言われても信じたくないだろう。連絡一つ行かなかったのだ、怒って当然だ。ただ、怒る相手は俺じゃない。  俺はそんな彼をやんわりと手で制すと、言い含めた。 「君の気持ちはよく分かるよ。だけど怒る相手は俺じゃない、深川さんに連絡をさせなかった瀬尾先生だ」  彼はそれを聞いて、あの先生か、と忌々しげに呟いた。俺は瀬尾先生の恐ろしさを伝えるべく、続けた。  きっと俺は、この少年に瀬尾先生を変えてもらいたかったのだろう。瀬尾先生のように恐ろしい同僚がいては堪らないから。 「瀬尾先生は勝手に深川さんを面会謝絶の扱いにして、深川さんを病室に閉じ込めたんだ。それできっと、連絡をさせなかったんだ、がんになっても誰にも。それだけじゃない、瀬尾先生の携帯の画像フォルダには深川さんの盗撮写真しか入っていないし、毎日盗聴してはデータを携帯に保存している。恐ろしいと思わないか?」  彼は目を見開き、握った拳をわなわなと震わせた。やがて、行かなきゃ、と呟いた。だから俺は、彼の手を引いて深川さんの病室へと走った。

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