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4歪み狂った愛の形

「凪斗!」  叫びながら部屋に勢い良く入った彼だったが、深川さんは平然とした顔で読書をしていた。  抗がん治療のせいか、以前見た時より痩せていて、髪が抜けたのかニット帽を被っており、全身を点滴に繋がれていたが。 「秀。どうしたの、そんなに焦って」  深川さんは相変わらずの無表情で、少しだけ首を傾げた。彼はかつかつと深川さんに歩み寄ると、思い切り抱き締めた。俺から見える深川さんの顔は、困惑したように少しだけ眉をひそめていた。 「何があったの、秀。まさか泣いてるの?」 「馬鹿凪斗ぉ……」  彼は気が抜けたのか、抱き締めたまま膝から崩れ落ちた。深川さんは対照的で、表情のない顔で少しだけ首を捻るのみだった。 「お前、肺がんのステージⅣだって……嘘だろ? 凪斗、嘘だって言ってくれよ……」  深川さんは一瞬口ごもると、淡々と告げた。まるで、テレビの中のドキュメンタリーについて話すように。 「本当だよ。ステージⅣって一年生存率は五割程度で、五年生存率は一桁なんだって。治療はしてるけどもうすぐ死ぬかもね、僕」  彼は驚いたように深川さんを見上げた。やがて、恨みがましく呟いた。 「何でお前、悲しまねえんだよ。お前の人生これからじゃん、まだまだやれることはいっぱいあったはずじゃん、なのにどうして――」  しかし深川さんは、なおも疑問気に首を捻った。 「僕がやれることなんて何もないし、やりたいことだって一つもないよ。僕の人生の虚しさに嘆くことはあっても、潰えた可能性に嘆くなんてしない。今すぐ死んだって後悔はしないよ、僕は」  なんと虚無的な考え方なのだろう。代議士の息子なんだから、例え喘息持ちでもやれることはたくさんあったはずなのに。  だが彼は、凪斗らしいや、と涙声で笑うと、ぐっと目元を拭い、深川さんから離れて語りかけた。 「確かに営業とか事務とかものづくりとか、そういう普通の仕事はできないだろうし、俺も向いてないと思う。  でも、お前には文学があるじゃん。必死に生き延びて、作家になればよかっただろ。いや、生存率なんてあてにならねえよ、今からだってやれる。ほら、近代の文豪って喘息持ちとか死にかけた奴とかいっぱいいるじゃん。お前ならきっと、いい作品が書けるよ。……なあ、俺に、お前の作品を読ませてくれよ」  深川さんは初めて表情らしい表情を浮かべた。驚いたように、彼を見たのだ。しかし、深川さんはゆっくりとかぶりを振った。 「無理だよ。僕なんかにいい作品なんて書けやしない」  そして、話題を変えるように問いかけた。 「よくここに来れたね? 面会謝絶になってなかったっけ」  彼はいきなり変わった話題に戸惑うような様子を見せ、答えながら俺の方を振り向いた。 「なってたと思うけど、この先生に連れて来てもらった」  深川さんは俺を見ると、大多喜先生でしたっけ、と呟いた。深川さんは俺が頷いたのを見て少し考え込み、こう言った。 「秀、来てくれてありがとう。大多喜先生も秀を連れて来て下さってありがとうございます。……でも、そろそろ帰った方がいいよ、大多喜先生もです。この時間だときっと、そろそろ先生が来るから」  彼は、先生、と口の中で呟くと、思い出したように切羽詰まった様子でまくし立てた。警告を発するように。 「凪斗、その先生とは関係を絶て! その先生、凪斗を病室に閉じ込めてんだろ? それに、お前のこと盗撮してるし盗聴だってしてる。そんなやばい奴とは離れた方がいいって!」 「……どうして秀がそういうことを言うの? 僕にどんなことがあろうと僕の人生だから、秀には関係ないでしょう」  至極不思議そうに瞬きをする深川さん。彼は信じられなさそうに聞き返し、その勢いのまま、言い放った。きっとそれは、少年が抑え込み続けた本心が、抑え込まれていた扉から飛び出した瞬間だったのだろう。 「関係あるに決まってんだろ、俺は凪斗が好きなんだから! お前には危ない目に遭って欲しくねえんだよ。  お前の家の使用人に頼んだらさ、病院をずっと遠くに移動するのだってできんだろ? そしたらあの狂った医者から逃げられんだよ! 学校は移動した先にある学校に転校するのでもいいだろ? 俺もそこに着いて行くからさ。なあ凪斗、俺と一緒に狂った医者から逃げようぜ」  彼は必死に説得していたから気付かなかったのだろう。その『狂った医者』が、背後に迫っていたことに。 「――その狂った医者っていうのは、私のことかな?」

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