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 外が宵闇に包まれる時間帯。  セシルは自室の机で教科書と向かい合っていた。  毎晩、授業の予習と復習……そして、魔術の練習をするのが日課となっている。 「……真面目だな」  と、あくびを噛み殺しながらレヴィンは言う。  だが、勉強の邪魔をするつもりはないらしく、それ以上は声をかけてこなかった。セシルは内心でホッとした。  予習・復習を終え、魔術の練習にとりかかる。 (今日は『リトル・チェンジ』の練習をしてみるか)  練習台として学校指定の鞄を空にして、サイドテーブルに置く。その鞄に向かって、掌を向けた。 「≪我が意に従い・変化せよ≫」  本来であれば鞄が光に包まれ、小さくなるはずなのだが。  何も起こらない。まったくの無反応だ。セシルは何度か呪文を唱えた。だが、魔術が起こる時に生じる光すら、一筋も現れない。  数十回目失敗の後。退屈そうに眺めていたレヴィンが口を開く。 「成功したこと、あんのか?」 「『リトル・チェンジ』は一度もない……」  セシルは小さな声で答えた。 「じゃ、他の術は?」 「成功したことがあるのは、『テレポーテーション』だけだ」 「使える術もあるのか」 「いや、その……成功するのも300回に1回とか……」 「ほとんど奇跡みたいな確率だな……」  セシルは手を下ろし、俯く。そして、ちらりとレヴィンの方を見た。 「……何か、おかしなところがあるだろうか」 「俺に聞くのかよ」 「人に教えを乞うことは悪いことじゃないと先生も言っていた」 「その心がけは立派だな。とはいえ」  レヴィンはかったるそうに手を振る。 「人間の使う魔術のことは、俺にはさっぱりわからん」  人間の使う無属性魔術と、妖魔(ジン)の使う属性魔術はまったくの別物だ。  人間は「音声」を媒介とし、「世界の一部のあり方を変える」術を使う。そのため、魔術の起動には詠唱が必要となる。  一方で妖魔は、自分の体――4元素から構成されている――を分解し、変化させることで術を使う。例えば火トカゲ【サラマンダー】は体内の一部を火に変えることで、口から炎を吐き出すことができる。妖魔による魔術は詠唱を必要としない。  だから、レヴィンに人間の魔術がわからないというのは、当然のことなのだが――この妖魔は普通ではない。セシルは今朝のことを思い出した。 「お前、今朝は『リトル・チェンジ』を使っていたじゃないか」 「力の構成がちがうんだよ。得られる結果は同じでも、そこに至る過程が異なる」 「では、お前が使ったのは、厳密に言えば『リトル・チェンジ』ではないということか?」 「まあ、そういうことだ」  そういえば、レヴィンは呪文を詠唱していなかった。人間の使う無属性魔術には詠唱が必要不可欠だ。  とにかく、レヴィンに魔術を教えてもらうことはできないようだ。 (自分でがんばるしかないか……)  セシルは顔を上げて、レヴィンと視線を合わせた。 「――ありがとう」 「あ?」  少年が素直に告げたことが意外だったのか、レヴィンは目を瞬かせた。  セシルはむっとした顔で赤くなる。 「僕だって礼くらいは言えるぞ」 「俺、役に立つことは何にもしてねえけど?」 「知っていることを教えてくれた。その礼だ」  まっすぐに目を合わせると、レヴィンは気まずそうに顔を背ける。 「何でそうまでしてがんばる?」 「え?」  レヴィンはセシルと視線を合わせないまま、言いづらそうに続けた。 「そこまで失敗続きなら、あんたには魔術の才能がないんだろう。このままがんばったところで、無駄じゃないのか?」 「それは……」  セシルは言葉につまった。  勉強机の椅子にすとんと座る。  数秒の沈黙の後。少年は静かな声で語った。 「僕の父の名は、マルクス・バルト。この国で有名な魔術師だ。父様のような魔術師になりたい――それが僕の夢なんだ」 「父親への憧れってやつか」  レヴィンの言葉にセシルはゆっくりと首を振る。 「父様は僕に興味がなかった。ほとんど顔を合わせたこともないし、たまに会うことがあっても僕には冷たかった」  父とはもう1年以上、会っていない。この学園は全寮制であり、セシルもずっと寮生活を送っている。長期休暇になると多くの学生は実家に帰るのだが、セシルは休暇中も寮に残っていた。父から戻って来なくていいと言われているのだ。  兄であるエルムは実家に戻るのに……である。  だから、セシルは父を怖いと思ったことこそあれ、それ以外の感情を抱いたことはなかった。セシルが父を目指すのは、憧れとはまったく別の理由からだった。  セシルは机の引き出しからある物をとり出す。  それは古びたペンダントだった。中央には翡翠色の宝石がはめこまれている。 「『マルクスのように立派な魔術師になって欲しい』……母様の願いなんだ。僕は母様の期待に応えたい」  そのペンダントを撫でながら、少年は告げる。  今は亡き母の形見だ。セシルは彼女の願いを叶えたいとがんばってきた。どれだけ無能だと馬鹿にされようと、他の家族から疎まれようとも。  母だけがセシルの心の支えだった。  レヴィンは何か思うところがあるのか、じっとセシルのことを見つめていた。  やがて、顔を背けて、 「ま……せいぜいがんばれよ」  と、ぶっきらぼうな声で告げた。  セシルは意外に思った。  茶化したり、馬鹿にしたりせずに、素直に応援してもらえたことが嬉しい。心がふわりと軽くなる。 (よし……がんばろう)  気力が湧いてくる。まずは魔術の基本構成から見直そうと、教科書に目を通してみることにした。

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