3 / 68
第3話
シラカバの梢のまにまに、湖が見え隠れしはじめた。思わず口笛を吹いた。
周囲三キロ足らずの小さな湖だが、水は澄み、もくもくと湧き立つ入道雲を映して水面 がきらめく。
陳腐な喩えだが、まるで、おとぎの国だ。
これから訪ねる義弟は、とびきり美しい場所でひとりで暮らしているのだ。
小径を抜けた。スピードをゆるめて、湖のほとりを半周する。小さな桟橋に小舟が繋留されているさまが、微笑ましい。
そして湖に面して、煉瓦造りの瀟洒 な洋館が建っている。
淡い色合いの外壁と、瑠璃色の屋根が鮮やかなコントラストをなす。
煙突がある。では、外観にふさわしく暖炉があるのだ。
二階を振り仰げば半円形のバルコニーが湖面に張り出し、そのバルコニーを挟んで左右対称の造りになっている。
門扉は開け放たれていた。アプローチを進み、奥田商店、と横腹にペイントされたライトバンの後ろにセダンを駐める。
車寄せに降り立ち、トランクからボストンバッグを引っぱり出した。汗じみたシャツの皺を伸ばす。
東京を発ったのは早朝で、現在 は昼すぎだ。やれやれ、なかなかの長旅だった。
サイドミラーを覗き込んだ。髪を撫でつけて、眼鏡のブリッジを中指で押しあげた。妙に緊張する。それも当然のことだ。
この山荘の主 は神崎天音 という。
里沙の弟、つまり義弟にあたる人物だが、初対面も同然の相手で、おまけに、わたしは人見知りをするほうだ。
巻葉装飾がほどこされた扉は一部が菱形にくりぬかれ、そこに百合をモチーフにしたステンドグラスがはめ込まれていた。
深呼吸ひとつ、呼び鈴を押そうとした瞬間、
「泊める? 赤の他人を一週間もか?」
「避暑にやってくるのは義兄 だ。それに誰を泊めようがおれの勝手だ。おまえに口出しする権利はない」
「権利? 権利ならあるじゃねえか。恋人が変な男を家につれ込むって言うんだ。黙ってられっかよ」
「〝恋人〟……ね。そんなものになった憶えは、一度もないね。それより配達の途中でいつまでサボっている気だ。ごちゃごちゃ言わずに、帰れ」
ともだちにシェアしよう!