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第3話

 シラカバの梢のまにまに、湖が見え隠れしはじめた。思わず口笛を吹いた。  周囲三キロ足らずの小さな湖だが、水は澄み、もくもくと湧き立つ入道雲を映して水面(みなも)がきらめく。  陳腐な喩えだが、まるで、おとぎの国だ。  これから訪ねる義弟は、とびきり美しい場所でひとりで暮らしているのだ。  小径を抜けた。スピードをゆるめて、湖のほとりを半周する。小さな桟橋に小舟が繋留されているさまが、微笑ましい。  そして湖に面して、煉瓦造りの瀟洒(しょうしゃ)な洋館が建っている。  淡い色合いの外壁と、瑠璃色の屋根が鮮やかなコントラストをなす。  煙突がある。では、外観にふさわしく暖炉があるのだ。  二階を振り仰げば半円形のバルコニーが湖面に張り出し、そのバルコニーを挟んで左右対称の造りになっている。  門扉は開け放たれていた。アプローチを進み、奥田商店、と横腹にペイントされたライトバンの後ろにセダンを駐める。  車寄せに降り立ち、トランクからボストンバッグを引っぱり出した。汗じみたシャツの皺を伸ばす。  東京を発ったのは早朝で、現在(いま)は昼すぎだ。やれやれ、なかなかの長旅だった。  サイドミラーを覗き込んだ。髪を撫でつけて、眼鏡のブリッジを中指で押しあげた。妙に緊張する。それも当然のことだ。  この山荘の(あるじ)は神崎天音(あまね)という。  里沙の弟、つまり義弟にあたる人物だが、初対面も同然の相手で、おまけに、わたしは人見知りをするほうだ。  巻葉装飾がほどこされた扉は一部が菱形にくりぬかれ、そこに百合をモチーフにしたステンドグラスがはめ込まれていた。  深呼吸ひとつ、呼び鈴を押そうとした瞬間、 「泊める? 赤の他人を一週間もか?」 「避暑にやってくるのは義兄(あに)だ。それに誰を泊めようがおれの勝手だ。おまえに口出しする権利はない」 「権利? 権利ならあるじゃねえか。恋人が変な男を家につれ込むって言うんだ。黙ってられっかよ」 「〝恋人〟……ね。そんなものになった憶えは、一度もないね。それより配達の途中でいつまでサボっている気だ。ごちゃごちゃ言わずに、帰れ」

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